交流ひろば

住民が主体となった医療づくり ザンビアへき地での挑戦

秋田大学医学部医学科5年 ザンビア・ブリッジ企画代表 宮地 貴士

「政府主導のトップダウンではなく、地域住民自ら問題を特定し、解決に向けて挑戦していくボトムアップをしていこう。」

ザンビア共和国マケニ村で開催された式典でのチーフチャムカ(本名モーガン)の言葉です。この村で私たちは、診療所の建設に取り組んでいます。

3年前から挑戦を始め、ようやくあと1か月で完成というところまで来ました。これまで数々の困難に直面しましたが、そのたびに強力なアシストをしてくれたのがチーフチャムカです。今回の寄稿では、彼の紹介をしつつ、3年間で得た教訓と今後の展望についてご紹介します。

チーフはザンビア建国前から代々土地を治めており、その土地においては大統領よりも権威がある存在です。ザンビア全土に288人、国土の7割はチーフたちの管轄下にあると言われています。

彼らの最大の役割は、支配地域で生じた問題を解決することです。

チーフチャムカは、レンジェ族の長であり、マケニ村を含む205個の村々、延べ13万人ほどを束ねています。チャムカは毎週金曜日に裁判を開いています。彼は国内の大学を卒業後、イギリスのマンチェスター大学で開発学の修士を取得。現在は、Chipembi Colledgeという農業専門学校で起業論について教えています。

レンジェ族におけるチーフの地位は母系制で受け継がれていきます。現在6代目で、初代チャムカはかつて、コンゴ民主共和国に広がっていたルバ・ルンダ王国における優秀な戦士でした。国王への忠誠が認められ現在の土地をもらいました。

私も昨年の8月にこの裁判に参加しました。診療所の開設資金としてすべての世帯が75クワチャ(700円程度)ずつ払うことになっていましたが、4割程度しか集まっていませんでした。その収集を加速させるために、診療所建設委員会のリーダーであるテクラさんを中心にチーフに協力を仰ぎにいったのです。

チーフはその場で200ドルを寄付し、同じ地域の政治家たちにも電話。さらに100ドルを集めました。自らお手本を示してから、各村長たちに、チーフ自ら1か月後にそれぞれの村に行くことを約束し、それまでに目標金額を集めるように指示を出しました。

1か月後、チーフは約束通り村々を訪れました。すると、200人近くの村人が集合し、これまで協力を渋っていた人たちもお金を出したのです。その日だけで約300ドル。彼の権威、リーダーシップに驚きました。

住民からお金を集めることには賛否両論あります。年収が15万円程度である彼らにとって、700円は大きな負担です。また、収集したお金の記録・管理の問題もあります。時間がかかり、骨の折れる作業です。

マケニ村以外にも、4つの村がこの診療所の管轄になる予定で、それらの村人たちからもお金を集めていました。その一つ、ムウェンバ村では、村長さんがプロジェクト期間中に亡くなってしまいました。それまで集めていたお金や記録がすべて紛失してしまいました。それをめぐった息子たちの対立もあり、村が分裂。大変な混乱が起きてしまいました。

このような問題が起こるにもかかわらず、なぜ、村人からの集金にこだわるのでしょうか。それは建物を維持していくのは住民たちだからです。形式上、建物の完成後は政府、特に郡の保健局に寄贈し、運営・維持管理を委託します。ですが、こちらの保健局は財源が安定していません。昨年は、政府から保健局への毎月の予算が年2回しか送られてきませんでした。

マケニ村から15キロほど離れたところに外国の援助で建設された診療所があります。私たちが建設している施設と同じ機能の建物です。昨年、私が訪問した際には使用されていませんでした。2010年に運営が始まってからたった9年。メンテナンスがされなかったために、屋根と壁の接続部分に穴が開き、天井裏がコウモリや鳥の巣窟と化したのです。

私たちが建設している診療所が同じ運命をたどらないためにも、住民の参加が非常に重要です。そして、それをリードするチーフの役割も大きいのです。

ただし、チーフの権威によって住民が動くだけでは、本当の意味でのボトムアップではありません。また、チーフが代われば村の運命も変わってしまいます。彼のようにリーダーシップを発揮できる人物が村から生まれることが大切です。

村にパッションを持った優秀な人物はいないのか。人々に聞いて回るとみんな口をそろえて一人の青年の名前を挙げました。彼の名前は「ボーティン」。

ボーティンさんは2014年に高校を卒業した私と同級生の23歳。敬虔なクリスチャンであり、教会では若手のまとめ役です。村を良くするためにはどうすればよいか、本気で考えていました。

「この村には教育と医療が必要なんだ。医療は人々の生活を支え、教育は村を成長させる。そして、村に変化をもたらすためにはみんなが協力する必要があるんだ」。

彼は、志が高いと同時に、ものすごく謙虚でした。「村を一つにするためにはどうしたらいいのか。それに、そもそも村を良くするとはどういうことなのか。まだまだわからないことがある。だから大学に行きたい」。

彼は高校卒業時の試験で数学、化学、生物、いずれも10段階中最も良い「1」を修めました。その結果を踏まえ、国立であるザンビア大学医学部、コッパーベルト大学医学部を受験するも、結果は不合格。途方に暮れていました。

何とか彼が医師になる道はないのか。私たちは必死に代替案を探しました。すると、私立であるカベンディッシュ大学医学部の方が国立よりも学費が安いことが判明したのです。

願書を整え、首都のルサカまで一緒に行き、大学に提出。Medical Science Health Foundation Programという医学部準備コースに無事に合格しました。1年間ここで切磋琢磨し、優秀な成績を修めた場合は医学部医学科に進むことができます。

医学部7年間で必要な学費を、診療所建設にも協力してくれている秋田ロータリークラブがサポートしてくれることも決まりました。

大学に進学する人が限られた村で独学で勉強した彼のような存在が、10年後立派な医師となり自分の生まれ故郷の人々を助ける。地域のリーダーとなり、村をより良い方向に導いてくれると信じています。

診療所の運営は4月中に始まる予定です。どのような患者さんがどのような医療を必要としているのか。その背景には何があるのか。診療所を中心として村の医療ニーズがさらに深堀りされていくでしょう。ボーティンさんと共にしっかりと分析し世界に向けて発信をしていきます。

マケニ村を中心に、ザンビアのへき地医療を改革する挑戦がようやく始まりました。

 

(写真左:ボーティンさん(左)と筆者(右)、写真中央:チーフチャムカ(左)と筆者(右)、写真右:筆者と建設途中の診療所)

 

 

No.33