日医ニュース 第872号(平成10年1月5日)

村瀬敏郎前会長逝去


 村瀬敏郎前会長(現顧問)が平成9年12月14日午後5時30分、肺がんのため都内の病院で死去、76歳。

 通夜は12月16日午後6時から、葬儀・告別式は17日午後12時から、ともに都内・新宿区南元町の千日谷会堂で執り行われた。

 なお、日本医師会と村瀬家による合同葬は、12月23日(火)午後1時から、東京・青山葬儀所(港区南青山2-33-20)で行われた。喪主は妻、初枝(はつえ)さん。

 村瀬前会長は大正10年、神奈川県の生まれ。昭和21年慶応義塾大学医学部を卒業のあと、国立三島病院勤務を経て、昭和34年現住所にて医院開設。

 昭和62年3月から厚生省エイズ対策会議委員、昭和63年5月から財団法人日本学校保健会会長、平成4年4月から厚生省医道審議会委員、医療関係者審議会委員、平成5年2月から人口問題審議会委員などをつとめた。

 平成4年4月に羽田会長のあとを受けて日医会長に就任して以来、次々と新しいアイデアを展開し、それをもとに政策をおしすすめてきた。まずは、「かかりつけ医が医療の基本」であることをスローガンとし、続いて、2期目には、「民間医療機関は社会資本」を新たな行動目標とした。

 さらに、国際医療協力にも尽力し、ネパールに、「学校・地域保健プロジェクト」を発足させ、開発途上国の地域医療に貢献。平成7年1月に起きた阪神・淡路震災では、村瀬前会長自ら陣頭指揮をとって積極的に支援体制を整え、大活躍をした。

 また、医師会関係では、昭和50年4月から渋谷区医師会長、昭和58年4月から東京都医師会理事、昭和59年4月から日本医師会常任理事、平成元年5月から同副会長、平成4年4月から平成8年3月まで2期4年間にわたり日本医師会長をつとめた。

 平成8年4月、勲一等瑞宝章受章。

 


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