日医ニュース 第969号(平成14年1月20日)

新春対談
「人間科学日本から世界へ」をテーマに
第26回日本医学会総会開催にあたって

 第二十六回日本医学会総会が,平成十五年四月,「人間科学 日本から世界へ ─二十一世紀を拓く医学と医療 信頼と豊かさを求めて─」をメインテーマに福岡市で開催される.本総会は,創立百周年を迎える記念すべき節目の総会であり,また,二十一世紀最初の総会でもある.そこで,総会の会頭を務める杉岡洋一九州労災病院長・前九州大学総長を招き,第一部「日本医学会総会」,第二部「日本の医療のあるべき姿」について,坪井栄孝会長と語っていただいた.(第二部は,次号掲載予定)

坪井 本日は,来年四月に福岡市で開催される第二十六回日本医学会総会について,お聞かせください.
杉岡 坪井会長とこういう形でお話ができるのを,大変楽しみにしておりました.私は会長の医療に関するお考えを伺って,非常に感銘を受け,ぜひ,医学会総会で日本の医療の将来について,特別講演をお願いしたいと考えています.
坪井 地域医療をやっている医師としての,大げさにいえば,哲学みたいなものを一生懸命模索している話ぐらいはできるかも知れませんが……
杉岡 特に,会長は国立がんセンターのご経験もあり,幅広いお考えをお持ちです.実は,私も,最近の医学が人間をものとしてとらえる傾向をだんだん強めるのではないかと危惧しております.しかも,二十一世紀は,「バイオの世紀」であるとさえいわれています.
 それは確かによろしいのですが,その進歩はあまりにも速く,功罪を十分に判断する余裕さえないのが気掛かりです.やはり,常に知性と感性を備えた人間全体を診る,その原点を見失わない医療をやっていかないといけないのではないでしょうか.
坪井 それで,来年の医学会総会のメインテーマが,「人間科学」なのですね.このメインテーマ「人間科学 日本から世界へ」の「日本発」というのがグローバルでいいですね.今までは,どうしても「世界発日本」的なところが多かったですから.
杉岡 今回の医学会総会は,二十一世紀初頭において,医学・医療の最先端を確認し,その行方を十分に見定め,方向づけを行う,人類の未来にとって極めて重要なものと考えます.
 そこで,三つの柱をたてました.その一つは,医科学,技術の急速な進歩のなかで,人間を見失うことなく,その進歩を人類文化の適正な発展に導くこと,第二は,人間の営みとしての信頼と質の高い医療を提供するための,わが国の医療制度の将来像,第三は,地球化の世紀にあって,環境問題,国際医療協力への積極的な対応です.ということで,基本理念を「人間科学 日本から世界へ」と定めました.

