日医ニュース 第873号(平成10年1月20日)
21世紀の医療−高齢者との接点−
新春対談
日本医師会長 | 全国老人クラブ連合会副会長 | |
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坪井 栄孝 | 見坊 和雄 |
見坊氏の高齢者自立の情熱、坪井会長の社会保障理念の追求、それは新しい年を迎え、ますます緊迫の度を加えつつある医療構造改革の原点である。
坪井:
明けましておめでとうございます。本日は対談をお引き受けくださってありがとうございます。
見坊:
ご無沙汰しております。私は、インタビューなどはほとんど断っているのですが、今日は他でもない坪井会長のお招きなので、お伺いしました。
坪井:
見坊さんは、私の祖父をご存じだそうですね。
見坊:
いや、私もまさか福島県老人クラブ連合会の初代の会長さんが、坪井会長のお祖父さんだとは知りませんでした。
坪井:
昭和46年に、健保法改正をめぐって医師会が保険医総辞退をやりましたが、あの時祖父に呼びつけられ、たいへん叱られました。ちょうど全国老人クラブができて、10年目の頃でした。「お前たちは、弱い者を人質に取って、圧力でものごとを運ぶとは何事だ。そんなことのためにお前を医者にしたのではない。医者はやはり弱い者の味方になるべきだ。お前らは圧力でものを通そうとするが、老人にはそういう力がない。だから、老人の声が届くような組織として老人クラブをつくるんだ」と。当時は、84、5歳でした。福島県総合福祉センターの中にある県老人クラブ連合会に慈山室という部屋をつくりました。私の病院は慈山会というのですが、慈山というのは祖父の戒名なんですよ。両方とも、祖父の遺産を基金としています。
見坊:
そうだったんですか。
坪井:
それまで私は、「高齢者は弱者である。一生懸命面倒をみてあげなければいけない」という意識だけしか持っていなかった。その時、はじめて「老人の自立」をインプットされました。ですから、老人クラブに対する私の印象は、他の人とは多少違うのではないかと思っています。先頃、日医が「長生きするのが心苦しくなってきた」という老人の医療費の自己負担引き上げ反対のポスターを出しましたが、それは、あの時の祖父の教えが生きているのです。
弱者でなく、自立した高齢者に |
坪井:
見坊さんにうかがいたいのは、高齢者が今の世の中の動きに対してどういうお考えをお持ちになっているか、おそらく切ない思いをしておられると思うんですが。
見坊:
ありがとうございます。厚生省の老人保健福祉審議会でも、高齢者の気持ちや生活実態をよく理解しないで発言される方が多くいました。高齢者や低所得者の代弁をしてくれると思っていた人もほとんど発言しなかった。ですから、医師会の発言は、私たちにとっては大変ありがたかったわけです。
坪井:
医師がいちばん高齢者が多かったからではないでしょうか。今のおことばを聞いて、私も肩の荷が下りた感じがします。
私は、若い世代も高齢者と共生していかなければいけないし、高齢者の方々を社会のなかの重要なパートナーとしてとらえている。これについては、今まで苦労した人たちにさらに苦労や負担をかけるのかという議論もあるかと思いますが、私は老人の「自立したい」という意欲がわかるものですから、あえて共生を提言しています。
見坊:
老人は決して弱者ではない。社会の一員として、年相応の能力を精一杯発揮していくことが大切です。しかし、ハンディキャップはあります。体力や心身の機能が低下する、その点では、やはり弱い立場にある。その辺を社会の人びとに理解していただきたいのです。自立心がなければ、70、80、90年は生きられない。その人なりの生き方、個性が必要なのです。人生80、90年時代になっても社会の高齢者観は、依然として人生50年時代にとどまっている。もう少し対等に見てほしい。
少子高齢社会ということばが連日連夜、新聞、テレビ、ラジオで報道され、21世紀は若い世代が大変な苦労を背負うなどといわれますと、やはり、日医のポスターのように、肩身の狭い思いが募ります。これは大きな変化です。以前は、老人保健法改正の都度、「全老連は大幅負担増に反対せよ」、また、「消費税の導入に反対せよ」など、多数の電話や手紙が来ました。ところが、最近の一部負担増のアンケート調査では、負担増止むなしが5割、約4割が反対とはっきり分かれてきています。これは、所得の格差が二極分化したせいだと考えています。
世代間の双方向支援をめざす |
坪井:
