日医ニュース 第941号(平成12年11月20日)

第53回日本医師会設立記念医学大会
受賞者の横顔

 第五十三回日本医師会設立記念医学大会の席上表彰された日本医師会最高優功賞のうち,都道府県医師会長推薦による「医学,医術の研究により医学,医療の発展又は社会福祉の向上に貢献し,特に功績顕著なる功労者」の横顔を紹介する.

高齢者対策に貢献した医師会
福岡県 北九州市若松区医師会(中村一規会長)

 北九州市若松区医師会は,高齢社会対策において,全国に先駆け,平成五年五月に「訪問看護ステーション」を,同年十二月には全国初の医師会立「在宅介護支援センター」を誕生させた.
 ちょうどこのころ,北九州市では,高齢化社会対策総合計画として,各区に保健・医療・福祉・地域連携推進協議会が設置され,若松区では,会長に代々若松区医師会長が就任して,この会を引っ張ってきた.
 この推進協議会の下部組織としての「地域ケア研究会」では,平成六年九月より保健・医療・福祉の関係者が集まって,事例を中心とした熱心な討論が行われている.
 さらに若松区医師会内の「痴呆ケア小委員会」が発展して,平成十年四月より推進協議会に所属する地域団体も参加した「痴呆ケア推進協議会」へと発展した.
 また,平成十二年四月から発足した介護保険制度への対応として,「ヘルパーステーション」を設置して,「在宅介護支援センター」「訪問看護ステーション」と三位一体で保健,医療,福祉の中心的役割を担っている.

学校保健活動に貢献した団体
長崎県 佐世保市医師会保健センター(池田保明代表)

 佐世保市医師会では,昭和四十七年から学童の心臓・腎臓検診を始め,翌年に佐世保市医師会学校保健センターを設立し,現在,市内全公立小・中・高校七十二校の検診を実施している.平成十一年までの検診総数は,心臓検診二十二万三千百四十五名,腎臓検診八十五万七千三百四十三名で,心疾患七百七十名,腎要管理者九百九十名を小・中・高校を一貫して管理指導している.
 昭和五十四年に「心臓・腎臓検診実施要項」(佐世保方式)を作成.その後,毎年,検診方法,判定基準管理システムなどを検討し,検診の充実と向上に努めてきている.昭和五十四年,心電図自動解析装置を導入し,診断精度を九〇%から二年後に九五%に向上させた.六十三年から心電図,心音図自動解析装置を導入,ソフトの改善を行い,正診率九七〜九八%と向上させ,検診の普及と効率化に役立てた.また,近隣市町村の心臓・腎臓検診の指導・普及に努める傍ら,校医,養護教諭,保護者に対する講習会を通じて相互理解を深め,教育委員会との連携を密にして検診体制を整えている.

生涯教育活動の推進に貢献した医師会
鹿児島県 姶良郡医師会(西 清文会長)

 姶良郡医師会は,早くから生涯教育活動の推進に努力を重ねており,昭和四十五年五月には姶良郡内科医会を設立,四十八年十月には姶良郡胃レントゲン読影会,平成二年には大腸がん等消化器病のケースカンファレンスを始めるなど,毎月,中断することなく勉強会を開催し,内科医会,愛胃会ともに,すでにその開催数は三百回を超している.昭和六十三年一月から,毎月十四日を「医師の日」として生涯教育講座を開き,すでに百五十回を迎えている.その他腹部エコー,漢方等の勉強会を開催し,多大な成果を上げている.
 また,毎年,郡医師会総会後に定期的に春秋の医学会を開催,春季医学会では大学病院教授が特別講演,秋季医学会では会員独自の発表形式による学会を行い,その発表内容は医学会誌として,国立国会図書館に登録している.
 その他,全会員参加による学校医・園医会を平成三年三月に組織し,学校保健活動におけるさまざまなテーマを取り上げた勉強会を現在までに二十六回開催するなど,医師の生涯教育の推進にかかわる当医師会の活動は,誠に目覚ましい.

