医療現場で感じた問題を解決するために、
政治を動かしていく
~産婦人科医・富山県議会議員 種部 恭子先生~(前編)

今回は、産婦人科医として思春期の女子や女性に寄り添い、そのなかで見えてきた問題を解決すべく県議会議員になられた種部先生に、これまでの歩みや政治家としての活動についてお話を伺いました。

女性に寄り添う産婦人科医に

小笠原(以下、小):種部先生とは男女共同参画フォーラムでご一緒し、説得力のあるお話と発信力に感服していました。まずは医師としてのこれまでの歩みをお聞かせください。

種部(以下、種):産婦人科医になったのは自身の体験からです。高校生の時に初めて受診した産婦人科は、環境も対応もひどいものでした。人生で初めて出会った失礼な態度の男性医師に「いつか仕返しする」と決意し、医師を目指しました。思春期の女子や、産婦人科の受診にためらいのある女性に寄り添える産婦人科医になりたいと思い、医師になってからは、病院での診療のかたわら、ライフワークとして高校生への出張授業や思春期診療も行ってきました。

産婦人科の現場では、幸せな妊娠・出産ばかりではないこと、中には暴力の被害を受けた方もいることなど、社会的課題が見えてきました。男性医師に言いにくい悩みを女性の私に相談してくる患者さんもいました。

また、生殖医療に関わっていると、不妊の苦しみを抱えた女性たちの叫びが聞こえてきます。出産こそが女性の価値とするような空気が社会にあるため、たとえ子どもを授かっても「不妊だった自分」を背負ったまま救われない方も少なくありません。

他にも、虐待、性暴力被害者へのバッシング、予期せぬ妊娠の背景にある貧困や搾取など、医療では解決できない問題にたくさんぶち当たりました。

その壁を越えるために飛び出した先が地方議員への道でした。政治家になりたかったのではなく、やりたいことを実現する手段として政治が必要でした。

インタビュアーの小笠原先生。

医療と政治の両立を目指す

:現在、県議会議員として特に力を入れている活動についてお聞かせいただけますか?

:一つ目は、虐待・DVの問題です。虐待やDVの対策は都道府県が主体となって行いますが、富山県には居場所のない女性の自立支援やDV相談後の出口となる婦人保護施設がありません。国レベルでは婦人保護事業の重要性が認識され、様々な立法や予算措置がなされるようになってきていますが、その政策を実施する県や市町村が動かなければどうにもなりません。

二つ目は、子宮頸がん予防ワクチン接種の推進です。国が積極的勧奨を再開していないため、対象年齢の女性たちは自身が接種対象と知らずに機会を逃してしまっているのです。これは政治で解決すべき問題です。実際に若い人が前がん状態になったり、亡くなっているのを現場で見ていますから、行動せずにはいられませんでした。

三つ目が新型コロナウイルス感染症への対応です。科学的な対応が必要な状況においては、医療の専門家として政治にコミットすることが医系議員の務めだと思います。

:政治家になってみて、手応えを感じたことや良かったことを教えてください。

:例えば特定検診や学校医の紹介など、医師会が地域で行っている保健活動の多くは、県や市町村からの委託で行われています。つまり医師会が県や市町村と一緒に動かないと、保健活動が進まないのです。さらに、地域医療構想や在宅医療の推進といった医療政策についても、医師会と自治体が協力していかなければなりません。医師会・医療界の仕組みも、行政の仕組みもわかる立場として、パイプになる議員がいることは重要です。

医療と政治の両方にかかわることで、現実的で現場とずれない政策を進めていくことができるのは私の強みですね。これによって、一緒に仕事をする県職員の意識にも変化がみられるようになりました。

今までは、医師会から様々な要望書を出してもなかなか声が届きませんでした。県議会議員になってからは、仕組みが動きにくい理由を調査し、動かせる人をつなげ、動かしにくい理由を取り除くことで政策を実現できるようになり、手応えを感じています。

:現在も診療を続けていらっしゃいますが、医師と政治家の両立は大変ではありませんか?

:分娩を扱っていた勤務医時代よりは楽ですよ。地方議員は医師との両立が可能、かつ必要だと思います。というのも、医療政策は都道府県、保健・福祉は市町村の仕事そのものだからです。

議員になってから、医療の現場とは異なる切り口から物事が見えるようになりました。例えば、新型コロナウイルス感染症への対応で介護の現場がよく見えるようになったことで、介護と医療、そして行政とをつなぐ活動を積極的に主導することができています。

 

医療現場で感じた問題を解決するために、
政治を動かしていく
~産婦人科医・富山県議会議員 種部 恭子先生~(後編)

医師は弱者の代弁者

:先生の活動の今後の展望を教えてください。

:今後も地域の問題を解決し、住民の健康を守るためには、私が医療と政治とのパイプ役になり、医師会活動と県議会議員の仕事を両立することが必要だと感じています。ですから引き続き地方議員として実務を担うつもりですが、一方で変えるべきだと感じる法律もあります。もしそれらを変えようとする人がいなければ、いずれ国政に出ることもあるかもしれません。

また、後進の育成のために、仲間の議員と協力し、女性政治塾を始めました。いつか女性医師からも後進が出てほしいですね。私は、生活者の視点に立った声を上げることができる女性医師は、政治家に向いていると思うのです。私自身、立候補の際、自分の感じてきた問題を訴えることで、県民がどれだけ理解してくれるかを試したようなところがあります。結果は、自民党の候補者のうちトップ当選で、私に政治が必要だった理由を理解していただけたのだろうと感じました。「何をしたいのか」がはっきりしていれば、県民はきっと支持してくれます。

:最後に、医学生や若手医師にメッセージをお願いします。

:私の仕事の原動力には「怒り」がありました。昔の私はいわゆる非行少女で、大人や社会に反抗するあまり、はみ出していたのだと思います。でも、その頃に怒りや痛みを感じ、当事者として様々な理不尽さに気付けたことは良かったと思います。

実は、医師になってしばらく経った頃、高校生の頃に私にリベンジを誓わせた男性医師に会いました。驚いたことにその方は、当時の思いを直接ぶつけた私に謝られたのです。「僕たちには診察を受ける女性の気持ちはわからなかったし、今もわかっていないと思う。だから君が頑張りなさい」と。それ以来、様々な場で引き上げていただき、今の私があります。

皆さんも、これから様々な選択を迫られる場面があるでしょう。そのときはぜひ「楽ではない方」を選んでほしいです。なぜなら、その時に感じた痛みや苦しみを乗り越えステップアップしたとき、視野がぐっと広がり、次にやるべきことのために動けるようになると思うからです。

私は、医師の仕事は二つあると思っています。一つはもちろん病気を治すこと、もう一つは弱者の代弁者であることです。私たち医師が見る病気の背景には、遺伝や環境、社会のあり方など、様々な問題が隠れています。医師はそうした問題を抱えた方の代弁者として、声を上げていくべきではないでしょうか。その意味でも、色々な体験をした人が医師になるのは良いことだと私は思っています。

語り手
種部 恭子先生
産婦人科医、富山県議会議員

聞き手
小笠原 真澄先生
日本医師会男女共同参画委員会委員長(取材当時)、大湯リハビリ温泉病院院長