今こそ,「人間らしく生きる」原点に立ち戻るとき

杉岡 私は,日本の医療はすばらしいもので,市場原理に左右されるアメリカの医療なんて決していいとは思っておりません.
 教育と医療は,効率では測れないものです.しかし,高等教育についても,医療分野と非常に似たような現象が起きています.現場での経験とその苦しみ,悩みを知らない方々が,現在,国の政策を考えているようですが,まず前提として,高等教育の将来あるべき姿を論じたうえで改革をすべきであるにもかかわらず,どうも,その順序が逆ではないかという気がしてならないのです.
 医療改革は,まず,医の倫理観とか使命感を持ったうえで,日本の医療のあるべき姿を論じ,すすめていくべきものでしょう.決して経済効率とかそういうものでは測れない.教育もそうなのだと思います.
坪井 おっしゃるとおりです.小泉さんの「改革」という言葉に乗って,これ幸いと,自分の権益,自分の田に水を引くような議論だけをしている会議が,国の政策の中心にあるっていうのは寒気がしますよね,恐ろしくて.
杉岡 まったく同感ですね.医療の本質というものは,自分の力では,あるいは,現代の医学のレベルでは治せない,医の無力を知った謙虚さと,病んだ人を前に,何を第一に考えるかというと,制度でも点数でもない,それは,患者さんにとって最良なものは何か,いかに役に立てるかなのです.
坪井 本当にそのとおりです.
 ちょっと話が横道にそれるかも知れませんが,私が国立がんセンターから独立して開業したときに,九州大学の入江英雄先生から,「病む人の気持ちを」という色紙をいただきました.
 今,先生がおっしゃった,医師にとって一番大切なことは,病んでいる患者さんの気持ち,その状況をどう理解してお手伝いしてあげられるかという,そこのところが医の原点なのでしょう.先生のおっしゃる「人間科学」というのは,要するに,自然科学だけではなくて,すべてを網羅したものということですね.
杉岡 そうです.医学は,人間としての患者さん中心の精神が基盤にないといけないと思います.二十世紀の科学・技術の発展は,確かに,先進国には便利な文明をもたらしましたけれども,一方,途上国にとっては,先進国との間に,より大きな経済的格差も生じ,それが今の世界の民族や地域紛争のもとになっているのではないでしょうか.
 また,同時に,科学の発展は環境破壊や環境汚染をもたらしました.二酸化炭素を例に挙げると,このまま放置すれば,百年ないし百五十年のうちに生物や人類が滅亡するかも知れないと警告する学者もいます.このようなときに,医学の発達というのはいったい何になるのか悩むこともあります.そういう面でも,われわれ医師は,医学・医療の観点から,環境について強い関心を持って,積極的に対応していかなければいけないのではないかという気がしています.
 「人間科学」という言葉は,多様な解釈がありますが,私は,知性と感性を備えた人間全体を 診ることを原点に据え,人間が人間らしい生き方をしていくための医学でなければならないと思っています.
 私は,決して,科学・技術の進歩を否定するものではありません.ただ,その進歩の陰で,人間が見失ったもの,あるいは見失いつつあるものは何か,を問い直す必要があると思いますし,今こそ,「人間らしく生きる」原点に立ち戻って考える必要があるのではないでしょうか.
坪井 そうですね.会頭の出されたコメントは,まさに武見太郎元会長がいわれた,バイオエシックス(生命倫理)という考え方を,もう少し広くとらえている感じがしますよね.
 そういう点からすると,日医の先生方にとっても,第二十六回医学会総会は,まさに傾聴に値しますね.この問題について,よほど真剣に身を入れて考えないと,われわれの責任が果たせないような感じがします.
杉岡 そうですか.大変光栄でございます.

「人間を見据えた医療」を日本から世界へ発信

坪井 医学会総会では,ヒト幹細胞やゲノムの問題なども取り上げていますね.恐らく,これらが発展していくと,今のポスト・ゲノムの話になって,また,がんの治療になってというようなことで,無限に広がっていきます.
 一方では,医師会の先生方の地域での活動や予防医学など,従来の地域医療の課題も入っています.環境汚染の問題についても,なぜ,アメリカが京都議定書にサインしないのかということを,医師が真剣に考えはじめると,むしろ医師の団体がそれをアピールするべきではないかとか,あるいは,そのようなアクションを起こそうという気持ちになってくるのが当然のことなのですね.
杉岡 人間を相手にするというと語弊がありますけれども,それを職業としている点では,医師というのは恵まれた職業だと私は常々思っています.
坪井 恵まれた道を選んでいるということを,再認識しないといけませんね.
杉岡 本当ですね.私どもは医師という職業を選び,人類に奉仕する人間として育てられているわけです.それに対しては,国家が相当の出費をしていますので,それにお返しをしなければなりません.
 先ほど,「日本から世界へ」という話をしましたが,アメリカのような経済最優先の国や今後発展していくであろう国々に対して,「これからの医療というのは,どうあるのがいいのか」というようなことを,日本から発信すべきではないかと思っております.
坪井 それは,杉岡会頭の国際感覚の正しさの表れだと思います.アメリカの経済効率ばかりターゲットにした管理医療が進んでくると,途上国の人たちも進むべき方向はあそこ(管理医療)だと思い込み,さらに,そのなかで自分たちがどう生き抜いていくかという討議に終始して,右往左往してばかりです.
 ところが,世界医師会のなかで,日本の医療・医学の話をすると,パッと目を見開いて聞きますね,特に,欧州の医師は.
杉岡 そうですか.
坪井 アメリカの今のマネジドケアに疑義を感じている各国の医師が,日医の発言のなかに何か救いがあるのではないかという受け取り方をしているのを肌で感じます.そういう点からも,日本はそれだけの多くの期待に対して,回答を出していかなければならない責任があると思います.
杉岡 そのとおりだと思います.韓国の場合には,医師の多くはアメリカで教育を受けていますので,医師と医療の考え方はかなりアメリカ型です.やはり,日本からは,「人間を見据えた医療」というものを世界に発信しなければいけないのではないかという思いがあります.
 それで,今回の医学会総会でも,医師会の先生方に,ぜひ,日本の医療の将来というようなことで,もっと幅広く議論をやっていただきたいと考えています.しかも,それをメインの会場で実施することを計画しているところです.
坪井 非常にいいアイデアですね.

