「AIホスピタル」が医療の未来をひらく
日本独自の技術研究開発の基盤を作る(前編)

現在、日本医師会と民間企業5社などによる「AIホスピタルによる高度診断・治療システム」というプロジェクトが始動しています。日本独自の医療AI技術の開発・実装を目指すこのプロジェクトは、皆さんが将来医師になる頃、働き方に大きな変革をもたらしているかもしれません。

 

 

「AIホスピタル」とは

2020年6月、内閣府が創設した「戦略的イノベーション創造プログラム」の一環として、「AIホスピタルによる高度診断・治療システム」の社会実装プロジェクトが動き出しました。ただしホスピタルといっても、AIにより自動化された無人病院のようなものを作るわけではありません。医療者の仕事の一部をAIに委ねることで時間的な余裕を生み、人間にしかできない、より高度な仕事に専念してもらう――「AIホスピタル」は、そうした働き方を可能にする様々な技術やサービスを、日本で開発する基盤を作るためのプロジェクトです。

日本独自、全国誰でも使える公共的なデータベースを

現在、GAFAなどに代表される海外の巨大IT企業が、様々な分野でリアルデータの蓄積・活用を進めています。医療・ヘルスケア分野も例外ではありません。日本の医療業界がシェアを奪われないようにするためには、日本独自でビッグデータを収集してデータベースを作り、産官学で協力して技術開発を進めていく必要があります。

このデータベースを作る方法としてまず浮かぶのは、全国の電子カルテ上の情報の集約でしょう。しかし、この作業には大きな障壁が存在します。日本では様々な企業がそれぞれ独自の仕様で電子カルテシステムを作り、さらにそれを個々の病院がカスタマイズしながら使用しているからです。このことがビッグデータの集積を阻み、高度情報化社会における技術開発の一つの障害になっているのです。

「AIホスピタル」プロジェクトのプラットフォーム構築には民間企業5社が協力していますが、どこかの企業がデータを独占したり、各企業に情報が分散したりしないよう、全国誰でも・どの企業でも平等に使用できる、国際的にも競争力のあるデータベースを作ることも目指していきます。「AIホスピタル」に日本医師会が参画しているのも、全国の医療者・患者が平等に成果を享受できるようにするという意図があります。

 

「AIホスピタル」が医療の未来をひらく
日本独自の技術研究開発の基盤を作る(後編)

データの「言葉」を統一する

プラットフォームを通じてデータを蓄積することができても、それで終わりではありません。次にネックになるのは、医療界で使われる「言葉」です。例えば、医療者同士ではクモ膜下出血のことを「SAH(ザー)」と呼ぶ一方、患者には「クモ膜下出血」あるいは「脳卒中」と説明することがあるでしょう。また、診療科が変わると、同じ略語がまったく違う疾患を指し示していることもありえます。患者さんの症状の訴え方も、方言や文化の影響を受けて変化する可能性があります。どの言葉が何を指し示しているかをAIに適切に判断させるためには、医療用語集を作り、医療界で使われる言葉を統一していく必要があるでしょう。「AIホスピタル」は、そうした言葉の土台作りも視野に入れた統合的なプロジェクトと言えます。

未来の医療者たちへの贈り物

「医療とAI」というと、「AIにより医師の仕事が取って代わられる」というイメージを持つ人が多いかもしれません。しかし、例えば診療記録の入力や検査データ等の解析などの仕事が自動化されていけば、医師・医療者に時間的余裕が生まれ、より丁寧な診断・治療や、患者とのコミュニケーションに力を注げるようになるはずです。また、「AIホスピタル」によって作られたデータベースを利用して、さらなる医療技術の研究・開発に取り組む時間も生まれるでしょう。未来の医療を担っていく皆さんには、贈られた「時間」を活用して、医療技術の発展に貢献することが期待されます。また、現場で質の高い診療をすることで、AIの優れた教師になることも望まれます。

 

「AIホスピタル」は未来の医療人への贈り物

今村 聡日本医師会副会長

ここ数年で、医療分野においてもAIやIoT技術が急速に発展しています。このようなハイテクノロジーが存在しなかった時代に医師となり、研鑽を重ねてきた世代からすると隔世の感がありますが、日本医師会としても、このAI時代の到来に呼応し、AIによる技術やサービスを十分に活用して医療の質をより高めていくことを考える必要性を痛感しています。

しかし我が国では、医療分野でのAIの技術開発が十分に進んでいるとは言えず、欧米や中国などに遅れをとっています。特にアメリカでは、FDA(食品医薬品局)が初期糖尿病性網膜症の自動診断システムを認可するなど、ごく一部ではありますが「医師の解釈をはさむことなくAIが診断する」という医療のあり方が現実のものとなっています。今の日本の医療界は、AI技術という黒船の来航を目の当たりにしていると言えます。

しかし、少なくとも今の日本において、そのような「医師なしでAIに診断される」という状態が広く受け入れられるとは考えにくいでしょう。医師が患者としっかり向き合って丁寧にコミュニケーションをとり、じっくり考え診断・治療をするというような、質の高い人間的な医療を提供するために、AIが補助的に用いられるというスタイルが求められていくのではないでしょうか。

日本は世界でも類を見ないほど少子高齢化が進んでおり、既に人口も減りはじめています。今こそ、AIを利用した日本独自の、なおかつ世界でも競争力のあるシステムを作り上げていかなければ、日本の医療界は先細りになってしまうでしょう。

しかし、電子カルテをはじめ様々な技術開発において、日本は国内でシェアを競い合うなかで、ガラパゴス化したサービスを多く展開してしまうといった傾向があり、それは国際競争力を高めるという観点からはあまり望ましくない状況であると言えます。黒船の来航から数十年も経たないうちに諸藩を廃して中央集権化を進め、行政や経済、教育などあらゆる分野の統一化・近代化を進めて諸外国に対抗しようとした明治の先人たちのように、今の医療界や医療IT業界も、地域や医療機関、企業などの枠を超えてまとまり、新しい技術研究開発を促進していく必要があるのです。

「AIホスピタル」事業は、AI技術開発の土台となるようなデータベースの集積、そしてそれを利用した様々な技術の開発と実装、人材教育、AI技術を利用する際の法整備や知的管理、国際標準化戦略の構築などの幅広い分野を包摂した統合的なプロジェクトです。このプロジェクトの成果は、日本医師会のマネジメントのもと、日本全国どの地域にいる人もその恩恵を受けられるよう、公共財として管理される予定です。医学生の皆さんが将来医師になったとき、このAIホスピタルのレガシーを十分に利用し、新たな医療の未来を切り拓いてくれることを願っています。

No.36