私ども、老人保健福祉審議会時代に提出した介護保険の考え方のなかで、老若の共生による双方向の社会支援というのを提案しました。それは、高齢者も保険料を負担するが、それは自分たちの介護のためのみにではなくて、子育てとか、出産とか、若い世代の人たちの支援のためにも使えるような保険をつくりましょうという提案です。双方向の社会支援に高齢者が参画していく、これを社会に認めさせなければならない。見坊さんたちが大きい声で訴えるのをサポートすることも大切なことですが、医師会が積極的に世間にアピールしていくことが必要だと思っています。
高齢社会と、少子化社会とは非常に関連があるのだけれども、対応のしかたはそれぞれ異なる。それを誰かがバランスを取って調整していかなければならない。その調整役が政治だと思うのですが、その政治がしっかりしていないから、なかなか進まないわけです。
私の祖父も、日露戦争で負傷したのですが、「国のために命を落とすことなんか何とも思っていなかったのに、今の人間は国のことを考えない」といって怒っていました。だから、「年寄りの面倒をみなければ」というような傲慢な考え方ではなく、「国そのものを支え、バランスを取っていくためにはどうしたらいいのか」という立場で考え、若い人たちにも、そういう教育をしていかなくてはならないと思います。
見坊:
今のお話を聞いて、双方向支援の趣旨がよくわかりました。
私どもの老人クラブについて、一般の方々は、ゲートボール、旅行、踊り、カラオケぐらいに思っておられるでしょうが、結構、地域のために何かやろうという気持ちを持って、いろいろなことをしているのです。
坪井:
高齢者にも、「私たちはこういう社会奉仕をするんだ」というプランがあるはずです。私の祖父の時代にも、老人クラブで「孫の森」構想を打ち出して事業を実行し、杉の植林をしていました。世の中が変わりましたから資産価値としては低くなりましたけれども、やはり、孫たちのことを考えていた、このことは忘れてはならないと思います。少子高齢社会では、高齢者が若い人たちと共生して、双方向の福祉支援体制を築いていく、また、そういう事業を高齢者の活力にしていく、これが日医が提唱している生涯福祉保険構想なのです。私どもは、今の介護保険には100パーセント満足はしていません。あれは単なる高齢者の介護だけですから。
見坊:
終戦後は、戸籍制度や家族制度も変わって、老人が老人の座を失ってしまった。嫁姑の問題でも、姑が悪いと一方的に非難される。ほんとうにどうしていいかわからない。それで、高齢者が集まって、「不満に思っていることを述べ合いながら新しい勉強をしよう、そして、自分たちでこれからの時代をどう生きるかを考えよう」ということで、老人クラブは、いわば、自然発生的に始まったのです。昭和36年までに全国に1万のクラブができ、37年に初めて全老連が創設されました。坪井会長のお祖父さんたちのような各県の代表が東京に集まって、全国の組織をつくったのです。その後、老人福祉法ができて、はじめて助成金が出ました。
自分たちで学習することと、次の世代、特に、孫に何か残したいという気持ちは実に旺盛です。自然が破壊され、子どもたちの遊びの場所もなくなる、何とかしなければ、そういう気持ちが「花づくり」や緑化運動になっているわけです。また、自分たちの世代の出来事を語り継いでいきたいという伝承活動などは、私たち高齢者のいちばん大事な仕事で、盛んにやっております。私が常日頃感心するのは、なんと素晴らしい高齢者が多いことかということです。各県の会長のなかにも90歳以上の方が数人いますが、一人で飛行機に乗り、新幹線に乗ってやってくるんです。私も60歳の時に、一念発起して自動車免許を取りました。今はゴールドドライバーとして、東京中を走り回って、クラブ活動の手伝いをしております。
「人間中心」の制度改革が必要 |
坪井:
ところで、今の日本の政策のなかで、見坊さんがいちばん気になる、あるいはこうすべきだと思っておられることは何でしょうか。
見坊:
審議会で、会長さんも同じ思いだったと思うのですが、福祉の理念、医の倫理など、「マインド」に関する論議が欠けていたことです。しかも、そのことを論じないで、いきなり、「財政が苦しいから」という議論が始まる。審議会での介護保険の論議に参加しておりましたが、私は審議会の委員を辞めたくなったことがありました。しかし、高齢者の立場で発言する重要性を考えて思いとどまりました。福祉とは何か、医療とは何か、介護とは何か、それらはどうあるべきか、という基本的な議論、理想、理念から入っていくべきであるのに、それが論じられませんでした。私がそのことを再三主張しましたら、「ここは保険制度を論ずる場で、あなたのいう論議は場違いではないか」といわれたことがあります。多額な国費(税)と強制加入の保険料(税)による公的保険は、福祉の側面をもっていると考えますが、結局、国の財政をいかに軽くするかという論議ですね。介護にしても、介護する人が大変だからと、介護する側の議論が先行しました。しかし、介護される高齢者はもっとつらいのですよ。
