日医ニュース 第945号(平成13年1月20日)

坪井会長,登山家 田部井淳子氏とネパールを語る
地元に根づいた協力事業が必要
新・春・対・談

 日医は,ネパール政府の要請を受け,一九九二年から医療に恵まれないネパールの農村地区において医療協力活動を行っている.坪井栄孝会長は,当初からこの協力事業に関与してきた.一方,登山家の田部井淳子氏は,一九七五年に世界最高峰エベレストに女性世界初の登頂に成功して以来,ネパールとのかかわりが深い.そんな二人にネパールについて語ってもらった.

坪井 日医は,現在,ネパールで仕事をしているんですよ.始めてから十年ぐらいになりますかね.この間,ネパール国王から勲章をもらいましたので,そのお礼も兼ねて,今年も行く予定です.
田部井 勲章を見せていただけますか.まあ,すごい.これをかけてカトマンドゥ空港を降りたら,フリーパスじゃないですか.
坪井 じゃあ,今度かけてみましょうか.ネパールとの親善に,田部井さんほど私は貢献していないのですが….
田部井 いやいや,私は,登っただけですから.
坪井 最初にネパールに行ったとき,私が育ったころの時代だと思って見ましたけれども,ちょうどあのような感じですよね.水道が外で,裸足でね.
田部井 そう,裸足で,袖も鼻をこすってペカペカにしているし.
坪井 懐かしかったですよ.だからというわけでもないのですが,毎年,この事業を見に行くんです.
田部井 私も毎年のようにカトマンドゥには行っています.昨年,私たちがエベレストに登って,ちょうど二十五周年だったものですから,当時お世話になったシェルパの方たちをお招きしてお祝いをしました.それから,記念のトレッキングでエベレストの方へちょっと歩いて行ってきました.
坪井 エベレストは一度見ると,本当に魅せられてしまいますね.私は,まだポカラに行ったことがないんです.忙しくて,カトマンドゥの辺りを回っているだけです.
田部井 ぜひ,行ってみてください.目の前にマチャプチャレという山も見えますし,天気のいい日には,ダウラギリからマナスルまで一望できます.すばらしいところですよ.
坪井 田部井さんが登りたくなる気持ちが分かります.

現地の人は,公衆衛生に非常に関心が高い.(坪井)

 坪井
 この間,テレビで見たのですけれども,ごみが大変だそうですね.
田部井 そうなんです.一つの村よりも多い人口の登山隊が行って生活しますと,当然,し尿,生活ごみが出ます.特に,八千メートル以上ですと,酸素の力を借りて登るのですが,いざ降りるときには,体力の限界で,どうしても高圧酸素ボンベや無線機のバッテリーなどを残してくるのです.世界最高峰のエベレストにごみが残っているのは,本当に悲しいことですが,これが現実です.
坪井 そういうものは,やむを得ない部分もありますよね.しかし,それ以外のものは,トレッキングに行った人が,きちんと自分で持って帰ってこないといけませんね.少なくとも日本人には,そうさせてください.
田部井 今,自分のものは自分で持って帰ろうという運動が,けっこう盛んになってきました.現地の人たちも,外国人が来ることによって生計を立てているのでウエルカム(歓迎)だけれども,もともとネパールの自然になかったものは,持って帰ってくださいといいます.それを,ネパール語,英語,日本語でパンフレットにして,行く方々にお配りしています.
 村の人たちには,今までごみ箱という概念がなかったのですが,そのごみを入れる場所をつくって分別回収し,定期的にエベレストの山麓の焼却炉で燃やしています.おかげで,だいぶきれいになりましたよ.
坪井 そうですか.現地の人は,公衆衛生に非常に関心が高いんですよね.
田部井 高いですね.
坪井 私どもも,コパシ地区の診療所を中心に,病気の治療を行っていますが,それと同じぐらいに力を入れているのが,公衆衛生です.伝染病予防をはじめ,今,お話にあった生活廃棄物の分別.これは燃やすのではなく,穴を掘って埋めています.本当によく理解してやっています.
 ただ,今はかなりよくなったけれども,当初は大変でした.日本ですと,ワープロで打って,コピーして渡せばいいけれども,識字率が低いでしょう.特に,主婦の識字率が非常に低かったんですよ.だから,子どもの死亡を減らすための公衆衛生的な講義をするときには,黒板に絵を描いて説明していました.最初は,一〇%台だった識字率が,現在は五〇%近くになったので,公衆衛生の仕事がやりやすくなりました.そのために,診療所と学校とを併設してあるわけです.
田部井 ああ,そうですか.なるほど.
坪井 学校といっても,最初のころは窓もないような暗い小屋で,目がショボショボした子どもたちばかりでした.そこで,明るい教室の校舎を,二つ,三つ建てたのですよ.そうしたら,日本でも地域の医師会やライオンズクラブなどが協力してくれて,ずいぶんたくさんの学校ができました.

