佳 作

「難病との共生―新しい生の可能性の模索」

坂入 誠(48歳)
茨城県新治村・会社員

 

 予期せぬ結果に思考が停止し、激しい脱力感と共に、世界が音を立てて崩れていく感覚に襲われた。その直後、ならくの底に沈んでいく自分の姿がはっきりと見えた。まさに絶望の淵に立たされたのだった。

 これは三年半前に、それまで十年間近く苦しんできた病気が判明した時の、私の偽らざる心象風景とでも呼ぶべきものです。その日、医師から、「全身性エリテマトーデス(SLE)」という難病の膠原病と言われた時、私は生きる意欲を完全に喪失し、死を明瞭に意識し始めました。「自殺」という文字が脳裏で徐々にリアルさを増してきたのでした。

 ところが、そんな私は現在、毎日仕事をしています。しかも、極めて穏やかな精神状態の中で、元気に生きています。振り返ってみて、あの時の自分からは、とても想像できません。あの時は、難病になった自分の運命を嘆き悲しみ、死をも覚悟したのですが、それが今ではうそのようです。この変化をもたらしたものは、決して自分一人の力ではありません。家族の存在は元より、それに加えて、入院した病院の主治医K先生と、同病のSさんとの出会いがあったからです。K先生は三十歳過ぎの若い医師ですが、私の苦悩を真正面から受け止めて下さいました。そして、真摯な助言を下さったのです。Sさんは同病の先輩として、十年を超える自らの経験を話しながら、私を励ましてくれました。Sさんは五十歳前後と覚しき女性ですが、難病とは思えないほど、とても快活な方でした。

 お二人には共通する考え方がありました。それは、「病気との共生」というものです。この考え方に私はとても新鮮かつ強烈なインパクトを受けました。というのも、その時までの私は、病気は体にあってはいけないもの、排除すべきものという考え方をしていたので、病気と共生することなど想像もできなかったのです。まして不治の難病との共生など、しょせん不可能であると、あきらめてもいたのです。仮にそれが可能であったとしても、難病を抱えて生きることにいかなる意味があるのかと、懐疑的でもあったのです。

 ところが、K先生もSさんもそれが充分可能であり、そうして生きる人生に大きな意義を見いだすことも可能であると、おっしゃったのです。K先生は、この病気特有の禁忌事項により、生活上少なからず制約が課されるので、これまでとは違う生活の仕方が必要になってくる。また、それを実行するためには、おのずとそれに合わせた意識の変化が伴わなければならない。それさえできれば病気との共生は可能です。そのためにはまず、現実を受け入れる勇気と強い希望を持つことが肝要です、とおっしゃいました。SさんはK先生の言葉を実証してきたのでした。彼女の顔には難病との共生を苦痛と感じさせるような様子は、少しも見られませんでした。逆に生きていることの喜びと感謝の念が、ありありと見て取れました。ちなみにその時のSさんは、膝の骨折のために入院していたのです。

 お二人との出会いによって、私は病気と真正面から向き合う勇気と、生きる希望を得ることができたのです。あれから三年半経ちますが、お二人の助言や励ましによって共生の道を選んだことに、多いに満足しています。種々の制約は伴うけれど、決して苦にはなりません。むしろ病気との共生は、私に次のような事実を教えてくれたのです。

 この病気にはストレスが最も悪いものの一つとされています。それは、非肝要な心的態度、現代社会にはんらんしている欲望に振り回されて自分を見失うこと、そして、スピード化された社会での焦燥感からくるようです。これらからいかにして自由になるかが、この病気との共生の正否の鍵です。いま、私の病気はとても安定しています。共生が順調なのです。これは私がストレスをためる諸原因から、かなり解放されていることを証明するものです。先に、穏やかな精神状態にあると書きましたが、これがその証左ではないでしょうか。確かに、病気との共生を始めてから、自分が変わったように思われます。体から余分な力が抜けて、とても心地良い状態です。

 K先生がおっしゃっていた、意識の変化が伴うとは、こういうことなのかも知れません。私は病気との共生を経る中で、知らず知らずのうちに自分を変えてきていたのです。そしてそれは、自分の生き方に最も適したあり方なのです。

 こうして考えてみると、この難病が、本当の自分のあり方を考える契機を与えてくれたのかも知れません。当初この病気は、憎悪の対象でしたが、今は、友人のような存在に変わりました。もちろん病気であることは、決してうれしいことではないけれど、病気によって自分の人生を見直し、生きることに喜びを感じる自分に出会えたことに、感謝しています。