坪井:
そうですね。「こういう方法で高齢者保険をつくりたいと思うが、高齢者の立場からみたらどうでしょうか」と、いつも原点に議論が返ってこなければならないのに、それが、「われわれはこうするんだから、それに従え」みたいなことになったのでは、やはり間違いです。そのようなリスクがだんだん積み重なったのが、この前の薬剤の一部負担ですよね。ああいうことになったのは日医にも責任があるのですが、きちんとした理念でもっと突っ込めばよかったわけです。そこのところは、反省しています。しかし、今年こそは確固たる信念で一年間頑張り通す、そうした決意を固める意味でも、見坊さんの口から高齢者の思いをじっくりとお聞きしたい。その理念に向かって100パーセント実現するという約束はできないかもしれませんが、少なくとも、7〜8割ぐらいは絶対実現する、そのぐらいの気持ちがないと、医師たる資格がない、そう思うのですけれどもね。
見坊:
会長はよくご理解されているので、私が何か申しあげる必要はないと思っています。ただ、1ついわせていただければ、現在、65歳以上は約2千万人ですが、80歳以上の後期高齢者も増えて、500万人近くなります。この人たちも、まだまだ生きていくわけです。ところが、世間ではこの人たちのことはあまり考えないで、21世紀に高齢者になる人の議論ばかりをやっている。現時点での高齢者が安心して医療を受け、健康で生きられるようにしていただかないと、「長寿社会」といっても、空虚なものになってしまいます。国家財政がこういう状況ですし、高齢者のなかにも所得の多い方がおりますので、高齢者も所得相応の負担はしなければならない。しかし、低所得の高齢者が安心して医療や福祉サービスを受けられなくなっては大変です。福祉・連帯の心を失ってはならないと思います。
規制緩和・市場原理優先への危惧 |
坪井:
国も、社会保障をもう一度じっくりと考えてほしいものです。日本という国の社会保障をどのレベルでとらえるのか、土木建築と同じようなレベルでとらえるのか、人間生存の基本としてとらえるのか、それによって国費(国費といっても、すべて国民の税金ですが)の使い方が違ってくる。極端にいうと、金があることのほうが人間が生きているより大切であるみたいな議論をしているわけです。
それから、もう1つは、今の若い人は、自分は年寄りにならないと思っているのではないかと疑わせるような議論をします。そして、若者と年寄りの対決なんていうことを、教育レベルの高い人、評論家といわれるような人たちまでがいう。「対決」なんていうことばは、老人と一緒に生活した人だったら、決して出てこないことばだと思います。
見坊:
それと、規制緩和、市場競争原理も問題です。「営利企業体が福祉や医療をやって何が悪いんだ」ということで、福祉などは、今、どんどんそういう方向をたどっています。これは疑問です。営利第一の経済が、現在のような心の貧しい社会をつくってしまったという一面がある。介護サービスが、営利的な感覚で提供されることになれば、福祉本来の目的や理念が見失われるおそれがあります。全国のどこにいても蛇口をひねれば綺麗な水が飲める、そういう状況にすることが社会保障制度であると、私は思っています。
営利が先行すると、僻地や地方の町や村などは商店がなくなり、バス路線さえも廃止されて、人びとは買うことも、移動することもできなくなる−そういう状況がどんどん起こっています。その反面で、採用の取れるところには、過剰なサービスが殺到する−こういう状況になってしまいます。私はおかしいと思うのですね。社会保障制度は、国民が築き上げて、僻地も含めて最低限度のサービスが行き届く、もちろん医療も含めて−そういうものでなければならない。審議会の場でも、規制緩和、市場競争原理が錦の御旗で、それを批判するとすぐ反論される−そういう状況でしたね。
坪井:
今度の財政構造改革のなかでも、橋本総理は「聖域なき構造改革」といっておられますが、私は、それには非常に危惧を感じます。やはり、医療とか福祉とかの社会保障は、あくまでも国家の重要な事業であって、そういう意味ではまさに聖域であって、「他の分野の予算を多少切り詰めても、ここだけはしっかりやろう」、これが本筋です。それを、医療を聖域化すると、医師だけが儲けるみたいなことをいうのは間違いです。もちろん、医療機関のなかにも安田病院のようなたしかに悪いところもあります。しかし、このような一部の行動を取り上げて、これを国の政策に利用する−こんな姑息なやり方は絶対に容認できません。
