日医ニュース 第970号(平成14年2月5日)
新春対談 第2部 杉岡洋一会頭 vs 坪井栄孝会長 「日本の医療のあるべき姿」を語る |
新春対談の第2部では,杉岡洋一第26回日本医学会会頭と坪井栄孝会長が,「日本の医療のあるべき姿」について語り合い,制度で医療を規制すると国民が不幸になること,また,利潤追求型の医療は質の低下を招くという点で,意見の一致をみた. |
坪井 平成十三年は,小泉内閣の推進する構造改革を背景に,医療制度改革論議が活発化しました.議論すること自体はとても大切なことだと思いますが,経済財政諮問会議および総合規制改革会議などの医療分野の素人集団が,医療の公共性,公益性を無視した財政主導型の改革論を唱えるのをみていると,日本の医療の行く末が心配になります.このままでは,わが国の医療制度の優れた特徴,すなわち,国民皆保険制度,現物給付制度,フリーアクセスを崩壊させかねないという,医療を担当するものとして強い危機感を禁じ得ません.
すでに,日医は,「医療構造改革構想―国民が安心できる医療制度をつくるために―」を発表していますので,医療関係者をはじめ,多くの国民にも読んでもらっていますが,特に,財政主導型改革論者や市場原理主義者にはじっくり勉強してもらいたいものです.
杉岡 病院経営に企業も参入させろというような意見もありますが,私は,アメリカの利潤追求型の医療を日本に導入してもらいたくないですね.これは,医療の質を落とすことになり,先生がよくおっしゃるプロフェッショナル・フリーダムを失うことになります.
医師の裁量権というのは,この治療をしたらいくらお金がもうかるということでやっているわけではなくて,患者さんにとってどの治療がベストであるかという選択をしてやっているわけです.
私の臨床の専門は股関節外科ですが,アメリカの股関節外科医は,人工関節のことしか頭にないのです.それは短期間に退院でき,患者さんも痛みから解放されて喜ぶからです.
しかし,十数年たったときに,人工関節の緩みのため,困難な再手術をしなければならないことを,医師は知っているわけです.私どもは,特別な病気は除いて,人工股関節全置換術の年齢適応を六十五歳にしていますが,アメリカでは,二十歳の患者さんにもやります.その人が八十歳まで生きるとしたら,どれだけ再手術を行い,それがだんだん困難になっていくのかということには,目をつぶっているのです.これは本当の医療ではないといいたいですね.
やはり,若壮年者に対しては,医師として生体の適応力の妙を理解し,後療法に少し時間を要しても,骨切り術など関節温存型の治療に努めるべきですし,これが患者さんの将来にとってもベストであり,医療の本質だと思います.いくら経済効率がよいからといって,人工関節置換術だけしか頭に浮かばないようでは,パーツ屋でしかなく,医療とはいえなくなります.
坪井 そうですね.
杉岡 素人は,入院期間を一律に短くしろといいますが,実際に病気で苦しんでいる患者さんを見ていると,なかなか一つの枠では決められない.総枠を決めるという形になると,難治性や重症な患者さんのたらい回しなどが起こってくるのではないでしょうか.
坪井 そうです.
杉岡 マネジドケアというものは,アメリカの場合は,民間の保険会社が利潤を上げるために医師を管理しているわけで,日本には決して持ち込んでもらいたくないし,医療の本質から外れるという,私は危惧を持っています.やはり,制度が医療を規制するようになると,非常に不幸なことが起こってくるのではないかと思います.
国際的にみても,日本の医療レベルは相当高いのに,外国に行ってたくさんお金を払わなければ良い医療が受けられないという観念が,日本に定着しているのだとすると,問題ですね.
坪井 アメリカのある経済学者が,アメリカの医療は患者にとって“マンハッタン計画”だと批判していますよ.なぜかというと,保険会社は患者さんに医療の内容を教えずに,保険の値段だけを教え,それから,医師と契約するときには,治療と時間の制限をする.医療技術の制限,いわゆるフリーダムの制限をしているわけです.今の股関節を例にとれば,股関節が最終的に長持ちしないということを患者さんには隠して,その保険を売るのです.アメリカの経済学者が批判しているアメリカの医療を,日本の経済学者が金科玉条のごとく持ってきて,それを法律にしようという国ですから,よほど日本というのは余裕があるのか,危機管理がなっていないのか,よくわかりませんね.
杉岡 やはり,島国根性なのではないでしょうか.私が手術を考案したときに,日本では認められなくて,アメリカなど外国で認められ,それで逆輸入されたことがありました.医療制度というのは,国民生活の根幹にかかわる部分ですから,きちんとした議論をしておかないと,大変なことになると思いますね.
坪井 本音でディスカッションする場をつくることが,確かに必要です.
21世紀は予防医学の時代 |
杉岡 会長もよく予防医学のことをおっしゃっていますけれども,そういうことによって,医療費も削減できるようになるでしょう.そういう削減だったらいいのですが,医療の質を落とすような削減では,非常に困ります.
坪井 まさに科学技術の未来予測でも,二十一世紀は予防医学の時代になるだろうと予測される先生方がたくさんいらっしゃいますし,現実に徐々にそうなってきています.
