地域の救急医療を支えるしくみ

医学生が取材!
救急医の役割とやりがい-(前編)

東海大学医学部付属病院の高度救命救急センターに、救急医療の勉強会を中心とした活動を行っている医学生サークル「TESSO」のメンバーを中心とした医学生6名が取材に伺いました。

ドクターヘリが注目されたのは阪神・淡路大震災がきっかけだった

ヘリの歴史と意義

――まず、ドクターヘリはどういうときに必要なのかを教えていただけますか?

中川(以下、中):ドクターヘリの活用が注目され始めたのは、阪神・淡路大震災の後です。あのときは、「救急車があります」と言っても、地上は道路が崩壊していて走れない状態でした。それまでも、ヘリが救急搬送に利用された事例がなかったわけではないけれど、このとき患者さんの搬送に空路はほとんど利用できなくて、搬送されずに亡くなってしまった人がとても多かった。そこで、いよいよドクターヘリを使おうって話が出てきたんです。

そして1999年に厚生省(当時)が、西は川崎医科大学、東は東海大学、二つの大学病院でドクターヘリを運用するという試行的事業を始めました。そして、実際に搬送された患者さんがどうなったのか、その医学的効果について検証したんです。期間は1年半だったけれど、東海大はその1年半の間に485名を搬送しました。その中には、例えば救急車で30分かけて搬送したら亡くなっていただろうと思われる人や、バイタルサインが悪くて虫の息の状態で、放っておいたら亡くなってしまうという人もたくさんいました。けれどヘリを利用すれば、救急車で30分の距離でも7分ぐらいで着くことができます。しかもその場で治療ができるので、血圧を上げることもできるし、人工呼吸をすることもできる。そういう風にして、ヘリのおかげで助かったと言える人が約55名もいました。

この搬送時間の違いは大きいんじゃないかということで、ヘリを事業として導入しようという方針になってきています。現在では、ドクターヘリの基地病院は全国34道府県40病院にまで増えていて、将来的にはそれらの病院でいろいろなデータを共有しながら医学的効果を検証しようという構想もあります。

ドクターヘリの実際の流れ

――実際にドクターヘリに乗って現場に行ったときの業務の流れを教えて下さい。

中:まず、ランデブーポイントという、救急車とドクターヘリが合流するポイントがあることは知っていますか? 具体的に言うと、例えば市町村の中で、○○中学校とか、××グラウンドとか、ヘリが着陸できる場所が何か所かランデブーポイントに指定されています。消防隊はドクターヘリを要請するときに、あらかじめ現場に近いランデブーポイントを選定します。「○○中学校のグラウンドに来てください」という連絡が入ると、僕らはヘリで、患者さんは救急車でそのグラウンドに向かいます。そして、そこで救急車と落ち合い、救急車の中で医師による初期治療が開始されます。医師がその場に行けることがヘリの大きな利点です。そしてある程度運んでも大丈夫な状態にしてから、ヘリに乗せて運んでいくような流れになります。

――現場にはどういう機器を持っていくんですか?

中:初期治療に使うものは、たいていヘリに積んであります。除細動器、超音波検査装置。それから12誘導心電図があると、不整脈や心筋梗塞の診断ができます。人工呼吸するために気管挿管をしたりもするし、口から入らない場合は、気管を切ったりもします。もちろんCPR(心肺蘇生法)も一通りできるし、必要だったら開胸して心臓マッサージをすることもあります。胸に溜まった空気や水、血液を抜くために、チューブを入れたりすることもあるんですよ。そういうことを全部現場でできる。ER(救急救命室)の室内でできる処置は、だいたい現場でもできるという感じですね。

中川 儀英先生
東海大学医学部専門診療学系救命救急医学 准教授

地域の救急医療を支えるしくみ

医学生が取材!
救急医の役割とやりがい-(中編)

複数の救急医がいたほうが効率的に救急医療ができる

救急医療機関の集約

――救急医療機関は生命を救う上でとても重要だと思うのですが、なぜ救急医療機関をたくさん作るのではなく、集約することが必要なんですか?

