日医ニュース 第968号(平成14年1月5日)
|
|
平成十四年の幕が開けた.
社会に閉塞感が漂うなか,わが国の再生に向け,多くの分野で新しい時代への変革が求められている.教育の分野も例外ではない.
昨今の不安定な社会情勢に加え,核家族化の進行,および極端な少子化により人間関係は希薄化し,生活体験や社会性が育ちにくい.
次世代を担う子どもたちの健全育成に関する課題は山積しており,児童生徒の保健室登校,学級崩壊の増加などは,家庭,学校をはじめ,社会全体で緊急に解決にあたる必要がある.これらは,戦後の子育てや学校教育がたどった総決算ともいえる問題が集約して現れたと考えるべきであろう.
わが国は戦後,アメリカからの物質的援助とともに憲法をはじめ,多くの習慣や文化を移入した.
そして,工業化の結果,世界で類をみないスピードで経済成長を成し遂げたが,極端な物質主義の追求は,やがて飽食の時代を迎え,現在も止むことなく,だれもが「足るを知る」精神に至っていない.
国民は,国古来からの伝統や習慣を重視せず,ひたすら戦後社会を築いてきた.教育自体も戦後の工業化社会での物づくりと同一の思考で育まれ,効率性と均一性が重視され,個性の少ない,小さくまとまった子どもたちが数多く育成された.常に結果の平等が追求され,個性や能力に応じた教育はいまだに無視されている.
戦後,アメリカ社会を追い求め続けたわが国は,結果として,アメリカとはまったく対照的な社会や文化を築いてしまったように思えてならない.多人種,多民族からなり,個性溢れる人々で構成されるアメリカ社会を統合させるには,大きなエネルギーを要する.
それゆえ,常に国家としてのアイデンティティーを求める必要があり,事あらば,その結束力は強大である.明日の日本社会を支える子どもたちに,その結束力を期待できるであろうか.今,わが国に求められている教育は,個性溢れる子どもたちを育てる余裕と環境であろう.戦後半世紀を迎える教育のなかで,人々の生活や権利に対する平等意識は根付いたが,残念ながら,社会に対する義務や人間愛という基本的な教育が不十分であったことは否定できない.
しかも,個人の尊重が強調されるあまり,「公」を軽視する傾向があるが,公私の区別こそが真に自立する手だてといえよう.それは,人類全体に通ずる国際的視野の育成にも関連することである.
今こそ,日本の子どもたちに世界の子どもたちの状況を正確に伝え,アイデンティティーのあり方を,そして「いかに生きるべきか」ともに考えていきたいものである.