日医ニュース 第897号(平成11年1月20日)
| 日医、参照価格制度導入に反対を表明 |
医療保険福祉審議会制度企画部会
「薬剤給付のあり方」を厚相に提出
厚相の諮問機関である医療保険福祉審議会(医福審)制度企画部会(金平輝子部会長)が、1月7日、「薬剤給付のあり方について」と題する意見書を宮下創平厚生大臣に提出した。結局、意見書では、「薬剤定価・給付基準額制」(いわゆる参照価格制度)が賛成多数の形で取り上げられたが、医福審委員である糸氏英吉副会長は終始反対の立場を主張。今後も、患者負担増、混合診療につながるこの制度の導入には断固反対の姿勢を貫くことを明らかにした。
| 「薬剤給付のあり方について」の概要 |
意見書は、三章からなっている。T「総論」では、薬価基準制度の問題点を挙げ、それらの見直しの基本的視点を示している。U「見直しの具体的方向」では、薬剤の分類と情報提供、より安価な薬剤の選択を促進する保険給付の仕組みの検討、薬剤定価・給付基準額制の検討などに触れている。最後に、この意見書のまとめ部分である、V「総括−改革への今後の取り組み−」では、「新しい給付制度として審議の中心となった『薬剤定価・給付基準額制』については、一部の委員の反対があったが、実施すべき価値のある案との合意がほかの委員の間で得られた」と記され、そのあとに賛成意見と反対意見が両論併記の形で掲載されている。
<賛成する意見>
制度企画部会の委員の多数は、現行の薬価基準制度を廃止し、「薬価定価・給付基準額制」を採用することを支持する。無論、五十年近く続いてきた公定薬価の仕組みを廃止するものであり、不確定な要素があることも事実であるが、「患者主体の薬剤選択」を実現するため、医療機関、製薬産業、医薬品流通業等への影響の事前分析と事後評価を行いつつ、抜本改革にふさわしい新たな取り組みを細心かつ大胆に行うことが必要と考える。
このような観点から、政府は、制度導入に向けて今後、次の措置を採るべきと考える。
@ 過重な患者負担、医療費総額の増大とならない制度設計・制度運営を行うこと。
A 過重な薬剤使用を抑制できる仕組みを組み合わせること。
B 画期的新薬等の給付基準額の検討。また、新薬の開発促進、後発品育成を図る産業政策を講じること。
C 薬剤の流通実態、取引価格の整備を図ること。
D 適切な技術料、薬剤管理コストの評価を行うこと。
E 必要に応じ見直しを行うなど制度の弾力的な運用を図ること。
<反対する意見>
反対意見は、糸氏副会長(後掲)と鴇田一橋大学教授で、鴇田委員は、概要次のように述べている。
「薬剤定価・給付基準額制に対する批判的意見がこの意見書には必ずしも忠実に反映されていない。本来、審議会の意見書は委員自身の手によって起草されるべきだが、本部会では部会長と厚生省事務局が作成している。そのために意見書の内容は、厚生省の推進したい薬剤定価制を支持する方向で一貫し、反対の意見はごく一部で、その趣旨を理解せず、あるいは意図的に無視して記述されている。
薬価基準制度を廃止して、薬剤定価制を導入することは、流通マージンを公定すること、現実的には自由な薬剤価格設定を許さないことなどから、規制緩和の流れに逆行するだけでなく、政府の介入の余地を拡大してしまう。さらに、医療費の削減効果が期待できないだけでなく、将来の日本の産業組織に重大な打撃を与えるという点で、制度改悪といわざるを得ない」
| 日医が反対する五つの理由 |
日医は、次の理由により「薬剤定価・給付基準額制」(いわゆる参照価格制度)に反対する。
現状認識の基本的誤り
わが国の薬剤に係る制度については、@不適切な薬価設定A不透明な医薬品認可や薬価算定のプロセスB非能率な許認可体制C不十分な薬剤情報提供体制等多くの問題点が指摘されてきた。行政当局は、それらの問題をすべて制度と医療界、薬業界、患者等の責任にしてしまったうえで議論を進めてきた。それを正す最大の責任は行政自身にある。しかるに自らを省みず、もっぱら他にその責任を転嫁する行政当局の現状認識は明らかに間違っている。
新たな公定価格の設定
