interview MPH取得×タイ 
座光寺 正裕(前編)

医師のあり方にも多様性があっていい
挫折や回り道も大事だと思います

――まず、留学をしようと思ったきっかけを教えて下さい。

もともとは、中学から高校に行く間の1年間遠回りをしたっていうのが、僕の人生の原体験なんです。中高一貫校で、進学実績を残すことが非常に重視されている環境の中で、本当にこれでいいのかなと悩んだ時期があって、中学を卒業した後に1年間休学したんです。バイトをしてお金を貯めて国内を自転車旅行して、その後9月頃から3か月半ぐらい、インドとネパールとタイを旅行したんです。普通とは違う経験がしたい、日本を外から眺めてみたいという気持ちで、日本を離れました。お金は全然ないので厳しい旅行なんですけど、いろんな人に助けてもらいました。

ネパールの山奥で2週間ほど過ごしたことがありました。現地の人がいつも水を汲んでいるという川から同じように水を飲んだら、翌日から体調を崩して。たぶん原虫疾患だったんだと思います。住んでいる人たちにとってはそこは上流なのだけれど、実はもっと川上に人が住んでいて、汚水が流れてきていた。水の衛生ってこういうことかと、身をもって感じました。

それが多分、医療者になろうと思ったきっかけでしたね。病気の根本的な原因は何なんだろう、病気にしないようにするためにはどういう取り組みができるんだろうと考えるようになりました。さっきの例で言えば、川の水を飲むこと自体が病気の根本原因なので、それを止めれば下痢症の治療薬は必要ないわけです。その方がずっと安上がりで、1回手を打てば患者さんを減らすことができると思いました。

――新興国や予防医療への関心は、その後も続いたのでしょうか

はい。大学時代は熱帯医学研究会という学生団体で、日本に滞在していたタイ人HIV感染者の帰国後の追跡調査を行っていました。帰国すると無料でHIVの治療が受けられるということで、日本側は良かれと思って帰国支援を行っていたんですが、調査をしてみると、多くの人が帰国後、周囲からの偏見を恐れて、自分がHIVに感染していると周りに伝えられずに亡くなっていたことがわかりました。その時の経験から、弱者に寄り添うような場所で医師としてのキャリアをスタートしたいと思い、そういう理念をもっている佐久総合病院を研修先に選びました。

しかし、初期研修医が国際保健に関わる機会はほぼありませんでした。通常の研修を受けるだけで精一杯で。それ自体は非常に勉強になりましたが、やっぱりちょっと未練もあったんですね。病気の根源を突き止めて解決したい、新興国の人たちの健康に関わりたいという思いがあって、2年目の6月ぐらいに留学を決めました。

――留学を後押ししたものは何かありましたか?

ひとつはタイミングですね。留学するなら、初期研修2年の後か、後期研修3年の後が区切りがいいかなと思っていました。それで僕は初期研修後に留学することにしました。

もうひとつは、2年目の8月に第一子が産まれたことです。日本で臨床医をすると全く時間がないので、自分が家庭生活や子育てを満足にできるのか自信が持てませんでした。なので僕にとって留学は、半分は育休のような感覚でもありました。勉強は大変でも、9~17時の生活ができたし、土日は休めたので、妻や子どもと過ごすにはいい時間だったなと思います。

病院がお給料を出してくれたのも大きかったですね。最初は奨学金をとって留学しようと思っていたんですが、推薦状を書いてもらいに院長室に行ったら、病院から出向という形で出したいという話をいただきました。僕としても帰ってくる場所があるというのは安心感があって、うれしかったですね。行き先は、家族と一緒に行くことを考えたら、金銭面で現実的なところがいいなと思い、タイに決めました。

――留学先ではどのようなことを学ばれていたんですか?

