日医ニュース 第902号(平成11年4月5日)
心に残る医療 |
第17回 私の体験記コンクール
「第17回心に残る医療―私の体験記コンクール」(日医・読売新聞社共催)の表彰式が,2月25日,都内のホテルで行われ,坪井栄孝会長,石川高明副会長,櫻井秀也・山田統正両常任理事が出席した. 冒頭,主催者としてあいさつに立った坪井会長は,「現在,診療情報の開示が取りざたされているが,それには患者さんと医師の深い信頼関係があって,はじめて有効に機能するものである.これからも,その信頼関係の構築に努め,日本の医療を発展させていくことをお誓いする」と述べた. つづいて,堀川吉則読売新聞社専務取締役のあいさつ,来賓祝辞のあと,山田常任理事が次のようにコンクールの経過を述べた. 「昨年の9月中旬に募集を開始し,12月21日に締め切り,その結果,2,205編の作品が寄せられた(そのうち,介護が386編).第一次審査で150編に,第二次審査で30編に絞られ,2月3日に最終審査が行われ,本日表彰の各賞が決定した」. 引き続き表彰に入り,厚生大臣賞,日本医師会賞,読売新聞社賞,アメリカンファミリー賞,介護特別賞の5賞,そして,佳作の順で賞状,副賞が授与された. 最後に,斎藤茂太氏による審査講評があり,式典を終了した. |
入賞作品 |
「僕,修学旅行に行けなくても,もう泣かないから」「あっ,本当?ありがとうね.そういってくれると,先生も助かるなあ.早く良くなるといいね」といって,主治医のT先生は僕の頭をなでてくれました.うれしくなりました.先生の手は,丸くて大きい感じがしました.
4月14日,僕は血小板が減って3回目の入院をしました.6年生になって,まだ1週間しか学校に行っていないのに,また入院でがっかりしました.それに,16日後には修学旅行があります.とてもあせりました.僕は毎日先生に,「旅行に行きたい」といいました.クラスの友だちも「一緒に旅行に行けるように」と千羽づるを折って応援してくれました.お母さんと先生が何回も話をしていました.
ある日先生が「旅行には行かれない」ことをいいました.せっかく新しいリュックサックやズックも買ってあったのに.5年生の時からあんなに楽しみにしていたのに.修学旅行に行けないなんて,絶対に我慢できない.くやしくて悲しくて泣きました.看護婦さんも家族もなぐさめてくれたけれど,ずっと,ずっと泣いていました.
僕は,次の日から,回診の時も先生に返事や話をしなくなりました.お母さんに,「旅行に行けないからって,先生が悪いんじゃないでしょ.先生だって孝樹が旅行に行けるようにと,いろいろ検査もして,お薬のこととか考えてくれてるでしょう」と注意されました.そんなこと,分かってるし,自分の病気のせいなんだけど,自分でも気持ちをどうしていいのか分からなくて,本当は優しくて,おもしろい先生のことが大好きなんだけど「行かれない」といった先生が悪いことにして,口をききませんでした.やっとのことであきらめた時,先生は僕が返事とかしなくても,嫌な顔もしないで,いつも同じで優しく話しかけてくれていたのに,悪いことをしたなあと思いました.そこで先生に「もう泣かない」といいに行きました.すると「ありがとうね.早く良くなるといいね」といって,僕の頭をなでてくれたのです.入院してから一週間しかたっていないのに,とても長く感じました.時々,泣きたくなったけど,約束どおり,退院までの1カ月,我慢しました.
入院中,骨髄検査があり,先生は,僕がもう6年生で大きいからと,僕にも説明してくれました.少し偉くなった気がしました.そして,「痛いけど我慢してね」といったけど,検査はT先生がしてくれたので,全然怖くありませんでした.2回目の検査の時,僕は大好きな「ドラえもん」のマンガ本を見ていました.子ども好きで明るくてやさしくて,丸い顔と手と腹.「なんか,T先生とドラえもん,似ているなあ」と思いました.こっそり「Tえもん」とあだ名をつけました.
僕が入院した5病棟では,病気の看護のほかに食事の世話や体をふいてあげたりとか,泣く子どももいるし,ブザーが鳴ると看護婦さんたちは走り回っていました.先生たちも夜遅くや早朝,病棟にいることもありました.とても大変そうで忙しそうなのに,僕たちがさびしくないように,いろいろと親切にしてくれたり,話しかけてくれました.
退院後,運動会では半分の種目だけれど,出場できました.障害走「親子のきずな」では,ひさしぶりで思いっきり走り,僕とお母さんは両手を挙げて,派手に1位でゴールしました.次の日,外来でそのことを話すと「へえー.すごいね.記念にカルテに書いておこう」といって,本当に「障害走,親子のきずな1位」と書き込みました.僕は「あららららー」といって笑いました.看護婦さんもお母さんも笑いました.やっぱりおもしろい先生です.その日の宿題の日記に病院でのことを書くと,担任のE先生は,「孝樹君は,うれしいことがいっぱいあって,まわりのみんなもやさしくて幸せですね」と返事を書いてくれました.
僕はミニバスケット部に入っていたけど,病気になり,激しい運動はできないので退部しています.この間,今年最後の試合があり,友だちの応援に行きました.みんな頑張って走り,プレーしているのに,僕だけが応援席にいて,とり残されたようで,とてもさびしい気持ちになりました.でも,その後の外来で,先生の顔を見て,優しくおなかをさわられたら「治ったら何でもできるさ」と思えて,元気が出てきました.不思議な先生です.
僕は病気になり,くやしいこと,悲しいこと,さびしいことなど,いろいろありました.でも,自分が病気でつらい時,優しくしてもらうと,普段よりとてもうれしくなることも分かりました.僕は,恥ずかしくてなかなか声をかけてあげることができないけれど,でもいつか,先生たちみたいに優しい人になりたいです.僕も大きな手の人になりたいです.
入賞者一覧 |
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厚生大臣賞 日本医師会賞 読売新聞社賞 アメリカンファミリー賞 介護特別賞 |
佳作 「それが医者の使命だから…」 「1枚の千円札」 「与えられた勇気」 「私の老老介護録」 「『父,臨終の時』 「明かりの時」 「1998年春夏秋・ 「『守る』ということ.」 「軌跡」 |
(応募総数2,205編)