ネパール人は,能力的に高いものを持っている.(田部井)

坪井 ところで,田部井さんから見たネパールの子どもたちの健康について,アドバイスがあれば,ありがたいのですが….
田部井 そんな恐れ入ったことはいえませんが,やはり,識字率が上がって,女性の知識が向上するということは,非 常に大事なことだと思います.私たちが,最初にネパールへ行ったのが一九七〇年でしたが,まだまだ女性の地位が低くて,乳児死亡率も異常に高かった.何とか自分たちもお手伝いができたらいいな,そういった知識があったらいいなと思いました.
 あのころ,子どもたちは裸足で,衛生観念はまったくなかったのですが,今,三十年たって同じ場所を歩いてみると,まず,裸足の子どもが少なくなったこと,生活の水準が高くなったこと,女性の仕事の内容が多岐にわたってきたことに驚かされます.
坪井 そうですね.
田部井 学校も四,五キロぐらい歩いていくのは平気ですよね.おかげで,足腰が強い.日本の子どもたちは,とてもあれだけの距離を歩けないでしょう.ただ,十歳ぐらいの子がたばこをけっこう吸っています.たばこを吸って,辛いものを食べて,かなり短命じゃないかなと心配です.
坪井 平均寿命は,どのぐらいでしたかね.かなり低いはずですね.
田部井 五十代半ばだと思います.若くして結婚するせいか,五十を過ぎたら,長老という感じです.
 シェルパの人は,言語に関して天才的な能力があり,日本語はすぐ覚えます.英語,フランス語,イタリア語も話せる人がいます.もちろん,外国隊チームに付いていくという職業柄,言葉を覚えることが自分たちの生活にかかってくるわけですが,それだけではなく,能力的に高いものを持っていると思うのです.そういったものがどんどん伸ばせていったら,ネパールもずいぶん変わってくるだろうと思います.
 今回,日医のプロジェクトを知って,いい仕事をされているんだなって思いました.
坪井 確かに,ネパール政府,特に,保健省からの評価が非常に高くて,あちこちからリクエストがあるんですね.
田部井 そうでしょう.何でコパシだけといわれるんじゃないですか.他の村からのやっかみといったものもあるんでしょう.
坪井 確かにあります.いろいろ手を伸ばすというわけにもいきませんので,ネパールで保健活動や医療活動をやりたいという問い合わせがあると,JICA(国際協力事業団)や日医が,そういう申し出の協力をする場合があります.
田部井 なるほどねえ.
坪井 日医のようなプロジェクトが各地に拠点をつくってやれば,そういうリクエストに応じられるかも知れませんがね.
田部井 そうですね.特に,日本のNGO(非政府組織)は多数ありますが,ただお金を出せばいいというものではないと思うのです.地元にしっかり根づいていかないと,結局,現地の人たちが困ることになるような気がしますね.
坪井 おっしゃるとおりです.コパシに行っている日本の看護婦さんたちは,ネパールに溶け込んでいます.ネパール語で怒ったり,けんかしたりするんです.私はネパールの女性だと思っていたら,日本の看護婦さんなのでもうびっくりしました.
田部井 女性で頑張っている方がいると,応援したくなりますね.
 薬はどうされているのですか.
坪井 薬は,JICAを通じてインドから輸入しています.日医から直接送るということはありません.
田部井 三十年前,シェルパの方が高山病とかぜを併発して具合が悪くなったとき,私たちが持っていた薬をあげるのをちょっとためらったんですよ.一過性の登山客が,現地の人が飲んだこともない薬をあげるということに,不安を感じたことを覚えていたものですから.
坪井 それは,いいご配慮ですね.
田部井 それで,結局,成人の半分の量をあげたら,バッチリ効いちゃったんです.すると,これは魔法の薬だと驚かれ,もっとくれといわれたんですけれども,私たちは,とても怖かったのでやめました.
坪井 コパシの診療所には薬剤管理室があり,ネパール人が管理して,ネパールの医師と相談しながら薬を出します.われわれが見たところでは,かなり薬の管理はしっかりしています.
 ただ,コパシ以外の医療施設は,管理という点ではまだまだです.でも,日本人が直接そこで管理していたのでは何もならないですからね.ネパールの人たちがやっているのを一生懸命サポートするという姿が理想だと思います.

