日医ニュース 第968号(平成14年1月5日)

会員の窓

会員の皆さまの強い要望により,投稿欄「会員の窓」を設けました.意見・提案などをご応募ください.

オゾン層の破壊と医師会
石川平八(愛知県・刈谷医師会)

 経済やテロの問題が渦巻くなか,地域環境問題が人々の心から忘れさられようとしている.「それは何年か先に取り返しのつかない形で人類の前に立ちはだかろうとしている」と地球環境学者たちが懸命に訴え続けている問題である.
 一見,医師はこの問題に対しては,門外漢であると思いがちであるが,決してそうではない.オゾン層破壊による有害紫外線(UV)B増加の影響は,皮膚がん,白内障,免疫能力の低下といった人体への直接的な害をもたらし,医師として見過ごすことはできない.
 オーストラリアではすでに子どもたちを中心に,がん予防協会のスローガンを基に十分な対策が施されている.一九九四年一月には日本上空のオゾン層も八〜一〇%の減少を認めたというが,現在のオゾン層破壊はこれまで人類が産生した総フロンのわずか一〇%がもたらした結果であり,八〇%は現在ゆっくりとオゾン層へ向かっているのである.事態は正にこれから確実に深刻化するのである.
 私たち日本人は,有事に対してどうも後手に回る傾向がある.医師として捨て置けないこの問題に対して,日医も先を見て目を向けるべきである.紫外線測定可能な研究機関との連携,皮膚がんや白内障発病率とUV―Bとの疫学調査,先進諸外国のこの問題に対する対策具合の調査,そして,UV―B防止のための医師会ブランドのグッズ(帽子,サングラス,衣服など)やネット(運動場用)の開発まで手を染められると夢があっておもしろい.日本国民のため,人類のため.

納得できる断煙作戦
和田 勇(兵庫県・宝塚市医師会)

 なぜ,たばこをやめなければならないのであろうか.
 健康に悪いとか他人に迷惑をかけるとか火災等いろいろあるが,一番重要な理由は,「たばこが切れると脳が十分に働かなくなる」ことだと私は考えている.つまり,吸わないで我慢をしていると脳がパニックになり,その時々の判断を誤ってしまうのである.この判断の連続がとりもなおさず人生なのであるから,ことはきわめて深刻である.
 そして,本人はやめたいと思っても,切れてくると,また吸いたくなるというこの依存性が断煙を困難にしている.今まで,脳のパニックについてはあまりいわれなかったが,これは実は吸っている人にしか分らないことだったので,吸わない人にとっては気が付きにくかったためと思われる.
 そこで,私の提案であるが,来年から新しく生まれてくる人,すなわち〇歳児よりたばこを禁止する法律を作り,その適応範囲を一年ごとに一歳ずつ年齢を引き上げていくのである.
 そうすれば,八十数年後には,たばこを吸う人は,日本からいなくなるのではないかと思われる.また,法律をまぬがれた人々(今の日本人全員)も認識を新たにするし,なかでも,意志の強い人々は断煙に踏み切るので,全体としても,大きな効果が期待できるのではないだろうか.

救急医療
村瀬 靖(東京都・江戸川区医師会)

 江戸川区産婦人科医会には救急医療体制があるが,基本は医療事故を起こさぬこと,二次病院へ転医させる際,治療しやすいように,検査データを添付し,血管等確保して医師同伴で送ることである.
 私は,内服薬,注射薬等患者に投与する際,この患者は必ず薬剤によるアナフィラキシーが発症すると思って,万端の準備をする.アレルギーテストはもちろんのこと,呼吸停止に備え,アンビューや閉鎖循環麻酔機,十分な酸素,ソルコーテフ等の救命用薬剤を常備し,万一,心停止した場合は,心マッサージ後の除細動器を準備して,初めて注射や内服薬投与を行う.人工妊娠中絶や開腹手術の術前準備を必ず入念に行い,麻酔開始時はスタッフを集合させて開始する.
 手術時間が延長する可能性のある,子宮筋腫や癒着性の腫瘤摘出時は,大学病院の麻酔科から麻酔標榜医をお呼びして,助手には執刀者の私と同等かそれ以上の腕前の医師に来ていただき,三人の医師で手術を行うようにしている.術前検査で貧血等があれば,症状を改善させてから執刀している.二次収容病院のスタッフとは,常日頃から交流を密に心懸け,深夜でも引き受けていただけるよう努力している.
 開業して三十二年になるが,幸い母体死亡と医療訴訟は起こされていない.除細動器なくしていかなる薬も投与してはならないというのが,救急医療に対する私のモットーである.

医師が診療をやめる時(その1)
荒川健二郎(東京都・千代田区医師会)

 いま手元にユルゲント・トールワイド著,白石四郎訳「胸部外科手術の創始者ザウエルブルッフ・大外科医の悲劇」と題する本がある.医局一年後輩の白石先生から父がこの自費出版本の寄贈を受けたのは昭和四十五年,父が引退を決意したのは昭和四十八年(七十三歳)の時であった.引退時,仕事とともに私に渡されたのがこの本である.父はこの本を読んで引退の時期を決めたという.そして,今,私もその歳に達しようとしている.
 この本の序文を書かれた,元国立がんセンター総長の久留勝先生の麗筆が,ザウエルブルッフの外科学界での業績と,彼を襲った悲劇を活写しているので引用させていただく.
「ザウエルブルッフは独逸外科学会の生みたる鬼才なり.六十六年前異圧麻酔を創案し,進んでこの武器を駆使して,肺・食道・心臓の疾患に挑み,燦然たる業績を挙ぐ.胸部外科の開拓者として,赫々たる栄誉と尊敬とをかち獲たる,故なきに非ざるなり.(中略)本書は,この鬼才が晩年酷薄の世相に翻弄せられ,遂に発狂するの悲劇を敍す.狂って尚メスを放擲し得ず,数多くの手術的過誤を犯したる後,悶死する最後に至っては,悽惨の一語に盡く.(後略)」
 第二次大戦末期,多くのドイツ人医師が西側に脱出したなかで,ベルリン・シャルテ大学外科主任教授であったザウエルブルッフは敢然としてベルリンにとどまった.最初のソ連兵が地下壕の手術室に入ってきた時,彼は戦傷者の手術中であったという.


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