学術事業の充実に貢献した功労者
埼玉県 桂  保平先生

 大正十四年生まれ(七十五歳),昭和二十三年前橋医学専門学校卒業.
 昭和三十六年現在地で桂耳鼻咽喉科医院を開設.昭和四十九年に草加八潮医師会副会長に就任,五十五年からは埼玉県医師会理事,平成元年から同常任理事等を歴任して現在まで長年の間,地域医療体制の充実・整備に努めてきた.
 主な事項としては,会員の医学知識向上を図るため,生涯研修に全力を注ぎ,特に日医生涯教育制度の重要性を強く訴え,会員の学術集会等への参加を促すなど,平成八年度の同県医師会の申告率が三六%であったものを平成十一年度には五七%まで引き上げ,同制度の啓発と普及に果たした功績は多大であった.
 さらに,埼玉県医学会総会では,担当責任者として,最新かつ話題性豊かな企画を盛り込んで,会員の医学・医術の向上に大きく貢献した.
 平成十年には,同県医師会が開催した第二十一回日本プライマリ・ケア学会において,その運営面における総括責任者として企画・立案に参加.約二千六百名の参加者は,同学会始まって以来の快挙となった.

がん検診に貢献した功労者
東京都 富田 利夫先生

 昭和五年生まれ(七十歳),昭和二十九年東京慈恵会医科大学卒業.
 昭和四十二年九月,東京都葛飾区に医院を開設.平成五年から十一年まで,葛飾区医師会肺がん検診班代表世話人.
 葛飾区医師会には,昭和四十二年に始まり,平成十二年で三百五十六回を数える胸部X P集談会がある.この会が,昭和六十年度から個別方式による肺がん検診に発展した.富田氏は,計画立案の段階から参加し,精度管理に関する統計処理などの実務に従事した.平成五年度から第二代代表世話人として,肺がん検診全般を統括し,各年度の報告書を作成して「葛飾区医師会だより」に掲載した.また,「日本醫事新報」学術欄に投稿して,都市型個別検診のモデルとしての「肺がん検診葛飾方式」を広く世に問う努力を続けた.
 平成十年に代表世話人を辞任したが,この間七年二月の「肺がん検診読影従事者講習会」で講師を務め,八年十二月の「第十二回肺がん検診セミナー」に参加して,葛飾区医師会肺がん検診班のそれまでの成績を発表するなど,対外的にも活躍している.

情報システムの推進に貢献した功労者
神奈川県 堀江 政伸先生

 昭和七年生まれ(六十八歳),昭和三十二年日本医科大学卒業.
 卒後,日本医科大学外科入局,昭和四十二年同講師,昭和四十四年から伊勢原市において堀江外科医院を開設.平成三年,秦野伊勢原医師会副会長・神奈川県医師会代議員.
 地域医療において,休日・夜間の二次救急を積極的に担い,さらに,伊勢原市三師会会長として,行政との協力のもとに取り組んだ災害救助対策は称賛に値する.
 また,長年,学校医を務め,学校医会理事・学校保健会理事,伊勢原市教育委員あるいは教育委員長として,青少年の心身の健康に心を砕き,専門的な観点から健康教育の重要性を説いている.
 この間,昭和六十一年に東海大学と秦野伊勢原地区医師会員を中心として発足した光カード研究会では,その中心メンバーとなり,光カードの健康情報を地域に役立てる研究を行った.これが,後の伊勢原市健康・福祉情報システム研究会へと発展し,その会長として大学・行政との連絡や調整に邁進するとともに,毎年,年報を発行し,全国的にも注目を浴びている.

医療政策の推進に貢献した功労者
新潟県 松元  寿先生

 大正十四年生まれ(七十五歳),昭和二十三年新潟医科大学卒業.
 昭和三十四年,眼科医院開業.昭和四十年から新潟市医師会理事,平成三年から十二年にかけて新潟県医師会の副会長,会長を歴任.平成二年から日医代議員,日医理事を歴任し,現在は裁定委員.
 新潟県医師会長として,新潟県の広域災害・救急医療情報システムと日常の救急医療情報システムを管理する「新潟県救急医療情報センター」を平成十年十月より県医師会館内に設置し,県内八十二医療機関の参加で,一年三百六十五日休みなく,一日二回最新の正確な情報を把握し,県内の救急医療体制を整備した.
 平成六年の予防接種法改正に伴い,接種率の低下が危惧されたため,全国に先駆けて,「いつでも だれでも どこでも」を合い言葉に,広域的な個別予防接種体制の確立を計った.
 平成三年から十二年まで,財団法人新潟県成人病予防協会の常任理事や会長を努め,県内の百十二市町村で生活習慣病に関する普及活動,がん検診など各種検診事業の実施と精度管理などに取り組んだ.