中:救急医療の専門医資格を取るためには、ある程度いろいろな病気や怪我を治療した経験が必要ですが、こういった医師はまだ需要を満たせるほどたくさんいるわけではありません。だから、あちこちにある「救急指定病院」と呼ばれる病院には、外科系と内科系の医師が交代で当直にあたるところが多いのです。けれど外科系と言っても幅は広く、整形外科も脳外科も泌尿器科も全部外科系にあたります。そうすると、「事故で骨折している患者さんがいます」という要請が来ても、「私は泌尿器科なのでわかりません」と断らざるを得ない状況があり得るのです。

このような事態を避けるため、ありとあらゆる重症患者に対応できる「救命救急センター」が設置され、そこに救急を専門とする医師が配置されています。救急医はどんな患者でも受け入れて、簡単な手術・処置をすることができます。しかし1人の救急医が24時間365日勤務し続けられるわけではないので、1つの病院には一定数以上の救急医が必要です。ですから救急医の数が不足している現状では、救急医療機関をたくさん作るのではなく、集約することで救急医療体制を維持しているのです。

しかしそうすると、救急の専門医がいる病院はまばらにしかない状況になります。そこでヘリが活躍します。救急車で1時間かかる場所でもヘリだと10分ちょっとで行けるので、より広域の患者さんを救命救急センターに集めることができ、効率よく救急医療を行うことができます。

とはいえ、まだまだ課題も少なくありません。例えば、ヘリは昼しか飛べません。でも救急の患者さんは、夕方から寝るまでの時間が一番多いんです。ヘリが出動できない時間にどう対応するかは、大きな課題の一つですね。

現場は医師が“裸にされる”場所

フライトドクターとしての成長

――ドクターヘリに乗って現場で活動してるフライトドクターは、特別な訓練を積まれているんですか?

中:ヘリだからという特別なことはほとんどありません。病院の中でちゃんと平時のERの業務ができているかどうかが大事ですね。だけど現場に行くことには、かなりプレッシャーがかかります。患者さんを早く設備が整った病院に連れて行く必要があるから、現場に滞在する時間は短くしなければならない。その短い時間の中で、患者さんに何が起きているのか、必要な情報を的確に選んで、要らない情報を捨てなければならない。そして、CTなどの高度な診断機器に頼れないから、身体所見である程度わからなければならない。処置も、病院のようにコンディションが整ったところでできるわけじゃない。時間がないし、最後のワンチャンスかもしれない。そういう意味で医師が裸にされるところが、現場というところだと思います。

――とても緊迫感があるように感じます。だいたい何年目ぐらいの医師が、現場に行けるんでしょうか。

中:東海大のある神奈川県の場合は、医師2人、看護師1人がヘリに乗ります。医師が2人いれば、必要な処置が同時進行でできます。重症なときはベテラン2人で行きますが、だいたい先輩と後輩で一緒に行く場合が多いですね。5年目ぐらいの医師と研修医、とか。基本的には専門医の資格を持っている医師が上について指導に当たっています。

災害時の救急医の役割

――卒業したら救急をやってみたいと思っています。ただ、何年か経験して何でも診られるようになったら、地元に戻ろうと思うんです。東日本大震災のときには、救急の医師がすごく必要とされたし、今後もそういうことがあるかもしれないので…。

中:いい心がけですね。また災害が起きたら、救急の医師は絶対に必要になります。東海大も東日本大震災のとき、宮城県石巻市へ2か月ほどの間、様々な診療科の医師を交代で派遣しました。

最初のころに中心になったのは救急のメンバーでした。なぜなら、普段から現場に行っていることもあって、どんなことが起きても対応できるからです。けれど、ある程度時間が経つと、例えばパーキンソン病の患者さんならそれまでのパーキンソン病の治療についても考える必要が出てきます。僕ら救急医が、「今までこんな薬飲んできました」と言われても、その科の専門じゃないと、どれぐらいの量で薬を加減したらいいかはわからないんです。そうなってくるともう救急では対応しきれなくて、各科の専門の医師たちの出番になる。だから、災害時の医療提供体制にも、それぞれに役割があるんじゃないかなと思います。そういうところでは、救急はいちばん最初を担うのが役割。何が出てきても大丈夫っていうのが救急の強みですからね。


地域の救急医療を支えるしくみ

医学生が取材!
救急医の役割とやりがい-(後編)

互いの仕事をリスペクトして信頼関係を築くことが大事

信頼関係を築くということ

――救急医療体制を築くには、やっぱり医師同士の信頼関係や消防との信頼関係が重要になってきますか?

