日医ニュース 第921号(平成12年1月20日)

坪井会長
ハーバード公衆衛生大学院長と語る
21世紀は,予防医学の時代へ

新春対談

 日医とハーバード大学とは密接な関係にある.一九八三年,武見太郎元日医会長の名を冠した,「武見国際保健プログラム」がハーバード大学公衆衛生大学院に設置され,以来,世界各地から毎年十名前後の若手研究者がフェローとして研鑽を積んでいる(日本からも毎年二名参加).坪井栄孝会長は,折あるごとにこのプログラムを視察し,フェローとの交流,関係者との協議に努めてきた.今回,ブルーム学院長の来日を機に,改めて,氏の専門分野である公衆衛生学について国際的な包括的ビジョンを展開してもらった.

坪井 お久しぶりでございます.日医にようこそおいでいただきました.
ブルーム 昨年四月,坪井会長が,チリで開かれたWMA(世界医師会)の中間理事会に出席する途中でハーバード大学に立ち寄っていただいて以来ですね.
坪井 ハーバード大学公衆衛生大学院の武見プログラムは,その創設に当たり武見太郎会長(当時)が尽力されたもので,このようなプログラムを最初からつくろうと思ったら,それこそたいへんな努力が必要となります.私にとりましては,すでにできているものを活用させていただくことができるという点でありがたいことです.これからも支援を続けていきたいと思います.
ブルーム ありがとうございます.ハーバード大学でも,非常に素晴らしいプログラムだと思っております.武見プログラムができたおかげで,ほかの同じようなプログラムもスタートさせることができました.そういった意味で大きな刺激になっています.
坪井 そういっていただくと,本当にやりがいがあります.
 すでにご承知でしょうが,過去の武見フェローを中心に,武見記念シンポジウムを東京で開催する計画を企画していますので,ぜひ,ご協力をいただきたいと考えております.
ブルーム それは素晴らしい企画ですね.このシンポジウムを新たなるミレニアムに行うことは,新しい世紀に向かって,いろいろな問題を提起していくという意味で,重要だと思います.私どもも,できるかぎりのことはお手伝いさせていただきます.
坪井 このシンポジウムで取り上げるべきテーマについて,何かお考えがおありでしょうか.例えば,「二〇〇〇年からの国際保健」というような……
ブルーム 私のほうから三つほど提案させていただきたいと思います.これから起こってくる問題ですので,このテーマに盛り込んでいただければ光栄です.
 その一つとしては,疾病を予防するという意味で,公衆衛生の評価の問題.日本で初めて公衆衛生の大学院が正式にスタートするとお聞きしましたが,その観点からすると,一般の人が公衆衛生と疾病の予防との関連というものを,今一歩明確に理解していないのではないかと思います.
 二つ目は,日本やアメリカだけではなく,ほかの先進諸国でも同じような問題を抱えていますが,高齢化の問題です.いかに,高齢者に対しての医療を改善していくかということが問題だと思います.
 三つ目は,ゲノムの問題です.国際的な公衆衛生を考えた場合,どのように対処していくのか,不平等をどう解決していくのかという問題だと思います.
坪井 ありがとうございます.いずれも貴重なご意見だと思います.これらを参考にして,シンポジウムのテーマを絞り込んでいきたいと思います.