次に行政当局は自らの責任を忘れ、あたかも評論家のごとき立場を装い、「ゆがんだ行動」の原因は薬の価格を公定する薬価基準制度にあるのだから、公定価格の仕組みを廃止すべきであると主張している。これは明らかに欺瞞である。公定価格の仕組みの廃止とは、現行の薬価基準は廃止するが、より行政に都合のよい新しい公定価格制度、すなわち給付基準額制を設けようということである。
これは、患者にとって、現在より、はるかに重い負担の厳しい制度となる。薬剤給付を現物給付の対象からはずすことは、患者の医療を受ける権利への侵害に他ならず、国民にとっては、あまりにも大きすぎる不当な負担といわざるを得ない。
一方、この制度の実施には、薬価差を認めた方がはるかに設計しやすいので、行政当局は当初の「薬価差悪玉論」から急遽「薬価差善玉論」に論旨を転換したのである。
給付基準額制度はきわめて強力であり、混合診療導入の突破口になるのみならず、究極的には行政当局の判断次第では、保険からの薬剤給付を零にする可能性すら内包しているのである。また、この制度を導入することによって薬剤の価格が下がるという保証は何もないのである。
このように、給付基準額なる新たな公定価格は、患者に厳しく国や企業に甘いという二面性をもったきわめて危険な制度である。
技術料のように公定価格が必要なら、堂々とその論陣を張るべきである。不透明な誘導による公定価格は、不正な流通システムを生むだけであり、現行薬価基準制度の二の舞となることは火を見るよりも明らかである。
「薬剤定価・給付基準額制」概略図

質と価格による患者主体の薬剤選択という欺瞞
今まで国民は行政当局を信用して、高い薬には高いなりの意味(質)があると思ってきた。もしそうではないというのであれば、その理由を明らかにし、国民の誤解を解く弁明をすべきである。あるいは、価格決定権は行政にあるのだから、価格を修正すればよい。薬剤情報の提供や価格の訂正はすぐ実行すればよい。それだけでも大改革になる。薬価制度の改革を伴わなければ、薬剤情報の提供ができないというのは欺瞞である。問題は、やる気があるかどうかである。
次に「薬剤の分類」についてである。わずか四品目の分類体験しかもたず、方法論的に不確実なものをいきなり臨床に応用できる、それも全面的に応用できるとするのは粗雑過ぎる。薬剤分類学の今後の進展を待つべきである。
次に「選択」についてである。報告書では、選択はほぼ同一の質であれば、価格だけで行われてしかるべきという考え方に基づいているようだが、大衆薬を見ればわかるように、現実には消費者の低価格志向は見られないことに注目すべきである。選択には、過去の体験、周囲からの情報、固体特異性、薬の副作用等、複雑な要因が絡み合う。勝手に行動基準を設け、その行動基準どおりに消費者が行動しなかったことを理由にペナルティーを課そうというのは、考え方として根本的に間違っている。
始めに結論ありきの審議会運営への不信
原案は「日本型参照価格制度」から始まり、「たたき台」、「薬価定価・給付基準額制」と次々に変わったが、一貫性があったのは、いずれの案も「国や企業の負担を減らし、患者の負担を増やす」という視点のみであった。
審議の途中では、この視点を支持・強化する意見は、思いつき程度のものでも即座に採用された。一方、エビデンス不足を指摘したり、原案の方向とは違う根拠を示したりする意見は、無視あるいは黙殺された。
「薬剤定価・給付基準額制」案に不退転の決意で賛成している人はほとんどいない。むしろ、「とにかくやってみよう。失敗したら元に戻せばよい」というような、逃げ道付き賛成派が多数だった。
まず結論ありきで、議論のアリバイ証明のための審議会。これが「国民の望む審議会」といえるのか。
対案検討の欠如による不公正
審議会では、厚生省案を通そうとするのに汲々として、対案検討はなおざりにされ、比較表すら作成されなかったのが実態である。
日医は、公定価格の仕組みを完全に廃止し、薬価差を解消する「医薬品現物供給制度」を提案したが、「医療機関が薬剤に係る金銭のやりとりから身を引けば、薬剤の過剰投与が生じる」などと訳のわからない理由で排除された。しかし当初から、医療機関が薬剤に係る金銭のやりとりをするから薬価差という諸悪の根源が発生すると非難し続けてきたのは誰だったのか。当初の理念からおよそかけ離れた結論に誘導されている。対案を真剣に検討する姿勢がほとんどなかったことは、この審議会の権威に関わるものである。