地域医療活動に貢献した功労者
岐阜県 鳥澤 重男先生

 大正十五年生まれ(七十四歳),昭和二十五年名古屋大学医学部卒業.
 昭和五十一年に地域医師会長に就任,病診連携による在宅医療の推進を最重点項目にして,地域医師会を指導し,公的病院の理解のもと,病診連携システムを完成させた.また,同年,医師国保組合の役員になり,二十四年間にわたって同組合の発展に寄与した.
 昭和五十三年から地域学校保健会長として十八年間,児童生徒の育成に努めるとともに,父兄を通じて地域住民の保健衛生,健康管理に対する認識を高めた.平成四年,県医師会常務理事に就任してからは,産業医研修事業の充実に努めるとともに県産業保健センターの設立に尽力した.
 平成八年に岐阜県医師会副会長となり,同時に県産業保健推進センター初代所長として,センター事業の基礎を築き,岐阜県の産業医の育成,資質の向上,産業医活動の発展に大きく貢献した.また,日医が行っているネパール王国・コパシ地区の保健衛生事業に協力のため,基金を作り,コパシ地区に学校を建設,同地区の教育および保健衛生向上に多大な貢献をした.

障害者の福祉に貢献した功労者
岡山県 江草 安彦先生

 大正十五年生まれ(七十四歳),昭和二十五年岡山医科大学附属医学専門学校卒業.
 障害児(者)の福祉施設に従事する医師など皆無という時代であった昭和三十二年に,社会福祉法人「旭川荘」の創設に参画し,知的障害児施設「旭川学園」および乳児院「旭川乳児院」の施設長に就任した.その後も知的障害児(者)のための諸施設をはじめ,わが国独自といわれる重症心身障害児施設や,障害者授産施設ならびに通勤寮・福祉ホーム・グループホームを全国に先駆けて開設した.
 今や旭川荘は,医療療育を提供する総合医療福祉施設として全国的にも例をみない存在となっており,乳児期から老年期に至るすべてのライフステージにおける統合した医療と福祉を提供している.さらに看護婦,保育士,介護福祉士などの人材養成にも力を入れ,昭和四十六年には旭川荘内に厚生専門学院を設立した.旭川荘においては海外からの長期研修生も受け入れている.また,江草氏は平成三年には学校法人川崎学園に,わが国初の医療福祉総合大学・川崎医療福祉大学を創設し,学長に就任した.

地域医療の推進に貢献した功労者
広島県 岩森  茂先生

 昭和三年生まれ(七十二歳),昭和二十五年広島県立医学専門学校卒業.
 昭和三十七年同大学原爆放射能医学研究所外科助教授,その後,宇和島社会保険病院長,中国重慶市第三人民医院名誉院長等を歴任し,平成六年三月から広島市立安佐市民病院名誉院長として,地域医療活動に従事している.
 長年にわたり,地域中核病院の長として,地域医師会との有機的な病院連携のあり方を模索し続け,勤務医部会および救急蘇生委員会を設立.また,准看学院実習病院の実現,学術研修会の定例開催,医師とコ・メディカルが語り合える地域医師会構想の具現化,さらには,地域におけるPOSの普及やクリーン・ホスピタル・プロジェクトに基づく禁煙モデル病院化,広島滅菌消毒研究会設立等を通じ,地域医療の発展に寄与し,その貢献は多大である.
 特に,煙草の害に関しては,医師,住民への啓発のため,現在も県医師会禁煙推進委員長として,精力的に活動し,県内各学校の防煙教育を幅広く実践する一方,日本禁煙推進医師連盟の運営にも参画してきた.

