第2講 経営学の理論と人間観の変遷(前編)
テイラーの科学的管理法
先生:経営学は、19世紀末から20世紀初頭に成立した比較的新しい学問分野ですが、その成立に大きな影響を及ぼしたのがフレデリック・テイラーです。テイラーは、最初は製鉄所で働くエンジニアでしたが、次第に様々な工場の現場で管理者として働くようになりました。その経験から、独自の経営管理論を打ち立て、経営コンサルタントとして活躍しました。
テイラーは経験上、工場などの現場が抱えていた問題をよく知っていたので、「労働者にもっと効率よく仕事をさせるにはどうしたらいいか」と考えました。そこで編み出したのが「科学的管理法」です。まず、熟練労働者の作業を観察し、仕事をできる限り単純な作業へと分解したうえで、それぞれの工程の無駄を排除して、最も効率的な作業方法と、それにかかる時間を測定します。それをもとに一人あたりの1日の標準作業量を設定し、それを上回った労働者の賃率をより高く、下回った労働者の賃率*1をペナルティとして低く設定することで、労働者の勤労意欲を喚起しようとしたのです*2。
遠:その管理法は、どのあたりが画期的だったのですか? 今では当たり前の考え方のように思えますが…。
先生:それまでは、各現場や管理者ごとに、経験や勘、習慣に頼った管理が行われていました。例えば、1日の生産量は目分量で決められていました。また、労働者たちが仕事の能率を上げたことで、賃金の額が高くなると、賃率を一方的に切り下げるなどの行為も横行していたのです。
古:それではやる気がなくなりますね…。
先生:はい。労働者たちは、仲間うちで示し合わせて、わざと仕事のペースを落として働くようになっていました。科学的管理法は、観察と測定という「科学的な」手法に基づいて、客観的に生産方法や管理の基準を決めようとしたのです。
この科学的管理法は、様々な企業で採用されました。特に、1903年に設立された自動車会社のフォード社は、科学的管理法をもとにフォード・システムという大量生産方式を編み出して成功を収め、大量生産・大量消費という今につながる社会のシステムの基礎を築きました。
*1 賃率…単位あたりの賃金額のこと。労働時間を単位とした時間賃率や、作業量(個数)を単位とする出来高賃率などがある。
*2 岸田・田中(2009), pp.12-14
第2講 経営学の理論と人間観の変遷(後編)
「人間らしさ」の発見
阿:科学的管理法の考え方は、確かに効率的なのかもしれません。でも、少し息苦しいとも感じてしまいます。
先生:そうですね。実際、科学的管理法の誕生から30年ほど経った頃、ある実験をきっかけに、経営学の理論は大きな見直しを迫られます。その実験は、ハーバード大学の研究グループが、ある企業の工場で行ったもので、工場の名前をとって「ホーソン実験」と呼ばれています。
この実験は、部屋の明るさや温度・湿度、賃金や休憩時間などの物理的な作業環境や条件が、作業効率にどう影響するか実証する目的で始まりました。さて、科学的管理法に基づいて考えると、どのような実験結果が出ると思いますか?
板:環境や条件を良くすると効率が上がり、悪化すると生産性が落ちると思います。
先生:そうなりますね。この実験も、そうした仮説のもとに始まりました。しかし、調査の結果、物理的環境・条件が変わっても、作業効率にそれほど大きな影響がないことがわかりました。むしろ、大きく関わっていたのは、個人の感情や職場の人間関係などの要因だったのです。
近:具体的には、どういうことですか?
先生:例えば、仕事をしやすい物理的環境や、高い賃金が約束されていたとしても、皆が「あまり高い成果を出さなくていい」と考えている職場と、「頑張って良い成果を出そう」と考えている職場では、一人ひとりのパフォーマンスも変わってくると想像できますよね。さらには、周囲から「お前は頑張って働きすぎだ」などと難癖をつけられる環境だったら…。
近:頑張る気力が失せますね…。
先生:この実験を機に、人間は自分の感情や周囲との人間関係に強く影響される社会的な存在だという「人間関係論」の考え方が打ち出されました。それまで経営学の世界では、人間を、自分の利益を最大化することだけを合理的に追求する存在だと捉えていましたが、人間関係論の出現は、その前提を根本から覆す大きな転換点だったと言えるでしょう。
自己実現の手段としての仕事
先生:1950年代に入ると、「欲求段階説」*3という有名な学説が登場します。人間の欲求には、食欲や睡眠欲などの「生理的欲求」、危険から逃れようとする「安全の欲求」、集団への帰属を求める「社会的欲求」、他人から承認されたいという「自我の欲求」、自分の人生観などに基づいて自分を高めたいと思う「自己実現の欲求」の5段階があり、低次の欲求が満たされることで、より高次の欲求が強まっていくという考え方です*4。
そして、この欲求段階説に基づいて考え出されたのが「X理論・Y理論」*5です。X理論は「人は本来働くことを好まない怠け者だ」と捉えるもので、Y理論は「人は進んで仕事に取り組む存在だ」と捉えます。科学的管理法や人間関係論はX理論に基づいた管理法であり、前者は人間の生理的欲求や安全の欲求までしか満たしません。また後者も、人間を周囲との関係に依存する受動的な存在としており、社会的な欲求までしか満たさないものです。一方で、暮らしが豊かになり、低次の欲求が満たされやすい現代社会では、Y理論に立脚して、労働者の自我の欲求や自己実現を満たすような管理をしていくべきだ、というのが「X理論・Y理論」の主張です*6。
堂:X理論とY理論って、前回の講義でみんなで話し合った内容ですね。
先生:その通りです。ホーソン実験に始まる人間関係論や、欲求段階説は、完全に正しいというわけではなく、様々な批判や疑問が投げかけられています。ただ、社会が豊かになっていくなかで、人は仕事について、お金の面だけではなく、人間関係ややりがいといった様々な要素を重視するようになったという認識は、ある程度妥当なのではないでしょうか。
もちろん、社会が豊かになったからといって、誰もが進んで仕事をしたがるというわけではないでしょう。ただ、進んで仕事に取り組めない人がいたら、「やる気がないからだ」と捉えるのではなく、「何らかの要因によって、前向きに仕事ができなくなっているのではないか」と考え、働きかけを工夫していくほうが、今の時代に合っていて建設的だ、ということは言えるのではないかと思います。
*3 心理学者のアブラハム・マズローにより提唱された。
*4 井原(2008), pp.138-141
*5 心理学者・経営学者のダグラス・マグレガーにより提唱された。
*6 井原, 前掲, pp.142-146
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