患者さんのニーズを中心とした地域医療政策を提言

杉岡 医療の本質は,確かに,効率やお金のこととは無関係なものであって,そういうものから離れようとする考え方は当然なのですけれども,過去の大学人があまりにも,医療制度,保険に関して無関心すぎたということが,今の医療の危機を招いているのではないかと反省しています.
 日医はいい提言をしているのですが,残念ながら,国民から見ると,どうしても利益誘導ではないかというような目で見られがちですね.また,厚生労働省がいろいろな施策を出しても,これは行政の立場ですから,規制の方が表に出てきます.
 そこで,今まで学問の場で医療を十分に研究してこなかったという反省もあり,平成七年に九州大学の医学系博士課程に医療システム学講座をつくり,昨年から専門大学院の医療経営・管理学専攻の修士課程を立ち上げました.そこで最も研究してほしいことは,やはり,中立の立場での理想的な日本の医療制度,医療政策,医療構造などであり,将来,それらについて提言をしていってもらいたいと思っております.
坪井 お金については,大学に限らず,日医もそういうところがあったのですよ.例えば,医療政策に関して論議をするとき,政策的な問題には口を出してもいいけれども,財源については国がやることであるから,日医は口を出さないという不文律みたいなものがありました.
 しかし,医療の構造全体を見ていったときに,それを構成している,いわゆる医療経済的な問題をまったく避けて話をしたのでは,これはまさに砂上の楼閣になってしまい,国民に対する説得力もなくなってしまうわけです.当然ながら,国民は,医療に対しての関心が高く,それに対する問題解決を望んでいるのです.ですから,官だけがそれを解決するというのでは,日医の責任回避になってしまうということで,積極的に政策を打ち出していくことにしました.
 特に,財政的な問題にまで踏み込んで,政策を出していくというように方向転換をしたのは,私が会長になってからですね.そういった途端に,また,わが田に水を引く議論ばかりするとか,欲張り村の村長さんの話をするとか,マスコミを通じて非難されました.でも,そんなことは恐れないで,とにかく,日医のシンクタンクを十二分に使いながら,われわれの立場からしっかりと分析したものを提言しています.
 もちろん,行政がプロの能力をもって,財政主導型の政策をつくるというのも,一つの正論として認めていく.それに対して,地域医療への患者さんのニーズを中心としたわれわれの論理も正論なのですから,彼らもそれを認める.双方の政策提言が出てきたうえで土俵に上がり,その土俵のなかで討議をしたものについて,国民はどちらがよいかを選択すればいいわけです.
 でも,全国民が永田町に集まるわけにいきませんから,それは代表である政治家が判定をすればいい.しかし,その政治家に判定をする能力がないと,これはどうにもしょうがないわけですね.今みたいに官僚側にすり寄って,官僚の出されたものについてだけ判断するというようなことでは困るのです.そういうものをしっかり勉強してもらうためには,この医学会総会に政治家も多数参加してもらわなければいけないと思うのですけれどもね.そういう意味からいくと,日本の医療構造というのは,長いこと官僚のお仕着せ一辺倒でした.
 ですから,われわれとしては,今後は,国民のニーズに従った地域医療政策を積極的に提言をし,さらに,それに対して,財政的視点からもきちんとした政策をつくっていく.そういうことをしていかないと,日医としても片手落ちになるのではないかと考えています.
 ただ,国民の感覚が,医師会というと経済優先の考え方と取られがちですから,なかなか難しいですけれども,日本が営々として築き上げてきた,医の本質に対するしっかりとした理念・哲学を,広くその分野のなかでちりばめながら,主張していきたいと思っています.

