佳 作

「自宅の天井」

朝倉尚美(37歳)
福岡市・主婦

 

 「自宅の天井を見て死ぬか、病院の天井を見て死ぬかの違いですよ」。信頼しているA病院の先生にそう言われて、さすがの父も愕然としていた。

 母はスキルス胃がん。昨年の一月にA病院で手術を受けた。少しは調子良くなってきたかな?と思い始めた七月、妹が交通事故に遭った。事故から一か月後、妹の病院に向かう車の中で母の首筋が黄色くなっていることに気付いた。再発だった。三週間前のCT検査で大丈夫と言われたばかりだったのに。その病院には再発患者は入院できないらしく、B病院を紹介され、母には胆のう炎という病名が告げられた。

 妹の病院と母の病院を行き来する毎日。妹にもすぐには母の病状について言えなかった。母は自分の病気のことは軽くしか考えておらず、妹の心配ばかりしていた。がんの告知はしていたが、元来素直な母はA病院の先生の言うことを信じていた。「悪いところはすべて取りました。またがんが出来る確率は普通の人と同じぐらいです」。その言葉を、病気に関する知識のない父と母は本当に信じていた。B病院の母の新しい主治医は再発の告知を勧めた。しかし、以前にその先生が告知した患者さんは固くカーテンを閉ざしてしまい、また先生もほとんど顔を出さないのを見ると、とても告知をお願いする気にはなれなかった。しかし母はうそが嫌いな人だから、告知をしないでいいのか? このままこのB病院で……?

 A病院の先生には母が転院した後も相談に行っていた。三分診療と言われる中で、先生は本当に良くして下さったと思う。母の状態は難しく、あとはどれだけ残された時間を有効に使えるか。ご自分の家族を家で看取った経験などを話して下さった。私は母を自宅に連れて帰りたいと思っていた。あくまでも病院での治療にこだわる父に、先生はこう言われた。「自宅の天井を見て死ぬか、病院の天井を見て死ぬかの違いですよ」

 インターネットで調べた。在宅ホスピス。Nクリニックのサイトに目がとまった。「酷知と告知は違う」。ご自分のお考えをホームページで述べられており、この先生ならばと思った。幸いなことに医院は自宅からすぐ近くだった。事前にお願いに行くと快くOKして下さり、自宅での母の介護が始まった。母は食事がほとんど取れない。二十四時間、電池で点滴量を調整する小さい機械をつけてもらった。交換は一日一回、Nクリニックの看護婦さんと訪問看護ステーションの看護婦さんが交代で来てくれる。

 母にはもっともっと生きてほしい。でも、もう残された時間が少ないのは確かだ。ならば、残された時間を有効に使えるよう、早い時期に母に本当のことを伝えた方が良くないか?「うそはないようにしましょう」とN先生は言われた。すべてではないにしろ、今の体の状況を先生の口から言ってもらうことにした。先生の話を聞き終わった母は、やはりショックを隠せない様子だった。それより、今まで聞かされていた説得力のある説明がうそだったことに驚いたようだった。その前から私には「お母さん長く生きられないかもしれないね」とは言っていた。再発のことを聞いた母は先生が帰られた後、こう言った。

 「ずっと黙っておくのもつらかったろう。大変だったね」。私は涙があふれ出た。今までの経緯を母に話した。私はこのとき、心から思った。母の子供でよかったと。

 自宅に帰ってしばらくの間、母は元気で、庭に出ては花が咲いたと喜び、看護婦さんからどこどこのお好み焼きがおいしいと聞くと注文して、皆で食べた。海沿いに出来たネオンのきれいな観覧車を、夜に父と二人で見に行ったりもした。

 そのうち、母は眠っている時間が多くなってきた。時折、怖い夢でも見ているのか、不安そうに母の手がさまようことがあった。その時にN先生がされたことは母の手を握りしめることだった。母は安心したようにまた眠った。

 母の足を洗っている時に、母は「私は幸せ者だね。お母さん、あなたのおなかの子、優しい女の子のような気がするなぁ」と言った。この言葉を聞けた私は幸せものかもしれない。

 家で看取ることが出来たのも、N先生たちがそばにいてくださったからだ。先生たちには体に気を付けて、これからも頑張ってもらいたい。

 おばあちゃんに会うことができなかった女の子は今、元気におっぱいを飲んでいる。