公衆衛生の役割とは

坪井 次に,先生のお書きになった「公衆衛生の権利法」に関する論文について,お話しいただきたいのですが……
ブルーム これに関して三つの資料があります.一つは,ニューズウィークに掲載されました私の論文です.二つ目は,これはまだ正式なものではありませんが,私が二年間かかわってきましたUNAIDS(国連合同エイズ計画)の倫理上のガイドラインです.
 日本でも,国際保健の重要性というものを国内の政策に取り込んでいく方向にあるとお聞きいたしました.ただ,アメリカでは,非常に物議を醸しだしているところです.そういった観点から,「インスティテュート・オブ・メディシン」と「ナショナル・アカデミー」に対しての意見を掲載した本が,私の編集で出版されています.アメリカの議会にも,国際保健に関する政策の参考文献として提出しております.お役に立つと思いますので,ぜひご覧ください.
坪井 ありがとうございます.実は,ニューズウィークの論文は,われわれにとってはアップツーデートなものであり,興味がある問題です.しかも,ブルーム先生のご意見が,われわれにとってはきわめて有益なものですから,これについて少しお話しください.
ブルーム ヘルスケアについては世界のどこの国と比較しても,やはりアメリカが一番お金を使っております.今,このヘルスケアに使われている,一兆ドルという年間費用は,大部分がすでに病気になった人の疾病を治すという目的で使われているわけです.
 ただ,アメリカは,ヘルスケアに関してのコストは非常に高いといいながら,予防医学のほうにはほとんどお金を使っておりません.もちろん,公衆衛生の大きな役割というのは,予防だと思っております.
坪井 おっしゃるとおりです.
ブルーム この記事のなかにも書いておりますが,正式に発表されているアメリカにおける死亡の原因は,心臓病が三分の一,がんが四分の一,それと感染症,あとは事故,けがなど,そういうものが一四%という数字が挙げられています.
 しかし,本当の意味での死亡の原因は何かといいますと,五人のうち一人は,やはり喫煙が原因で死亡しているというのが現実です.それとともに,無理なダイエットや運動不足などの理由で一四%,そういったことが挙げられます.
 アメリカでは,年間に二百万人が死亡していますが,そのうちの半分は,きちんとした予防医学,啓発活動,また公衆衛生を行うことによって減らすことができる,つまり百万人になるということです.
坪井 先日,WHO(世界保健機関)のブルントラント事務総長がおいでになったときも,やはりたばこのことを心配されて,日本の喫煙率の高いことを指摘しておられました.私も疾病予防のための必要性を強く感じている一人なのですが,たばこによって健康が阻害されたという,詳しいデータを入手できるような状況にあるのでしょうか.
ブルーム その点こそ,アメリカでも,まず最初に発せられる質問です.政府の高官が,最初に喫煙と肺がんの関連性を報告したときに,多くの企業および人々が質問をした内容が,本当に科学的な裏付けのデータがあるのかということでした.ハーバード大学のジュリアス・リッチモンド名誉教授は,十五年間喫煙に関する科学的なデータを蓄積して,その結果として,喫煙というのは肺がんのみならず,例えば,冠動脈心疾患とか心臓病を引き起こし,また,三分の一の直接または間接的ながんの原因になっているということがわかっております.
 現在,アメリカでは,たばこ会社を相手取って,法律的な裁判を起こして訴えている人がいますが,たばこ会社のリーダーでさえも,昨今では,そういったデータを隠していたという事実は認めています.
坪井 日医が,たばこの害を何とか防ごうという活動に対して,組織としての関心が低かったという点では反省しております.今年からそれをアピールしていこうと考えています.
 それで,今,お聞きしたような,科学的な根拠をしっかりと出して国民を説得していくということも大事ですが,私には政府を説得していかなければいけないという大きな仕事があります.ブルーム先生にとっては驚くべきことかもしれませんが,これは大きなプロジェクトになると思います.
 やはり,医学的な立場から,たばこの健康阻害に対する影響度の強さというものをどんどんアピールしていきたいと思っております.それについて,また,先生のお手元のいろいろなデータでお教えください.

たばこの常用性と青少年の喫煙

ブルーム チャレンジすることは非常に大切です.
 私が,ある著名な科学者から聞いた話によりますと,ニコチンは最も常用性の高い物質で,ヘロインやコカインよりも強いということです.十代のころに,それに少しでも晒されると,つまり喫煙を開始すると,止めることがきわめてむずかしくなるということです.
 一方で,十三歳から二十四歳までの間にたばこを吸わないと,その九五%の人がそれ以降も吸わないといわれています.このことから,活動の焦点を十代の青少年の喫煙を予防することにおく必要があります.それは困難なことでしょうが,私は,メディア,例えば,映画,テレビや広告を通じて,十代の青少年の生活態度を変えていくことができると思っています.
坪井 今の話はおもしろいですね.私ももう三十年間ぐらい,中学生の子どもたちに啓発講演をしてきています.そのデータが,二〇〇五年になりますと,最初に私が話した子どもたちが四十歳になりますので,それをコーホートとして,肺がんの発生率を調べようと思っているのです.そのデータが出ましたら,ぜひ,ご意見をいただきたいと思います.たばこを始める時期をいかにして抑制していくかというのも,一つの効力のあることではないかと考えているのですが,今のお話とはまた違う局面なのかなと感じました.
ブルーム おそらく違うでしょう.日本では何歳ぐらいからたばこを吸い始めるのですか.
坪井 だいたい,始めるピークが十七,八歳くらいです.小学生のころから吸っている子どももいますが,常用する人たちが一番多いのは十七,八歳です.でも,調査データからわかったことは,早い子どもは七つか八つくらいから喫煙習慣があります.
ブルーム アメリカでは年齢がもう少し早いと思います.
坪井 そうでしょうね.
 ただ,十七,八歳ぐらいから始めて,さらに二十歳に達するまでに,少し喫煙者数が増えるわけですけれども,それから先はあまり変わらないのです.
 日本の場合,大きな問題になっているのは,女性の喫煙率が非常に高くなってきたということと,それから,いわゆるパッシブ・スモーキングに対する認識が低いということ.この二つが,私は日本の喫煙対策のなかで大きなポイントだと思っております.これから後の対策としては,そういうところに少し力点を置いて,いろいろ啓発をやっていきたいですね.
ブルーム 会長のおっしゃるとおりです.それを予防するのが,非常に重要だと思います.
坪井 女性の場合には,特に胎児への影響,それから生まれた後の子どもの成長に深い関係があるというデータも入手していますので,そういうところでアピールしていかなければいけないと考えています.
 少し専門的なところに入り過ぎましたので,話題を変えましょう.

