日医ニュース 第966号(平成13年12月5日)

―持続可能な医療体制のために―[2]
日本の医療の実情
日医総研 研究部長 石原 謙

 前回,日本の医療はWHOの客観評価でも世界最高水準であり,経済界やマスコミが讃えるアメリカの医療保険制度は四千数百万人の無保険者を生む弱者に厳しいものであることを述べた.セーフティネットとしての日本の医療制度は「マクロの大成功」であることに,厚労省を含め,全医療人はもっと自覚と自信を持つべきである.
 ただ,この「マクロの大成功」は,現場の医療人や患者・家族それぞれの「ミクロの犠牲」から成り立っていることもまた事実であり,その原因は公費負担が異常に少ないことにあることは後で述べる.

〈日本の医薬・機器のおおむね妥当な先進性〉
 日本の医療に関して,「最先端の機器や薬剤,治療法が,医療保険で認められていないので使えない」という声を耳にすることがある.確かにそういう側面もある.しかし,セーフティネットとしてみると,実態はそうではない.ヨーロッパやアメリカでは,普通の方法で手に入る薬剤というのは,ジェネリック品を含めて割合に安いものや古いものが多い.それどころか,糖尿病での人工透析は認めない,喫煙者には心臓バイパス手術を認めないなどの方針が示された先進国すらある.胃がんの診断や治療など,日本に多い疾患については,明らかに日本での医療技術と認可された診断と治療法のレベルが高く懐も深い.
 いくつかの薬剤や治療については,日本で未承認の宿題があることは事実だが,最先端の医療機器や薬剤がコストを気にせず自由に使える国など,地球上のどこにもない.高額の民間医療保険料を払っていたり,高額の医療費を自己負担できるような限られた金持ちのみが使える医療資源について,日本がまだ保険点数を認定していないからと,針小棒大にこの国の医療を卑下する必要はない.
 CTやMRIのような価格の張る画像診断装置の配置密度は,ヨーロッパやアメリカに比べて日本のほうがずっと濃厚である.そして,これらの機器は,地域の診療所や病院間の相互紹介による協調の結果,十分に有効利用されているといえる.多すぎて無駄だという非難は誤解である.また,技術が高かったり,最新医療機器が導入された医療機関には,多くの患者が訪れる.これは適正な競争以外のなにものでもない.
 冷静に見ると,全体として日本の国民のほうが,どこの国の人々よりも高度医療機器や先端の薬剤の恩恵を,自由に,しかもだれもが差別なく受けているといえる.これらの結果,今の日本の医療では現物給付が守られ,フリーアクセスの保証によって病医院間でも健全で適切な競争が働いているといってよい.その証拠に,この十年間でわが国の病院の数は約一〇%減少しており,この減少率は,アメリカでの適正な病院間競争の証拠といわれる減少率と同じである.
 そうはいっても,日本では,新薬や新しい医療機器が開発されてもなかなか承認されないではないか,医療関連産業振興の足を厚労省は引っ張っているのではないかという指摘もあろう.しかし,医薬や医療機器の監督・新規承認を行う厚労省のスタッフが,その人数と専門性ともに著しく不足している.それは,定数削減を全省庁に対して等しく行っている政府の悪平等政策の結果である.専門分化・多様化した現在の日本の医療を管理掌握するには,専門の医学・看護・薬学・医用生体工学スタッフ等が,厚労省のなかではいないに等しいほど少ない.それでも,彼らは頑張っている.本来は,デモグラムの変化と産業構造の発展,そして,国民のニーズに合致したこれらのセクションには,流動的に併任を大幅に認めてでも,もっと専門家を増員すべきである.
 アメリカにあって日本にはない医療資源を見つけると,「日本の医療は遅れている」と非難し,アメリカより日本に多いものを見つけては,「医療資源の無駄使いだ,もっと効率的に使え」と非難することは健全だろうか?医療人が多忙で暇のないことは百も承知だが,こういう誤解やプロパガンダに対しては,無視することなくきちんと医療人の一人ひとりが反論をし,説明のための行動をしなければならない.


