日医ニュース 第958号(平成13年8月5日)

会員の窓


眼科医は長生きだ。
川村純一(千葉県・八日市場市匝瑳郡医師会)

 寿命とは命のある間の長さであり,長寿とはその命のある間がより長いことである.
 では,具体的にいって,男七十七歳・女八十四歳が平均寿命の現在,何歳以上が長寿なのか.私はとりあえず,男女共平均寿命プラス十歳ぐらいだろうと思っている.
 もちろん,人の命は神から与えられたものであり,したがって,何歳まで生きられるかは神のみぞ知るところだが,残念ながら,この与えられた寿命を縮めるさまざまな要因が存在するのである.例えば,遺伝的疾患・生活上の習慣・ライフスタイル等がその要因として挙げられるが,医師という三K(きつい・きたない・きけん)プラス,ストレス多き過酷な職業も,また,マイナス要因の一つと考えられる.
 ところで,話は変わるが,私の恩師千葉大学眼科学教授鈴木宣民先生は,決まって学生の最終臨床講義の最後に次のような話を付け加えられた.
「眼科は急患も往診もめったにないから夜起こされることもなく,診療時間以外はゆっくり自分の時間が持てる.それに,仕事は奇麗だし,患者の臨終に立ち会うこともない.君たち,長生きしたかったら眼科医になることだよ」
 そういえば,昨年亡くなられた小田原市在住の教室の大先輩Y先生も,また,今春亡くなられた鴨川市に開業の眼科医会の大先輩K先生も,共に享年百歳の天寿を全うされている.やはり恩師のいうとおり,眼科医者は長生き多し.

長寿は人生の美しき終焉である
米本哲人(鳥取県・東部医師会)

 長寿,すなわち「長生き」の年齢は時代により異なりますが,八十歳社会と呼ばれる日本の現状では,八十五歳以上を長寿の人として良いのではないかと思います.
 古くは,人間の死は,ローソクが燃え尽きるように加齢とともに直線的に老化し,死に至ると考えられていました.しかし,昨夜まで元気に動いていた人が,翌朝に死を迎えていた例も多々経験しています.これは,高齢者は,死が近づけば,正常老化からすべての機能が直角型に急に低下する「終末的低下」を呈するためと説明されています.
 他方,医学・医療が進歩しても,七十歳代で発病すると残念ながら中途半端となり,「寝たきり」になる確率が高いようです.しばしば,「家族の世話になりたくない」「嫁に看てもらいたくない」「長患いはしたくない」など耳にします.その都度,「長生きする」ことです.長生きをすれば,周りの人々に迷惑をかけずに,また,家族の人々が「看取った」という満足感を感じる程度の短い日数で,望みどおり死を迎えるのではないかと答えています.
 したがって,長寿は「人生の美しき終焉を迎える」ためのもので,正常老化を保持するための生活習慣を身につけ,素敵に老いるべきと話しています.近ごろは,こんな相談も少なくなりました.これは,「施設から在宅へ」の理念である介護保険が,「在宅から施設へ」と,逆方向に流れているためではないかと思います.

長寿
田中十糸子(高知県・高知市医師会)

 長寿はおめでたいことで,昔から,お謡いや掛軸の絵などに出てくる,翁嫗の姿が理想であろうか.あのように,夫婦そろって品良く老い,穏やかな暮らしをしたいと願うのであろうか.ばあさんの方は,ほうきらしきものを手にしている.私も,ああやって,庭など掃いていたいものだと思う.
 平均寿命も伸び,ずいぶん長生きできるようになり,高齢化社会となってきたが,幸せな長寿もあれば,孤独で悲しい長寿もある.入院している方のなかには,生きていることすら自覚しないお年寄りもおられる.経管栄養で眠り続けておられる方もいる.衰弱して,入院当初は,「もうだめでしょう」と家族に覚悟するよう話して,文字どおりさじを投げたつもりが,安静とわずかな輸液ぐらいで少しずつ良くなって,肌も色つやよく生き返られることもままある.その後,仕事や身の回りのことがきちんとできたり,趣味を楽しんだりするところまで戻れたらいうことはないが,そこまで戻りきれない方が大勢いて難儀なことである.
 せめて笑顔を私たちにみせてもらえる日々であってほしいと,ちっぽけな病院で,とても全国レベルに追いつけないが,勉強しながら苦心惨胆している.うちの院長は九十一歳で,がんばってくれている.
 長命を謳歌できるような長寿社会であってほしい.体力が衰えても,庭を掃くぐらいのさわやかな幸せが味わえる生活をしたいものだと思っている.

たばこの深情け
谷川 篤(東京都・田園調布医師会)

 私の思い出から嫌煙を振り返ってみた.神様が勤労者のご褒美にすばらしい贈物を考えてくださったと感服していた時もあり,たばこ歴は戦前からのスーパーヘビー級であった.
 たまたま,気管支炎でせきに苦しみ,喫煙不能となった時,自分に罰を科する気持ちもあり,何日断煙できるか自分と約束した.それが禍を転じて福となす好運の第一歩となった.
 たばこ,灰皿は現状のまま,いつでも吸える心のゆとりと,入獄者の拘束生活にも思いをはせ,ただ単なる手慰みにすぎずと,あまり構えなかったのが良かったようだ.
 禁煙は心に誓っても,頭が煙を恋しくなる.その時,素早く対応する手段は水であり,お茶だ.これらをガブ飲みする.あめ玉も良い.私は仁丹を常用し,ガリガリ噛んで恋心を打ち消した.
 一週間はすぐたつ.そこが第一関門で,自分の約束に挑戦する決意を新たにする.四週を迎えるころ,昔の恋人を思い出し,迷い,自己嫌悪に陥る.ここで改めて諦め宣言し,吹聴するも良し,副流煙を吸い,むせ返るのも一法である.三カ月ごろ,また,昔の恋人を思い出し,懐しさ一入なるも絶った自分を褒めそやす.
 やがて六カ月が過ぎればしめたもの.紫煙よさらばだが,真の禁煙賞は一年を要する.煙の拒絶反応は完璧となり,喫煙者が肩身の狭い,口から煙を吐く怪物に見えて くる.されど,COPDのたばこ記念症が気になる昨今である.


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