公衆衛生の権利法

坪井 先生の論文の内容に戻りますけれども,このなかで,私にとって最も関心のあるのは,「公衆衛生の権利法」(Public Health Bill of Rights)の問題です.これについて少しお話しいただけませんか.
ブルーム 幅広い話になりますが,患者というのは,まさにフリーエージェント,自分でものごとを判断できるべきだと思っております.それは,もちろん,いろいろな情報を得て,それを基に判断するということになりますが,ご存知のとおり,製薬会社が新しい薬を開発したり,ワクチンをつくったときには治験を行います.治験を行うときには,やはり,きちんとした倫理を基にして管理されて,なおかつその治験に対する被治験者というのは,その人自身しか合意することができないものだと思います.私ども医学に従事している者としては,人々に十分理解できる状態で情報を提供する,説明をするということが重要だと思います.
坪井 同感です.
ブルーム 二つ目の権利というのは,自分が治験に参加するかどうかという判断をするための情報を得る権利とともに,予防医学に対する情報の提供を得るということが必要です.
 例えば,実際にたばこを吸い続けると喫煙者がどういった影響を受けることになるか,それと労働災害,すなわち自分の働いている環境のなかでどういった問題を生むのか,そういったことに対しての情報をきちんと提供していくことが重要だと思っております.
坪井 確かにそのとおりです.
ブルーム 次の権利は,女性自身が家族計画を立てられるように,その権限を与える.そして,子どもが生まれた場合に,その子どもがヘルスケアを受けられる権利を与える.病気を予防するという意味では,かなりのヘルスケアのコストの削減にもなりますし,重要な疾病を前もって予防するという意味では役に立つと思います.
 やはり,子どもというのは,いろいろなワクチンなどを受けてでも,免疫をつくることが必要です.それをすることによって,医療のコスト効率が非常によくなります.つまり,医療行為でお金を使うのではなくて,その前の段階で疾病を防ぐということが大切なのです.ワクチンに一ドルを使うことによって,疾病でそのコストとして支払う十三ドルから二十一ドルぐらいを使わなくて済むようになるはずです.
坪井 これはまだ法律としては,完全にはでき上がっていないのでしょうけれども,上院に行って可決されるという可能性が強いと考えてよろしいのですか.
ブルーム いいえ,その可能性は低いと思います.
坪井 なぜそういう質問をするかといいますと,アメリカで決められた制度がありますと,日本もすぐ導入したがるので,私にとっても影響が強いのです.
ブルーム 先に日本でやっていただいたほうが楽ではないでしょうか.
坪井 日本のなかにも,今,患者権利法というものが必要であるという議論がありますが,それに対してのわれわれ側の理論構築のため,先生のこの公衆衛生の権利法の論理を使わせていただきたいと思います.
ブルーム もちろん,アメリカでは患者の権限を守るということで,患者の権利を法律化しようとしておりますが,それを法律化したとしても,医療そのものの質というものは変わらないと思います.生命がそれで救えるわけではないでしょう.むしろ,こういったものを法律化することによって,会社に対して訴えるという,そういった権限を与えることになるのですから,まさに弁護士に対しての権限を与えているようなものだと思います.
 それよりも,私が申し上げたいのは,コストをそんなに使わず,予防医学のほうに力を注ぐべきだということです.
坪井 まったく同感です.もう少しそのあたりのポイントについて,先生のお話を承りたいのですが…

