佳 作

「二十歳の思い出」

長野将人(27歳)
千葉県成田市・会社員

 

 「長野君、残念だけど悪性だった」。二十歳の誕生日のちょうど一週間前、僕は大学病院の診察室で悪性の血液疾患であることを告げられた。先生から「悪性」と言われ、それがすなわち「がん」であることは、もちろんすぐに分かった。それなのになぜか、どこか他人事のように感じている自分がいた。あまりのショックに、自分の感情がまひしてしまったという方が正しいのかも知れない。しかし、それから入院の説明を聞いて診察室を出ると、今度は一気に涙があふれ出た。病院の長い廊下を、涙をふくこともせずに歩いて表に出ると、病院の壁に向かって泣き叫んだ。これから自分の体はどうなってしまうだろう。これから自分の将来はどうなってしまうのだろう。数えきれないほどの不安と、生まれて初めて意識する「死」に対する恐怖に、とにかくどこかに逃げ出してしまいたかった。そんな気持ちに押しつぶされそうになりながら、僕の闘病生活が始まった。

 入院して一通りの検査が終わると、今度はつらい化学療法が始まった。つらい治療になると覚悟はしていても、あの吐き気に襲われると「もう人生なんてどうなってもいい」。そんな気持ちになる。胃が空っぽになって、吐く物が何も無くなっても、更に激しい吐き気が襲う。涙を流しながら一晩中吐き続け、ぐったりとして朝を迎える。とても人間の生活とは思えなかった。この治療が月に一度、合計六クール行われる予定だった。こんな治療を受けても、五年生存率は五割以下という厳しい現実に、僕は完全に生きる気力を失っていた。やがて化学療法の副作用から髪の毛が抜け落ちた。ほおがこけ、髪の毛がすべて無くなり、笑顔さえも無くなった。そんな自分の変わり果てた姿を鏡で見ると、あまりに異様で、本当にこのまま死んでしまうのではないかと恐ろしくなった。高校時代も皆勤で、病気とは全く無縁だった自分が、突然「がん」になり、「死」に直面している。やっと始まった楽しい大学生活とは正反対のどん底の生活に、一気に突き落とされてしまった。元気な人はみんな敵に見え、自分一人だけみんなとは別の世界に住んでいるような気持ちになっていた。

 そんな僕の姿を見て、ある日人一倍明るく元気な看護婦のOさんがこんな言葉をくれた。

 「神様は決して乗り越えられない苦しみは与えない。長野君もきっと頑張れるよ」。普段神様なんて信じない自分だが、Oさんがくれたこの言葉は、なぜかすんなりと受け入れることができた。重い病気を抱えた患者さんをたくさん見守ってきた彼女が言う言葉は、決して薄っぺらなものではなく、真実味と温かさがあった。当時の僕にはその言葉の裏側に「死」が見え隠れしているようにも思えた。本当に厳しいようだが、耐えられない苦しみが襲う時、神様が「死」という形で安らぎを与えてくれる。そんなメッセージでもあるのかなと思った。それまでの闘病生活の中で、「死」は一番の恐怖だった。同じ病名の友達が、大部屋から個室に移った後に亡くなってしまった時、「次は自分の番かも知れない」とその恐怖はより一層強くなっていた。そんな時にOさんは「死」は恐怖ではなく、安らぎだと気付かせてくれた。

 あれから六年。僕は社会復帰を果たし、会社員として毎日を元気に暮らしている。病院にもそれ以来通っていない。二十歳だったあのころには、再びこんな毎日がやって来るなんて想像も出来なかった。だから今は「毎日健康に暮らすことができる」ただそれだけで幸せを感じてしまう。闘病中はたくさんのつらい経験をしたが、その分、健康な人よりもたくさんの幸せを感じられる心を手に入れる事が出来た。今思うと、僕はOさんのあの言葉をきっかけに、「死」というものを自分なりに受け入れ、徐々に生きる気力、そして自分らしさをとり戻すことが出来た。そして、そのおかげで病気を乗り越えることが出来たのだと思う。元気になった今、今度は僕が重い病気で苦しんでいる人の力になりたい。病気に命を奪われる恐怖におびえ、病気に自分らしさまで奪われてしまってはいけないことを伝えたい。苦しんだ分、人は必ず何かを手に入れることができるということを伝えたい。