見坊:
同感です。しかし、聖域だからといって、甘んじていてはいけない。高いレベルを追求し、努力しなくてはいけない。数年来、「医療産業」とか、「福祉企業」とかいうことばが出てきましたが、厚生省は経済官庁になってはいけないと思います。
坪井:
大蔵省厚生局では困りますね。たしかに変えなければならないところもあります。しかし、変えてはいけない部分もあります。これは少し大きい声を出していわなければならない。
必要な生涯教育・物心のゆとり |
見坊:
そうですね。高齢者もそれなりの役割を果たしながら、発言すべきことは遠慮せずにいうべきです。医師会がものをいうと、PR不足もあって、利益擁護で発言しているように受け止められてしまう。医師会に対する世間の見方を変えていく努力も必要ですね。
坪井:
医師会に対する偏見をマスコミが誘導している面もあります。マスコミの誤解や偏見を一朝一夕に変えることはむずかしいが、ひとつひとつ直していくつもりです。患者さんの信頼をかちとるためには、毎日毎日の診療行為に誠意をもって当たること、それがいちばん大切です。そこで、「このお医者さんはやさしい。このお医者さんにかかってよかった」、そういう医師をつくっていく、これが私の今年の抱負です。このためには、やはり、医師は常に勉強する、つまり生涯教育が必要です。それから、もう1つは、余裕がないと人にやさしくなれない。精神的な余裕とともに、経済的な余裕もなくてはならない。物心両面での余裕をつくるということが必要なんです。
見坊:
大変結構なことです。私も「かかりつけ医」を持っています。数年付き合うとお互いがわかって、いろいろと会話ができる。そこまでくればしめたものです。1回ぐらい行って気に入らなかったら他へ行く、しかしそこもだめ、これではいつまでたっても信頼感は生まれない。
厳しい時代を迎えたと思いますが、高齢者が卑屈にならないで明るく活動できるようにしたいものです。地域に行きますと、医師と患者のいい関係ができているんですね。しかし、中央や上の方に行くと、財政のなかで左右されてしまってお互いに誤解してしまう。
坪井:
われわれの仕事を広く理解していただき、応援していただく。双方向乗り入れの支援体制をつくりたいというのが私の希望です。
めざす「やさしい医師」づくり |
見坊:
病気になってからというよりは、病気になる前の段階の健康保持・増進するための環境、私どもはこれを非常に大事にしています。病気を持ちながら自立し、ある程度社会活動を行っている多病息災の高齢者、これが8割、9割いるわけですから、その辺にもぜひ目を向けて、ご指導いただければと思っております。
坪井:
私も、しばしば老人クラブなどに招かれて話をしていますが、その際に感じるのは、高齢者には「これまで生きてきた」というキャリアがあります。したがって、われわれ医師も、「高齢者の健康保持のためにどういうサポートをすればいいか」ということについては、もう一度よく考えなければならない。これは健康管理のアドバイザーとしての新しい局面だと思います。そのためには、印刷物とか何か媒体を通して話をするより、直に話し合うことがいちばん大切なのではないかと思っています。
見坊:
医師と患者との関係は完全に対等というわけにはいきません。どうしても遠慮があって、聞きたいと思っても聞けない。そのため、ちょっと疑問が出てきたりすると、お医者さんを替えてしまう−そういうこともあります。しかし、私はそれはやはり間違っていると思うんです。患者が気軽に相談できるようにするために、お医者さんとの間に立って調整してもらう人、あるいは窓口などがあるといいなあと思ったりするんですが。
坪井:
医者はやさしくなければいけない。やさしければ、「これを聞いたら怒られるかな」「これを聞いたら恥ずかしいかな」などと思わないで、話しかけることができます。私はやはり、患者さんが、安心して率直にものをいえるような医師をつくることが必要だと思っています。
見坊:
それがいちばんですよ。
坪井:
そうなれば、病気の3割ぐらいは薬も飲まなくても治るんじゃないかなという感じもしますね。このようなことをやろうと思っていますので、今後とも、いろいろ教えていただきたいと思っています。
見坊:
今年は、介護保険制度の本格的準備、医療制度抜本改革の検討という重要な年です。
全国の老人クラブは、「在宅福祉を支える友愛活動」「ねたきりゼロ運動」とともに、「医療とくすり」に関する新たな学習・実践の活動に取り組みます。みなさまの理解とご協力をお願いします。
坪井:
本日は、貴重なお話をありがとうございました。
全国老人クラブ連合会 |
見坊和雄(けんぼう かずお)氏略歴 |