II,医療現場の実態―ミクロの犠牲

 二十一世紀をみると,これからは国家戦略的産業,つまり医療への投資を考えないと,日本の将来はない.
 なぜ,“医療費亡国論”が繰り返されるのか.それは健康保険財政の破綻の現実と,その真の原因に関するマスコミの不勉強であろう.個々の保険組合での保険制度設計と運用の失敗による破綻が以前から見えていたにもかかわらず,その原因を現在の医療や医師に押し付けてしまっているのが現実である.しかし,実際には被用者健康保険全体の連結決算でみると,今なお収支とんとんであり,政管健保などは賞与にも保険料を課すのみで今後十年は問題がない.にもかかわらず,論理のすり替えが行われ,いわば医療費亡国論が一人歩きしている.
 詳細は,日医総研のホームページから無料でダウンロードできるワーキングペーパーNo.50「被用者保険の財務分析─一九九九年版─」No.51「国民健康保険の財務分析─一九九九年版─」(ともに前田由美子主任研究員)を,ぜひお読みいただきたい.
 これらの医療と医療保険制度にかかわる誤解と無理強いの結果,医療現場では,「患者さんの困惑」や,「研修医」「若手看護婦」の置かれた奴隷扱いにも等しい「ミクロの犠牲」が発生してしまった.マクロの大成功を支えるミクロの犠牲というわけである.医療費には年七兆円余の税金しか使わないのに高いといい,公共事業には年五十兆円,そして,放漫経営で失敗した企業と銀行の倒産回避に七十兆円を投じて平然としている政府には,タックスペイヤーとしての国民も医療人も怒りを行動で表すべき時である.
 前章では,セーフティネットとしての日本の医療が,マクロには極めて良好に維持されてきたことを述べた.もちろん日本の医療は,良いことずくめではない.今の「医療改革」という言葉に多くの国民が納得しているのは,医療に関して直接感じるいろいろな不満があるからだ.医療現場での不満を見て,その真の原因を考察すると,そこからは日本の医療体制のかかえる問題点が見えてくる.まずは,医療現場を見てみよう.
〈患者の犠牲〉
 確かにわが国の医療は,命を守る最低限のセーフティネットとしては,極めて良好に機能しているが,それを超える機能はいささか心許ない.
 病気になった患者さんとその家族は,まず外来においてプライバシーのない開けっぴろげな空間で,もっとも重要な自らの疾病や病歴・遺伝情報を問診される.ごく普通のかぜや腹痛でもそんな空間での診察は愉快ではないのだから,ましてや難病や精神的な問題点のある病態,遺伝子に関わる相談などに関しては,非常識な医療環境としかいえない.
 患者さんは,外来で,悪性の疾患の疑いなどが生じると,「早く検査をしてほしい」,そして,確定診断で治療方針が決まると,「速やかに入院をさせてほしい」と思う.わが身の一大事の患者さんにとっては,皆これらが遅いと思えてならないのである.前回紹介したイギリスでの「待ち行列問題」を含み,日本と比べると,悲惨ともいえる諸外国での実状をほとんどの国民は知らないから,当然の願いではある.
 入院すれば,今度は狭い病室が待っている.現在のわが国での平均的な生活と比較して,日本の病室は,圧倒的に窮屈でかつプライバシーが侵害された状態である.ストレスを解消して治療に専念させてあげるべき患者さんを,こういう過酷なストレスに曝す日本の医療は,このままで良いのであろうか?しかも,定評のある病院ほど,次の患者さんのために早く退院してくれと患者さんに迫る.
 これらの問題点あるいは不満は,医療保険の想定するサービスレベルが,国民の期待に対して低すぎるからである.診察空間や病室の問題は,医療保険上の施設料とサポートする看護人件費がせめて実費支給され,基準化されるならば,すぐにでも改善される.外来や検査,入院の「待ち時間が長すぎる」と思われている問題は,「実は,奇跡に近い短さ」であることを,まず説明するしかない.諸外国と比べると一目瞭然である.


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