援助の仕方によっては,しない方がいい場合もある.(坪井)

坪井 日本の援助というのは,何かトラックから薬をまいてくるみたいなところがありますよね.
田部井 そうです.地元の人たちが自分たちの力でやっていくのが,本当のNGOの助けだと思うのですが,一時的にばらまくようなシステムは,私も賛成できません.
 ネパールでは,子どもたちは,外国人をみれば,お金をねだり,スイート,スイートといってあめをねだる.こんなことを平気でやっていると,いつしか働かずに人からもらうのが当たり前という人間になってしまいますよね.やはり,自分たちが一生懸命働くということと,せっかく外国から援助してもらったものを自分たちが育てていくということを知ってもらいたいと思います.
坪井 かつて,タイ国の国立がんセンターをつくるときに,日本から派遣されて,バンコクに滞在したことがあります.そのとき聞いた援助の仕方は,トラックで乗り込んで行って,それで薬をどんどん落として,また,次の村へ行くというやり方のようでした.それでも,やらないよりいいのかなと思いつつも,やる方が悪い場合もあるんじゃないかなと考えたりしました.日本人が,あの地域の人たちと付き合うときに,いちばん注意しないといけないことですね.
田部井 私たちもネパールでリンゴを植えているのですが,管理も苗を育てることも全部自らやりたいという気持ちになってもらうように,気を付けてやっています.
坪井 すばらしいですね,田部井さんの仕事は.エベレストに登るだけでなく,そのプロセスの間にいろいろなことをやっていらっしゃる.
田部井 いや,お恥ずかしい.
 最初にエベレストに登ったエドモンド・ヒラリー卿は,今,八十一歳でお元気ですが,彼も自分が登ったときにお世話になったシェルパの人たちが,非常に識字率が低いということと,医療施設が悪いということで,あの山麓に病院や学校を建てて福祉に力を入れています.それを見たときに,私たちもただ登るだけではなく,何か彼ら自身が力をつけていくような,恩返しができたらいいなということを強く感じました.
坪井 そうですか.
田部井 今,ネパールは,これをやってやるから,これだけ寄こせみたいなシステムがけっこうあります.それでは,本当の私たちの意思が村に伝わらないので,頻繁に人を送り込んで現地の人と一緒に汗して,やっと,今,ネパール人だけでも運営ができるようになってきました.こういうNGOは,難しいですね.
坪井 ただ,ネパールは,経済的にも,地域的にもインドに支配されていますからね.例えば,カトマンドゥのあの空気の悪さは,インドの重油のせいだと私は思っています.
田部井 あれは,ひどいですよ.あそこは盆地だから,みんなたまっちゃうんですね.三十年前のカトマンドゥは空気がさわやかで,空港から白い山々がバーッと見えて,いいところへ来たと思ったものです.今は,着いた途端にもやっていて,現地の人まで分厚いマスクをして歩いています.
坪井 ここ一,二年,ちょっとよくなったといわれるけれども,外からカトマンドゥを見ると,スモッグのバリアになっていますね.
田部井 そうそう,なっていますよね.それで,なるべくカトマンドゥに泊まらずに,山に行くようにしています.今,電気自動車など考えてはいるようですが,やはり,エリアを限ってトラックを入れないようにしないと,どんどん空気が悪くなるばっかりです.
 かつて,ごみの話をしましたら,政府の方が,「ネパールもやっとごみが出るようになったんだ.昔はごみも出ないほど貧しかった」といいましたが,何か変な気がしますね.

ネパールは,第二のふるさと,大切にしていきたい.(田部井)

坪井 ネパールは,かまどで煮炊きをしますから,目の悪い人が多いですよね.
田部井 それと,三十年前はバセドー氏病や奇形のある人がかなりいたんですが,今,ほとんど見かけなくなりましたね.そういった意味では,ここ三十年で,公衆衛生が進歩してきたのかなと思いました.
坪井 長く行っておられるから,そういうことが目につくかもしれませんね.私どもも,そういうことに少し気を付けながら,これから見ていきましょう.
田部井 やはり,ポイントを押さえたうえでやっていく日医のプロジェクトは,何でもかんでも一過性でお金を渡して自分たちはやったっていうのとでは,だいぶ違いますね.
坪井 むしろ,その後者のほうが多いんですよね.
田部井 そうなんです.私もこのNGOというのには,十分気を付けなければいけないと思っています.そのためには,自分自身にも知的なバックグラウンドがないといけないし,百年たってから,あんなことされて困ったなんていわれないようにしないといけないと心しています.
坪井 だけど,すばらしいですね.いや,本当にすばらしい仕事をされるから,目が輝くはずですね.
田部井 ネパールは好きな国ですし,地元の人たちが協力してくださったおかげで登れたという気持ちもあって,何とか,かかわっていきたいと考えています.私にとって,ネパールは第二のふるさとみたいなものですから.
坪井 確かに,ネパールから帰ってくると,また行きたくなるし,だんだん恋しくなりますね.お互い,すっかりネパール病ですね.
田部井 何となくホッとするのが,不思議ですね.顔も日本人と同じようで,つい私なんか三春弁(福島県)で話し掛けたくなるような人がいっぱいいます.
 今,カトマンドゥ大学に環境学科コースをつくるようになれればと思っています.若い人たちが留学で外国に行くと,なかなか自国に帰らないんです.ですから,ネパールで学んだ人たちが,自分の国を守るというようになってもらいたいと思っています.
坪井 登山家というよりも,もう親善大使みたいな感じですね.
田部井 それもお金がかかるものですから,行商みたいにTシャツを売ってお金を集めています.