僕は、チクングニア熱という病気の予防をテーマに研究していました。座学が半分ぐらいで、あとは病院や医療現場に行って地域診断をし、インタビューして、質問書を作り、健康問題を評価して、どのようなプランを立てると人々の健康状態がよくなるのかを考える実習をしていました。実際のフィールドで公衆衛生を学べる場はあまりないので、いい経験になったと思います。もちろん、国によって健康問題も医療の仕組みも違います。例えば、タイでは衛生的な要因から感染症の予防が進んでいない一方で、先進国と同様に、生活習慣病への対策も必要になってきています。学んだことを必ずしもそのまま応用できるわけではありませんが、留学で身につけた基本的な技術は日本でも使えると思っています。

 

interview MPH取得×タイ 
座光寺 正裕(後編)

――帰国されてからは、どのような取り組みをされていますか?

1年間外で勉強させてもらったので、何かしら病院や地域社会に還元したいと思いました。何かできないかなと思って、昨年の4月に病院の中で国際保健に熱心なスタッフを集め、「佐久の国際保健を考える会」という勉強会を開きました。開いてみたら、看護師や検査技師、事務の方など総勢20名ほど集まったので、その流れで国際保健委員会を立ち上げました。持ち回りで海外研修生の対応を行ったり、全国各地から学生や社会人を集めて地域保健と国際社会についての勉強会を開いたり、タイ大使館が行っている移動領事館で健康相談を行ったりしました。実際に活動してみると、勉強したいけれどそういう場がないと思っている人がたくさんいることがわかり、これを佐久の魅力にしていけるのではないかという自信を得ました。

――お話を伺っていると、何故この土地で国際保健に関する活動が盛んになるのか不思議に感じるのですが。

もともと佐久総合病院は、農民たちが厳しい生活環境の中で抱えていた健康問題を解決しようというところからスタートしているんです。今でこそ長野県は健康長寿で有名になりましたが、この半世紀、貧しさの中で人々が病を克服するにはどうしたらいいのか試行錯誤してきました。そうした取り組みが、新興国が今直面している課題の解決の糸口になるのではないかと思っています。

――これから留学してみたいという学生に一言メッセージをお願いします。

留学って、いつ行くか、どう行くかをしっかり決めなきゃいけないような気がするかもしれませんが、決まった方法なんてないし、多様でいいと思うのです。僕みたいに、市中病院で初期研修が終わった後にポッと1年間行くっていうのも、問題なくできることなので、医師としてのキャリアを考えるうえで、選択肢として残しておいてほしいなと思いますね。僕の場合は留学することで、日本で臨床を続けていたら確保できなかった子育ての時間や、自分の臨床経験を振り返る時間を得ることができました。留学先で培った経験やネットワークも、実を結びつつあるように感じています。医師のあり方にも多様性があっていいと思うんです。挫折や回り道をした経験っていうのも大事だと思うし、そういう人が医療の現場に戻ってきて、それぞれの経験からフィードバックするのもいいんじゃないかなと思います。

座光寺 正裕
佐久総合病院
地域医療部 後期研修医
国際保健委員会 委員長
2009年、九州大学医学部卒業。佐久総合病院にて初期研修後、タイ・マヒドン大学に留学し、公衆衛生大学院を修了。帰国後、病院内に国際保健委員会を立ち上げる。

MPHって何?

MPH(Master of Public Health)は、公衆衛生大学院で取得できる修士号です。公衆衛生大学院では、疫学、生物統計学、保健医療経済学、健康社会学、医療倫理学、健康医療政策学、医療安全管理学、環境健康医学などを学びます。
座光寺先生は、病気に直接アプローチするのではなく、その根本原因にまで遡って問題を解決したいという思いから、公衆衛生大学院への進学を決めたと言います。疾病を予防することや、いま健康な人も含めたすべての人々がよりよく生活できる社会を設計することに関心がある人は、公衆衛生を学ぶことを視野に入れてみてもいいかもしれません。

※東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻WEBを参考に作成。教育機関によってカリキュラムや教育目標が異なる場合があります。