「医学は,地域医療の発展により進歩し,評価されていく」

杉岡 今のお話を伺って,会長のような方が,医師会の指導者でおられるというのは本当にすばらしいことだと思いますね.
 医師会には,大学教育に携わっている医師や病院に勤めている医師など多様な形態の勤務医がいるでしょうし,それから地域での医療を行っている方々もいらっしゃいます.それぞれ立場がおありでしょうけれども,ぜひとも,医の質と信頼をどのように保ちながら日本の医療をやっていくかという議論をしていただき,そこから提言していただくことが,国民にとってもわかりやすいのではないでしょうか.
 そのうえで,医療費の負担をどうするかは,国民が決めたらいいでしょう.
坪井 これも武見元会長の言葉ですけれども,「医療というのは,医学の社会的適用だ」という話をされました.私も,そのとおりだと思います.
 しかし,今の医師会の先生方の仕事を見ていますと,地域医療のなかで出された一つの結果みたいなものが,逆に,今度は,医学会にフィードバックされて,医学会の進歩に役立っているという点が非常に多く出てきましたね.
 それは,医学そのものが,象牙の塔だけではなくて,外へ出てきたというところもあるのかも知れませんが,武見元会長が,「医療は,医学の社会的適用である」とおっしゃったものをいただいて,それを上の句にすれば,下の句は,やはり,「医学は,地域医療の発展によって,さらに進歩し,評価されていく」ということになりましょうか.
 私が,森亘日本医学会長とよくお話しするのは,医学会と医師会というのは,ちょうど車の両輪のようなもので,どちらが大きくても,小さくても,真っすぐに走れないということです.
 ですから,両方ともフィフティ・フィフティでものを考えていくことが大切でありながら,片や,お互いに相乗りしたり,乗り入れしたりしなければいけないところもあります.これは,言葉でいうと簡単ですけれども,両者にいろいろな事情がありますから,なかなか実現できないのが現実です.
 しかし,その一番のポイントは,官僚政治からの脱却だと思っています.すべては,これをどこまで具体的にできるかにかかっているのですが,彼らもプロですから,得た牙城はそう簡単には手放しません.理をもって説かないと手放しませんから,多少時間がかかるかも知れませんね.でも,うまずたゆまず,やらなければいけないかなとは思っています.

参加したいと思われるような学術プログラムを編成中

坪井 ところで,このシンボルマークはすばらしいですね.(下掲)
杉岡 ありがとうございます.
坪井 解説を読まなくても,この図柄を見ただけで,二十一世紀の医療・医学の躍動みたいなものを感じますね.どなたがつくったんですか.
杉岡 これは公募したんです.「日本から世界へ」というのを,この波の形で表現しています.
坪井 そうですね,躍動感がありますね.
杉岡 褒めていただいたのは会長だけです.
坪井 すばらしいシンボルマークですよ.このシンボルマークをかざしておやりになる第二十六回日本医学会総会は,会頭にとっては花道ですね.
 西洋医学が日本に入ったのは九州からですから,結局,医学の発祥の地で医学会総会の百周年を迎えるわけですね.そして,二十一世紀最初の総会の会頭を杉岡先生がおやりになられるというのも,ただの偶然ではないのかも知れませんね.
杉岡 こういう立場に立たせていただいたということは,本当に光栄ですね.ぜひ,いい総会にしたいと思っております.
坪井 そういう意味で,日医も今までの総会にも増していろいろな点で協力したいと考えています.差し当たって,早く会費を納入しようということで,一月から日医役員全員登録をします.
杉岡 どうぞよろしくお願いいたします.今回の総会では,医療制度,政策的なものも,かなり前面に取り上げさせていただきたいと思っております.経済状況の悪いなかでの総会となりますので,日医会員の方々がぜひ参加したいと思われるような,コンパクトで斬新かつ充実した内容の学術プログラムを編成中です.また,総会展示は,「社会が育てる医学と医療」をテーマに,学術・公開展示を企画しています.
坪井 私にできることは何でもやらせていただきますけれども,会頭は,現在,大学という場を離れられて,地域の病院長ですので,その立場で,私どもにも大所高所からご意見をいただけたらと思います.

杉岡洋一会頭プロフィール

 昭和7年生.昭和33年3月九州大学医学部卒業,昭和58年8月九州大学医学部教授(整形外科学講座),平成5年1月九州大学医学部長(併任),平成7年11月九州大学総長,平成13年11月九州大学名誉教授,平成13年11月26日より労働福祉事業団九州労災病院長.


 第26回日本医学会総会のロゴマークは,「人間科学 日本から世界へ −21世紀を拓く医学と医療 信頼と豊かさを求めて−」を基本理念にしています.
 情熱の赤(動脈),清廉の青(静脈)を用いて,九州の「九」と「ヒト」をイメージし,さらにヒトとヒトとが手をたずさえて「波」を介して日本から世界へ積極的に貢献する姿を表現しました.


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