日医ニュース 第967号(平成13年12月20日)

勤務医のひろば

座談会(その4)
「21世紀における勤務医のあり方」を語る

 今回の座談会は,さまざまな立場の勤務医の意見を,日医勤務医委員会の答申に反映するために企画され,その模様については,本紙9月20日号から,これまで3回にわたって掲載してきた.その最後となる今号は,「医師に対する評価のポイント」「医局講座制の是非」「20,30年後の医療社会」をテーマとした議論の様子を紹介する.
 なお,今年度中に取りまとめられる勤務医委員会答申の内容については,今後,本紙で紹介していく予定となっている.

[評価のポイント]

 池田 今,協調性というようなお話が出ましたが,責任感とかリーダーシップ,いろいろあると思いますけれども,医療に関する評価点として何が一番ポイントか,いくつか挙げていただけますか.患者さんから,あるいは看護婦,医療従事者からどう評価されるかということもあるし,同僚からの評価もあると思いますけれども,その評価点ですね.
 小川 でも,実際,見る人によって全然違うと思う.上の者にしてみたら,自分のいうとおり仕事をしてくれて,技術もそれなりにあるという人がいいのでしょうけれども,患者さんから見たら,技術は分からないわけで,その結果しか分からない.技術が良くても,結果が悪い場合もあるわけで,そうすると,やはり評価は人間性ということになってしまう.
 これは評価する人によって当然違うので,必ずしも技術が低いのが悪い医師ということにはならない部分がある.やはり両方を評価しないといけないかなと思います.
 田中 広島市医師会で勤務医の処遇についてアンケートをしましたが,そのなかで,こういう資質の評価のなかでも大きな要素は学会活動であるというのですね.やはり専門医,認定医,指導医とか,勤務医である以上はそういうものを取得する,あるいはその過程が大事であって,自己研鑽の結果として,そういう基本的なものが必要ではないかという意見が多かったです.
 ただ,病院の開設者としての県が,このような付加価値を認めていないのではないかという点は非常に不満があります.
 昌子 私は,当病院で経験した臨床的なことを学会に発表してくれるのを非常に評価します.うちの病院は,公的な病院で安定しているから来たいというのが潜在的にあるわけです.沈滞しやすい傾向のある病院においては,学会に発表して,批判を受けたりして,自分のいる現場で次に進歩したいと考えることを,私は一番評価します.
 我妻 医師の評価としては,人格が重要ですが,人格は評価しづらい項目になりますので,そこにコミュニケーション能力というものを一つ挙げたいと思います.
 私は大学で地域医療の現場の有り様とコミュニケーション能力について話をしていますが,これはトレーニングで一定程度は確保でき,評価項目にできるのではないかと思います.

[医局講座制]

 池田 医局講座制が本当になくなるのか,なくなったほうがいいのかどうか,その点についてはいかがでしょうか.
 小川 ある程度自分に発言権ができて,選べる権利もできれば,それはそれでいいのではないかという気はしますが.
 昌子 医局講座制は廃止すべきだとは思っていますが,人的供給源として,それをまた逆に頼りにしてうまくコントロールしたいという意図がありますから,現状ではちょっと予測がつかないです.
 我妻 ただ,働く勤務医の立場になると,医局がなくなると,自分の身分保証というのは逆に不安定になりますよね.ある程度の研修にしても育つまでの時間にしても,今はとりあえず医局によって行って帰ってこられるような,そういう守りがあるけれども,それがなくなったときに,勤務する側からするとかなり厳しい状況になります.代わりに,医師会が勤務医の側に立って何をしてあげられるのでしょうか.
 教育するための必要な期間があり,三年で育つ人もいれば,倍の時間をかければ一人前になれるかも知れないのに,三年で育たたないからといって切ってしまうと,高い教育費をかけているのにドロップアウトする人を増やすことになり,それは国全体としては損失ということになります.
 小川 ただ,実際は三年ぐらいではどの科でも使いものにはなっていないので,選択肢というのは十年ぐらい経ってから出てくるのではないかという気がします.
 我妻 でも,その十年の間は,医局が守っているわけですよね,一定程度.その医局の守りが一切なくなったときにどうなるのか,十年以降は自分の責任だと思いますが.
 小川 ただ,実際は,十年以降でも医局の人事で動くのですよね.確かに,二,三年ぐらいというのは医局の人事で動くのは仕方がないと思います.
 同じところに十年いた方がいいかというと,病院によるレベルがいろいろありますし,スーパーローテイトになれば,またちょっと違うのかも知れませんけれども,そこで一生といわれると困るので,医師として一人前になるまでは,いろいろだれかが動かすという状態でいいのではないかと思います.
 ただし,ある程度自分で何かできるようになったときに,それに縛られない状況になっているのが好ましいと思います.
 田中 医局講座制は,今まで多くの指導的医師を養成してきており,日本の医学会の進歩を担ってきたと思います.大学の医学部の改革が現在進行しているとはいえ,今後も基本的役割は変わらないと思います.市中病院と医局との関連は,大都市圏でみられるように,基本的には,医局の人事にこだわることなく,市中病院のニーズが優先する時代になるのではないでしょうか.