中:そうですね。けれど、今でこそ消防との連携と当たり前のように言われているけど、僕が救急に入った頃は、救急救命士の制度がまだなくて、消防と救急の連携も全然ありませんでした。コミュニケーションが全くなく、お互いがお互いに関心を持たなくて、引き継ぎもぶつ切り。それを僕はすごく「おかしい」と思っていた。

幸いこの地域では、同じように「おかしい」と思っていた人が消防署にもいました。そういう人がやがてここ伊勢原市の第1号の救急救命士になっていったんですよ。そんなこともあって、僕は1回ちゃんと消防の世界を覗いてみたいと思って、消防署の中に泊まり込みでドクターカーをやり始めました。週に1日。やってみると、やっぱり医師と消防のチームワークが全然なってないということがわかりました。このままじゃまずいと思い、連絡の仕方も工夫するようにして、少しずつ信頼関係を築いてきたんです。

こうやってお互いに信頼を得ていったから、例えば1991年に救急救命士ができて、最初のドクターヘリをやるときも、ぽんぽんと話が進みました。そして阪神・淡路大震災を経て、厚生省のドクターヘリのトライアル事業へと続いていきました。僕らもその時点で既に連携に慣れていたから、東海大を指名してくれればそれなりの成績は出るという確信がありました。

でも、信頼関係が重要なのは、救急医療だけじゃなくて、どの分野でもどの職業でも同じだと思います。現場へ行ってみるとみんな全然分野が違うなと感じます。例えば交通事故現場に行って、橋の上から患者さんを引っ張り上げるなんて、僕ら医師にはできません。そういうところは任せる代わりに、「後は任せろ」って言えるような関係が大事なんです。だから僕は、野球のポジションみたいなものだと考えています。役割は違ってもみんなでひとつのチームだから、お互いがお互いの仕事をリスペクトする必要があるんです。

――学生の勉強会でも、医学科の学生が主催する院内の勉強会に、救急救命士の専門学校の学生が参加したり、あるいは逆にプレホスピタルの勉強会に医学科の学生が参加したりすることが増えています。

中:違った世界を見るのはいいことですね。みんなはまだ学生で、感受性豊かな年頃ですし、いろいろな刺激を受けてほしいです。別に医学の分野に限らなくてもいいと思います。

患者を選ばない医師になりたかった

救急医のやりがい

――救急医って忙しいイメージがあります。実際、「週10時間寝られたら良いほうだ」という話を聞いたことがあります。

中:今、東海大では24時間・3交代で勤務をしています。朝8時から、次の日の朝8時までが当番で、もちろん夜間に仮眠もできます。そして、勤務明けは昼の12時ぐらいまで残ることが多いけれど、そこから翌々日の朝までは休みです。ちゃんと休養をとれる体制を築くようにしています。

実を言えば僕も若いころは、週10時間ぐらいしか寝なかった時期もありました。でも、不思議と全然疲れなかったんです。若いときは、自分が好きなことをやっていると、時間なんて忘れてしまうものです。勤務が明けても、次の救急車が来ると「どんな患者さんだろう?」なんて勝手に体が動いたりしましたよ(笑)。そういう働き方をただ単につらいと思うか、充実していると思うかだと思います。

――先生が救急医という道を選んだ理由は何ですか?

中:「医師」を自分の中でどう定義するかがキーになると思います。僕の場合、自分の前に患者さんが来たときに、患者さんは医師を選んでもいいけど、医師が患者さんを選んじゃいけないと思っていました。だから、どんな患者さんが来ても診られるようになりたかった。例えば、自分の親や兄弟が病気や怪我をしたときに、自分の専門外で全く関われなかったら嫌だな、と。だから救急は、僕が描く「医師」のイメージに合っていたんです。

もちろん、専門は専門で、いい医療を提供できる。それはそれでリスペクトしています。だからいろいろな診療科の医師が必要だけれど、いずれにしても自分の前に患者さんがいたら、逃げずに、ちゃんと向き合える医師になってほしいと思っています。

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