先日開催されたがん学会のシンポジウムでも,日本には皆保険制度というものが中心にあるのだから,そのなかで予防医療もできるようにみんなで努力しようと話しました.
もっと具体的にいえば,がんの検診,食事指導,それから,リハビリのもう一つ前の段階の健康づくりのところなどについても保険で賄えるように工夫していく.それが,これから二十一世紀の医療保険のあるべき姿だろうと思います.それで賄えない部分は,ほかの手法で,例えば,個人の備蓄財源を使うとか,自由診療に回すなどすればいいのです.
それを,混合診療とか公民ミックスという次元の低い議論をして,せっかく高いところにあるものを引きずり落とすようなことをしているのが,今の改革論議ですよね.
日本の保険制度を含めて,医療提供体制も私は世界一いいと思っていますから,それをアメリカの悪い医療を持ってきたり,イギリスの総枠規制みたいな管理医療を持ってきたりして,敗戦後の何もないときに,先輩たちがみんなで助け合って一生懸命つくった皆保険制度を崩されたら,たまったものじゃない.
ですから,そういうことを防がなければいけないのと同時に,今,会頭の話された予防医学も巻き込んだ医療の提供の形を,これから医学会と一緒につくっていかなければいけないと思いますね.
杉岡 医療費の削減ということだけを取り上げれば,医学の発達を止めればいいわけです.そんなことは,科学者としても,また,医師の良心からしてもできません.
坪井 そうですね.長生きすることが悪いということになりますからね.
杉岡 医学は,当然,人間を見据えた形で発展していき,それを国民が満足する医療の形で受けられるべきであり,そのためにも,質を高める努力をわれわれはしなければいけません.しかし,今,あまりにも医師の技術の評価が十分になされていないのではないかという気がします.もしも,薬価の利ざやなどで医師の収入が賄われるとしたら,それは大間違いだと思います.
一方で,十分な技術評価を受けるためには,専門医制度とその資格維持に厳格なハードルを設けることも大切な要素だと思います.すなわち自浄機構です.
坪井 まさに根底から間違っています.今,会頭がおっしゃったように,われわれは専門集団ですから,医療技術があります.その技術をもって評価され,そして,家族を養い,自分の医業を継続していくというのが当たり前のことなのですよね.
私が,薬価差はいらないから,診療報酬のなかの薬価差に相当するその分を技術料に振り替えなさい,そうすれば,われわれはプロフェッショナルとしてきちんとしたプライドを持って仕事ができるという話をしましたら,結局,差し当たって,その薬価差の半分だけは技術料に充てるということになったのですが,そんなことをやっているうちに,この改革論議になってしまったでしょう.
ですから,薬価差論議のなかで,われわれは,潜在技術料なんていうことはもう考えません,技術料として診療報酬のなかで評価するという診療報酬体系をつくりましょうと主張しているのに,今のところ,何となく議論の外になってしまっているわけです.
研修の義務化とその財源 |
杉岡 医師を育てるうえで,国に相当な負担を考えていただかないと,昔のインターン制度みたいなことになりますね.研修医は,教育をする病院にとって労働力ではなくて,負担になるわけですよ.また,そうでなくてはいけないと思います.ですから,教育に対しては,それなりに国が負担をすべきであると思います.教育に関しても,医師会という立場でいろいろなお考えがおありでしょうね.
坪井 日医は,大学病院が医療費として得た財源を使って教育をしている点について,特定機能病院ができたときには,当然,文部省がしっかり教育費を出すか,あるいは,医療費そのものを医学生の教育に使いますというコンセンサスを国民から得るか,そのどちらかをやらないうちは,特定機能病院をつくってはいけないと,主張しました.
それと同じようなことが,今度の研修の義務化のなかに残っているわけですよ.研修医は,研修病院のなかのマンパワーとなり,当然,診療報酬がそれだけ上がるのだから,医療費を研修に使うというのが厚生労働省の研修病院に対する考え方.そして,文部科学省は,図書館をつくる費用ぐらいは国が出すようなことをいいながらも,いまだに財源は決まっていないのですよ.
今のままでいくと,研修の問題も軌道修正をしなければいけなくなるかも知れません.大学病院は独立行政法人化という大きな問題を抱えていますからね.ましてや,今のスーパーローテイトは,そんなに簡単にできるわけがない.
杉岡 司法修習生の場合には,十分な給与を支払い,身分保証のうえ,きちんと国が教育しますよね.医師の教育も,当然,そういう形でやるべきですし,私も,会長もインターンのとき,非常に幅広く勉強ができましたよね.私はインターンで麻酔を習得しましたので,その後の臨床で大変役に立ちました.
坪井 そうですね.
救急医療は医療の原点 |
杉岡 学生や研修医にとって,プライマリ・ケアや全身管理を学ぶうえで,救急医療というのは非常に重要なのです.ところが,国立大学は,救急医療で地域に貢献していますけれども,自治体は国にお金を出すことを禁じられていますから,看護婦さんの数も制限されていますし,公務員総定員削減のなかで国立大学では救急医療がうまく育っていかないのです.