学校保健活動に貢献した功労者
山口県 松田 昭正先生

 昭和四年生まれ(七十一歳),昭和二十六年山口県立医学専門学校卒業.
 母校小児科学教室に入局,山口大学医学部講師を経て,三十六年柳井市に小児 科医院を開設.以来長きにわたり,市民の保健衛生の向上と健康管理に多大な貢献をしている.
 柳井医師会では,昭和四十七年から十八年間理事として,予防接種,救急医療,学校保健,住民保健担当など会の発展に尽力,引き続き議長,県医師会役員などを歴任し,円滑な会の運営に寄与している.
 昭和三十六年小児科医院開業の傍ら,山口県小児科学会幹事,小児科医会理事として,多年にわたり両会の向上発展に尽力,地域の乳幼児や学童の保健医療福祉の向上に寄与してきた.
 昭和二十九年から学校医として四十五年間,学童の健康診断,健康相談,心の問題などに取り組み,学校保健に関する研究発表なども多く,学校保健の推進に貢献してきた.
 誠実温厚な人柄で,何事に対しても情熱と信念をもって当たり,指導性に優れ,会員はもとより,地域住民からも厚い信望を得ている.

老人保健政策に尽力した功労者
愛媛県 内田  武先生

 大正五年生まれ(八十四歳),昭和十六年新潟医科大学卒業.
 昭和三十六年から西条市医師会長として,昭和四十七年からは愛媛県医師会副会長として地域医療活動に尽力し,愛媛県社会保険診療報酬支払基金審査委員・副委員長を務め,西条市教育委員としても活躍した.
 また,老人医療に早くから着目し,昭和四十九年に老人医療施設「医療法人愛寿会病院」を開設し,同時に社会福祉法人回生会特別養護老人ホーム福武荘を併設.その後も,老人保健施設ゆるぎ荘,デイサービスセンター福武荘,訪問看護ステーションゆるぎ荘,在宅介護支援センターなどを併設して活躍した.
 平成三年には今までの老人保健施設の開設,運営の実績を高く評価されて,県の要請により,愛媛老人保健施設協議会設立に努め,初代会長として,次々に増加する老人保健施設の開設から運営に至るまで,幅広い指導に当たり,今日の基盤を築いた.軌道に乗せるまでの三年間会長を務めるなど,常に地域医療の中心となって周辺医療機関と密接かつ積極的に連携を推進し,老人医療政策の具現化に尽力してきた.

地域医療活動に貢献した功労者
福岡県 溝部 松雄先生

 大正十四年生(七十五歳),昭和二十七年久留米医科大学卒業.
 昭和二十九年から現在地にて開業.昭和四十五年より糸島郡医師会役員として長年活躍したが,特に昭和六十年より約十年間は会長として,会員を指導し,多大の功績を残した.
 特筆すべき功績として,昭和四十四年福岡県初の本格的な開放型病院として糸島郡医師会病院を設立し,地域中核病院として地域医療に多大な貢献をしている.また,救急医療体制作りを地元自治体と進め,昭和五十八年より三町委託で,会員出務による公設民営の急患センター業務を医師会病院にて始めた.
 平成九年には糸島医師会訪問看護ステーションを開設し,在宅療養者の生活向上に大きく寄与している.
 また,昭和三十一年から四十四年間の長きにわたり小学校をはじめ,高校の校医として児童生徒,職員の健康管理に取り組み,昭和六十年より九年間は糸島地区学校保健会長として厚い信頼を受けていた.温厚かつ,誠実な人柄から,地域住民,会員から厚い信望を得て日常診療と医師会業務に従事してきた.

風土病の撲滅に貢献した功労者
沖縄県 城間 祥行先生

 大正十五年生まれ(七十四歳),昭和二十四年熊本医科大学卒業.
 沖縄県では,戦後住民の衛生状況は,一気に悪化し,多くの県民が寄生虫病や結核に悩まされた.ことに「糞線虫症」は,発生頻度の高い風土病であった.
 昭和二十八年,城間先生は与那原町で診療所を開業し,特に,「糞線虫症」を実地医家として,独自に研鑽研究し,集団駆虫法を確立して,学校保健および農村の保健衛生の向上に多くの実績を上げた.また,「沖縄における糞線虫の研究」「沖縄のレプトスピラ症」などの論文を発表し,公衆衛生,予防医学の分野で高く評価されている.
 琉球寄生虫研究所(私設),沖縄寄生虫予防協会,沖縄県予防医学協会を設立し,中心となって,積極的に参画,発展に努力した.昭和四十二年,那覇市に泉崎病院を開設し,糞線虫症の研究を進め,また,沖縄医学会会長として,後進医師の育成に努めてきた.
 琉球大学の非常勤講師として,寄生虫を中心とする風土病,糖尿病,がんなどの成人病の研究を,民間の立場から精力的に大学に協力し,高く評価されている.


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