[二,三十年後の医療社会]

 池田 もう時間がなくなりましたが,今がどうかではなく,二,三十年後の医療社会はどうなっているかの議論がいただければと思います.
 昌子 医師の側から変わるのではなくて,社会情勢で,医療のパイがものすごく少なくなりますから,勤務医もおのずから再編される.そうなれば,世界に出ていかざるを得なくなるだろうと思います.若い人は,そういうのは意外にすっきり出ていったりしていますよね.
 小川 研修カリキュラムのなかに海外ボランティア活動を入れるとすごく視野が広がるのではないか.
 私は十年以上過ぎてから参加した海外救援でしたけれども,本当に,医師になってよかったなというのをそこでつくづく感じて,すごく考え方が変わりました.学生の時期にそういうものをカリキュラムに入れることができると,自分の進路を決めるときなどの考え方にも,人間形成にも大きな影響を与えてくれると思います.
 そうすると,単にこの狭い世界だけで考えるのではなくて,自分の住んでいる所とまた違う所で医療をしようということも選択肢に入ってくるのではないかと思います.
  十年,二十年先に,病院自体もスリムにしないと生きていけない時代になると,勤務医も自然と他の職種といいますか,市場に出ていかなければいけない.行政,福祉,産業保健,学校医など,いろいろな方面に勤務医が行っている状況が起きているのではないかと思います.
 ですから,医師会との住み分けを逆にきちんとやっていかないといけないので,勤務医が会員として一緒に事業をやっていく時代が来て,おもしろいことになりそうという期待は持っています.
 加藤 一つ,国民の考え方として,自分の命とか健康に関して非常に安く守ってくれるのではないかと考えていること,それをつくづく思います.医療事故が起きたときに,例えば看護婦さんが事故を起こしたとします.あの人たちは疲れているからだと,ではそのためにどうしたらいいかということなのですね.答えは簡単で看護婦さんを増やせばいいわけです.そこが抜けているんです.
 自分たちのこれだけの負担で命を守ってもらうということならば,それではすべては守れない,そこを覚悟してくださいということをきちんといってわかってもらわないと,ますますおかしい社会になってしまうと思います.そこらあたりを医師会として声高らかにいっていただきたいと思います.
 裁判でも,重箱の隅を突っつくような話がたくさん出るわけですが,裁判官に一度病院へ寝泊まりしてくださいといいたいですね.医師や看護婦がどれだけのことをやっているか,それを見たうえでいろいろいうならいいですけれども.
 また,十年先,二十年先は,何かを持っている医師でないと淘汰されていくと思っています.
 池田 惨憺たる将来ではなくて,やはり医師になってよかったと,やりがいのある仕事ができたなと思われるような社会になればと思います.
  本日の議論で,すぐにでも生かせるアイデアをふんだんにいただいたように思います.十五年後を語りつつ,明日を考えるいいチャンスになりました.どうもありがとうございました.


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