坪井 私も長く救急医療を担当していましたが,医師会のなかで公にそういうことに対して討議されたということもありませんでした.なかには,何でわれわればかり苦労して国立はやらないのだという人がいましたが,そこをもっと突っ込んでやればよかったですね.
救急医療をやってきた医師とやってこない医師では,地域のなかでの医療に対する自信が違いますよね.例えば,乗り物のなかで,「お医者さんはいませんか」って放送があったときに,救急医療を経験していると,結構気軽に出ていけるんですよね.そういう点からも,救急医療というのは,医療の原点だと思いますね.
私が日医の救急医療担当役員のとき,医師会の会員すべてが救急医であれば,救急車が走り回って,何もわざわざ遠いところへ搬送したり,なかで救命救急士が三点セットで危ない処置をしなくたって済むと考えました.それが理想だと思ったのですけれども,なかなか難しいですね.
杉岡 基本的には,とっさの処置を的確にできるということは必要ですよね.
坪井 基礎的な部分に関しては,医師すべてが救急のプロであるということのほうが,国民としては心強いですね.そのレベルは,アメリカのほうが高いかも知れませんね.
杉岡 アメリカの場合,保険に入っていない患者さんは,サービスということで,インターンとレジデントが主に治療するということが容認されている社会ですから,そこで救急をはじめ高度な臨床医学を修得しています.
坪井 アメリカでは保険を持っていない人たちが,四千三百万人ぐらいいますからね.患者さんたちの国民性もあるのかも知れませんけれども,日本でそんなことをやったら,それこそ大変なことになると思いますよ.
これからの医療保険のあり方 |
杉岡 先ほどの予防医療のことですけれども,その財源はどうしたらいいものかと頭を悩ませています.何かいい知恵はないでしょうか.
坪井 国民すべてが使うような医療に関して,その財源を確保するためには,まず,保険でカバーできる範囲をしっかりと決めることですね.
私が今,「選択的な医療」と名付けて主張しているものがあります.
それは,私自身,これからの生涯にはかかることはないだろうと思われるような医療,例えば,臓器移植,生殖医療,それから,再生医療などの「選択的な医療」は保険でカバーしなくても,各自がそれに対して備えるようにすればよいのです.若いうちから,いろいろな方法で財源を備蓄するということが必要だと思います.
例えば,安い掛け捨ての民間保険のメニューを買っておくということも,リスクマネジメントになりますね.もちろん,備蓄ですから,貯蓄をしてもいい,郵貯でも銀行でもいい.あるいは株券を買ってもいいだろうというようなことで,各自が備蓄をした財源で,その部分を賄う.これが,私が主張している自立投資の概念です.
日医の推計では,二〇一五年には医療費が六十兆二千億円となります.国際的には,日本の事業主の保険料負担はかなり低いのですから,もう少し負担してもらうと,経済成長が年率一・五%ぐらいあれば,財源そのものは賄えるのですよ.ですから,われわれは,二〇一五年まではそれでやれると確信しています.
しかし,二〇一五年より先になると財源の確保は困難になりますから,備蓄財源として,先ほどお話ししたようなファンドをつくって,保険から外した「選択的な医療」に使うというシミュレーションを出したわけです.財源的には,それが,現在の医療改革だと思います.
われわれとして,今やるべきことは,ディスクロージャー(情報の開示)と医療の質の評価に一生懸命取り組むことです.そのうえで,皆保険制度もフリーアクセスも変えない.改革だから変えるのではなくて,変えなくてもいいところは変えない.二〇一五年までそんなにがたがた騒ぐ必要はないというと,政府管掌健康保険が破綻するとか,いろいろなことをいうわけです.
ですから,根本的に考えなければいけない医療政策と,診療報酬のように短期的に解決しなければならない問題を二本立てで論議をして,そして,逐次積み上げていくということをしなさいと,もう三年も四年も前から提案しているのに,国はさっぱり動かない.政管健保が破綻に瀕しているなんて,十年も前からいっているのに,今まで何もしないでおいて,今になって,やれ,伸び率管理だ,三割負担だといっても,説得力がないですよね.
政治家の先生方に,それはこうこうですよって説明すると,「なるほど」と納得してもらいましたが,そうすると,日医がまた政治力を使って改革を阻止したみたいなことをいうでしょう.マスコミも政治家も厚生労働省のほうを見ながらものをいい,その対極にいる日医は,お小言をちょうだいする立場に追いやられる図式です.
ですから,わが家の家族はもう大変ですよ.「お父さんは悪いことをしている」というようなことをいいますからね.「そんなことはない,もう少し待て.百年待っていればいい男になる」といっているのですよ.(笑)
杉岡 内外ともに,ご苦労されているのですね.これからも,正しい医療のために頑張ってください.本日は,どうもありがとうございました.
坪井 本当にお疲れ様でございました.
|
昭和7年生.昭和33年3月九州大学医学部卒業,昭和58年8月九州大学医学部教授(整形外科学講座),平成5年1月九州大学医学部長(併任),平成7年11月九州大学総長,平成13年11月九州大学名誉教授,平成13年11月26日より労働福祉事業団九州労災病院長. |