禁煙運動していると,「おまえの学費の半分はたばこだ」と怒られた.(坪井)

坪井 今日は田部井さんのお仕事が,私の想像していた以上に広いので,びっくりしました.
 私は,今でも福島県の中学校の生徒の禁煙教育をやっているんですよ.その子たちが高校に行くときの喫煙率と,高校を卒業して成人式のときの喫煙率を,ずうっと三十年間追っかけています.目的は,私は肺がんの医師ですから,私が啓発運動をした子どもたちと,まったく受けていない子どもたちとの間で,たばこによる肺がんの発生率が違うかどうかというのを学問的に見たいわけですよ.
田部井 なるほど.
坪井 ご存じのように,三春は日本一のたばこ生産地でしょう.
田部井 そうでした.
坪井 私が禁煙運動をしていると,親せき筋から,「おまえの学費の半分はたばこだ」と怒られたものです.事実,私が子どものころ,田舎に行くと,いつもたばこの葉っぱが干してあるか,お蚕さんがいるかですよね.近所にたばこ神社があるくらいですから.
田部井 そうですね.こういう役職にいたら,なかなかお忙しいようですね.
坪井 でも,毎週,郡山市(福島県)に帰っています.月曜日の午前中は,病院で必ず回診しているんです.回診が終わったら日医会館に出勤して,週末まで東京で過ごし,また,月曜日の朝,回診して東京へ帰ってくるという,そういう生活の繰り返しです.
田部井 でも,三時間ぐらいあれば,ちょっと近郊に足を延ばされると,いい気分転換になりますよ.
坪井 ふるさとの山はすばらしいですからね.
田部井 そうですよね.ああ,日本っていいなって思います.ネパールでは,氷と岩の雪ばっかり見ていたんです.四カ月ぐらい氷の上にいると,日本の山が懐かしくなってきます.
坪井 そんなに長くいるんですか,氷の上に.
田部井 エベレストのときは,それぐらいいました.
坪井 よく病気になりませんね.
田部井 山の上では,帰ったらお寿司が食べたい,さんまが食べたいとか,日本の緑の山に登りたいという,そういう感じがあって,町に戻ると,裸足の子どもたちが駆け巡っていて,私のふるさとと同じだなと思ったりして,昔はそれが懐かしかったです.
坪井 そのときの心境は,もうとにかく耐えようと決心するんですか.
田部井 その場の雰囲気を前向きに楽しむようにしています.昼間でも,空が突き抜けるように青いと,だんだんと黒く見えてきて,星が白く見えるんです.
坪井 昼間でも.
田部井 はい.そういう風景のなかにいると,これは,やはりここに来た者だけが見ることのできる特権だという感じもします.
坪井 分かるような気がしますね.
田部井 私は,その場その場を楽しんでいます.ヒマラヤの水道もない電気もない生活のなかで,女の人たちが子どもを産んで育てているのを見ると,日本での自分の生活というのが,すごく恵まれていると,感謝する気持ちになってきます.
坪井 なるほどね.
田部井 そういう意味では,ネパールに行って,価値観も大きく変わってきましたし,自分の生き方を冷静に考えさせてくれる場所でした.
坪井 自分は恵まれすぎているんじゃないかという今のお話は,非常によく分かりますね.でも,今の子どもたちは,そんな感じは,まったく持てないんでしょうね.
田部井 そうなんです.今の子どもたちは,生まれたときからそんな生活にどっぷりつかっていますから,全然,実感としてとらえてもらっていないですね.だから,今回は自分で体験しろと,子どもを一緒にネパールに連れて行きました.
坪井 それはいいことですね.
 お忙しいのに,ありがとうございました.
田部井 こちらこそ,いいお話を伺えまして,ありがとうございました.

田部井淳子氏プロフィール
 昭和14年(1939)福島県三春町生まれ.昭和50年(1975)世界最高峰エベレスト8848メートルに女性世界初の登頂に成功.平成4年(1992)女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となる(世界で6人目).平成12年(2000)3月九大大学院修士課程修了(研究テーマ:ヒマラヤのゴミ問題).現在1男1女の母.年4〜5回海外登山に出かけるかたわら,山岳環境保護団体の代表として奔走する毎日.


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