日医ニュース 第914号(平成11年10月5日)

プリズム

祭りに思う

 先日,都心の街角で祭りの御輿に遭遇した.猛暑続きの夏だったが,気が付いてみると,もう祭りの季節である.無論,御輿の通り過ぎるまで,街中の交通は渋滞する.しかし,それを眺めている通りがかりの人々に,さして迷惑そうな様子は見られない.
 本来,街は生活の利便性・合理性を求めてつくられたものであるはずだが,そのなかを堂々と,非合理のかたまりのような御輿が,大騒ぎしながらまかり通っている.しかも,人々はそれを和やかに許容している.
 つまり,その場の雰囲気は御輿をかつぐ人,それを眺める人とを問わず,お互いに共有する「まつり感覚」一色に彩られているのである.
 ところで,世の中は,どんどん管理社会へと変貌しつつある.コンピューターが,それにいっそう拍車をかけている.それにつれて,精神の異常としか思えないような不可解な犯罪が増加し,一方では,得体の知れぬオカルト宗教がまたもはびこりつつある.
 なぜそうなるのか考え出せばきりがないが,多分,ロボットのように合理的管理に身をまかせっ放しという日常には人は耐えられない,ということも一因ではあるだろう.
 「管理と祭り」,この二つは恐らく相補性をもっており,その一方に傾くことは,個人にとっても,くににとっても,たいへん危険なことに違いない.
 なぜ,政治が「まつりごと」だったのか,ぜひ,くにの中枢にいる方々には考えていただきたい.翻って,人を扱うわれわれの医療の現場も,単に合理的・科学的であればよいというわけにはゆかぬことを,この祭りの光景を眺めながら改めて考えさせられた.


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