ヒトゲノムと医の倫理

ブルーム 今後の新しい世紀を迎えるに当たって,かなり懸念されることがありますので,それを会長とちょっとお話しさせていただきます.
 今,ヒトゲノムのプロジェクトをやっておりますが,今後,二十五年ぐらいの期間を見ると,これは医学にとってかなりの影響が出てくると思います.これから出てくる制約というのは,遺伝子の配列が明確になった時点で,ある特定のものをターゲットにした場合,例えば,子どもが生まれて,その潜在的な遺伝子で,アルツハイマーとか心臓病など,そういった因子を持っているとなると,それに合わせた形で予防する,また,対策を取るという事態ができてくると思います.
 これにはもちろん利点はあるのですが,大きな危険性もあります.というのは,富める国は,そういった特殊な薬をその人の必要なものに合わせて開発し,その目的のためにつくっていく,また,それを使うことができるわけです.しかし,貧しい国との格差というのはどんどん広がって,かなり大きなギャップができてしまいます.これは残念なことですが,確実にそうなるでしょう.
坪井 まったくそのとおりで,きょうもそのお話をお聞きしたいと思っておりました.確かに,富める国と貧しい国との落差は,もうすでに起きてしまっており,日本も富める国のような顔をしながら,ヒトゲノムに関してはアメリカよりも遅れています.ですから,日本では,現に,その特許を高いお金で買わなければいけないような状況が起きてきていますので,何とか早い時期に日本としての考え方をまとめなければいけないと考えています.
 私がさらに心配しているのは,遺伝子の呼び出しが,ここ二,三年の間にすべてできるというようなことですから,すべての遺伝子情報を正確に把握しないうちに,やみくもな遺伝子操作が行われると,ヒトゲノム計画が原子核を操作したときと同じような結果になりはしないかということです.この点については,国際的にはどのように考えられているのでしょうか.
ブルーム そういった時代になりますと,まさに医学に従事している人がリーダーシップを発揮していかなくてはならないのだろうと思いますが,その点については,先ほどお話しした私が編集した本のなかにも書かれています.
 まずは,正義とか公平ということがきわめて重要であることを強調していきたいと思います.人には同じようなチャンスを与えるべきだといいますが,残念ながら,貧しい人たちが現にいるわけです.いかに富める人たちが,そういった人たちに自分たちが持てるチャンスを与えていけるかということだと思います.
 また,アメリカは富める国として,海外の貧しい国に対しての援助をしていかなくてはいけないのです.世界中では,何億人もの子どもが飢えているというその現実を見ながら,自分たちが豊かだということをいってはいられない.そういった意味で,やはり富める国がそのリーダーシップを取り,それでなおかつ製薬会社のようなところを育てて,そのような貧しい国に対しての協力をしていく必要があります.
 その点では,日本は外交政策として,かなりそういったところに援助をしていますので,アメリカももっとそのような政策を打ち出していくべきだと思っております.
坪井 ヒトゲノム計画の問題もそうですが,今,日本では植物ゲノムの問題が新聞紙上で議論されて,興味の対象になっております.ゲノムの話というのは,倫理の問題としてわれわれは考えなければいけない時代がもう来ているだろうと思います.先生は,倫理の問題では国際的に権威のある方ですから,いずれ先生からゲノム計画と人間としての倫理の問題について詳しいお話も聞きたいと思います.今度,私がボストンにおじゃまして講義を受けたいと思います.
ブルーム ぜひ,楽しみにしております.
坪井 本日はお忙しいところ貴重なお話をお伺いすることができ,ありがとうございました.ハーバード大学と日医との友好ならびに協力関係が,これからもさらに強まっていくことを望んでおります.また,先生のさらなるご活躍を願っております.
ブルーム ありがとうございます.

バリー・ブルーム学院長 略歴 Prof. Barry Bloom
 ブルーム学院長は,アルバート・アインシュタイン医学校微生物学・免疫学部長,ハワード・ヒューズ医学研究所研究員,アメリカ免疫学会会長等を歴任するなど,アメリカの政府機関およびWHO等国際機関において主に予防医学に関する研究活動に従事し,1998年ハーバード大学公衆衛生大学院長に就任した.最近の研究分野として,AIDSワクチンの探求における倫理上の問題,国際保健の向上に関する途上国への関与,結核の病因論を取り上げている.


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