日医ニュース 第873号(平成10年1月20日)
村瀬前会長合同葬執り行われる
村瀬敏郎前会長(現顧問)の日本医師会、村瀬家による合同葬が、平成9年12月23日午後1時から、東京・港区の青山葬儀所で執り行われた。
葬儀開式の辞に始まり、弔辞が捧げられ、日医を代表して糸氏英吉副会長、小泉厚生大臣(原田政務次官代読)、猿田享男慶大医学部長、友人代表として荘進氏の順に、故人の死を悼んだ。
次に、坪井栄孝葬儀委員長のあいさつのあと指名焼香があり、葬儀委員長、喪主、遺族に続き、原田厚生政務次官、吉原正智日医代議員会議長、林幹三同副議長、森亘日本医学会長、佐々木健雄東京都医師会長、猿田享男慶大医学部長、矢野亨日本学校保健会長、荘進氏らがつぎつぎと祭壇に進み、引き続き、葬儀参列者、会葬者の焼香が行われた。
会葬者は、橋本総理をはじめ、斎藤参議院議長、小泉厚生大臣、伊吹・小渕・自見・町村各大臣など、約700名が参列した。
弔辞
従三位勲一等瑞宝章日本医師会顧問 前日本医師会会長 故 村瀬敏郎先生の御霊に全国14万余会員を代表し謹んで哀悼の誠を捧げます。
このたびの村瀬先生の訃報に接し、私ども会員はかけがえのない指導者を突然失った深い悲しみに茫然と戸惑うばかりです。
村瀬先生 慈愛に満ちた先生の温容に接し、在りし日の先生のお姿がつい昨日のことのように蘇って参ります。
先生は昭和21年慶応義塾大学医学部を卒業後、3年間の国立病院勤務を経て、小児科の開業医として半世紀近く医療の最前線に身を置いてこられました。先生が開業された当時の日本は食糧すらままならぬ困難な時期であり、各種の疫病が猖獗を極めておりました。しかし、この時期の厳しい貴重な経験が先生の旺盛な発想力と豊かな人間性に磨きをかけると同時に、地域医療の現場から発想し、さらにすすめて1つの主張、提言へと高めて行く先生の実地医学の手法を確かなものにされたのではないでしょうか。
先生の残された数々のご業績のなかで、特に、2度にわたる予防接種法大改正においては先生が中心的な役割を果たされました。その原動力になったものは、先生が長年責任者を務められた渋谷区医師会予防接種センターでのお仕事であったことは関係者の方々がよく承知していることです。この予防接種法改正での仕事振りが認められ、先生は日本医師会執行部に入られました。
平成4年には日本医師会長に就任されて、まず手掛けられたことは日本の医療の原型である「かかりつけ医」構想を打ち出されたことであります。さらに医療法改正のなかで、21世紀を睨んで大学病院等と診療所の機能を明確に位置付けるなど先生の長年構想し、提唱してこられた政策を実現されました。また、先生は「若い人が将来に希望が持てる社会」ということをいつもおっしゃっておられました。その1つが学校保健に注がれた情熱であり、日本医師・従業員国民年金基金の創設でありました。特に、人類愛に溢れる先生の思いはネパールの子どもたちのためにプライマリ・ヘルスセンターを建設し、遠くヒマラヤの麓に母子保健・学校保健の灯を点され、国際的にも大きく貢献されました。
先生の残されたご功績はあまりにも多く、私ども後に続く者として改めて感謝の気持ちでいっぱいでございます。
今、先生と幽明境を異にし、かけがえのない先生を失った深い悲しみと空しさに包まれております。
しかし、先生の残された輝かしいご功績は今、着実に大地に根をはり、国民医療に大きな花を咲かせようとしていることに思いをいたすとき、私どもは改めて先生に励まされ勇気を与えられているような気がいたします。どうぞ先生、今後は天国から私どもをしっかりと見守ってください。
先生、どうそ安らかにお眠りください。
合掌
平成9年12月23日
日本医師会副会長
糸氏英吉