日医ニュース 第985号(平成14年9月20日)

日本の医療の実情[7]
株式会社の本質と医療機関経営は相反する
日医総研 研究部長 石原 謙(愛媛大学医学部医療情報部教授)

 多くの医療人が,あの医療破壊にも等しい診療報酬改悪と闘っている間を見計らい,さらに大きな次の時限爆弾が仕掛けられた.国民全体にとって取り返しのつかない「株式会社参入」である.
 「株式会社による医療機関経営」については,一部の医療関係者も良いことではないかと誤解しているが,大きな誤りである.公平で高水準の皆保険制度にとって致命的であり,後日,誤りに気づいてから回復することは不可能に近い.

株式会社参入で医療が良くなることは?

 多くの人々が,株式会社の参入によって医療の競争が発生し,サービスが改善するのではないか,と考える.そこには,今の日本の医療は,「護送船団」方式によって守られ,ぬくぬくと医療機関が儲けているという誤解があろう.
 しかし,現実は,世界で最も安いGDP比の医療費が示すように,護送船団どころか,医師の人権剥奪に等しい診療報酬点数である.さらに,応召義務や毎月の診療報酬明細書提出や監査などを要求され,勤務時間など無視した過剰な「医療関係者であるがゆえの不法労働行為」のサービス残業を強いられる「奴隷船」が実態だ.他の産業には,ここまでひどい明示的あるいは暗黙の恒常的な過剰義務はほとんどない.
 残念ながら,日本の低コスト医療制度は,その結果として,開業医も勤務医も異常な長時間労働と厳しいストレスにさらされ,過労死寸前で仕事をしている.このために患者さんは,疲弊しきった医師や看護師に短い時間の診療や看護で我慢させられ,不平不満がつのっている.
 この現状を,株式会社の参入で改善できる非効率な現状と見るか?
 結論は,否である.
 まず,第一に,株式会社の設立目的は利益の最大化である.最善の医療を提供し続けようとする医療機関や医療人の目的とは,本質的に相容れない.医療機関経営は,医療行為そのものと密接にかかわるからこそ,医療機関の理事長要件が原則として医師・歯科医師と制限されている.
 入退院の判断一つとっても,赤字覚悟で患者さんを入院させる決断が求められ,手術の是非は,病院の収益や症例数稼ぎで決めるのではなく,患者さんにとっては何がベストかという観点から判断されている.
 一方,多くの企業人は,顧客にとって何がベストかという判断ではなく,社の収益に何がベストかという判断で行動してきた.巨額が投じられた挙げ句に,まともに動かぬ巨大システムや,各地で反対運動の起きている公共事業を受注しているのは,日本を代表する企業である.売り上げさえ伸びれば,恐るべき無駄や不徳なビジネスを平然と行う企業は枚挙に暇がない.
 しかし,外科医は,不満足な結果の予想される手術を,決して引き受けたりはしない.金を払えばどんな手術でもする外科医など聞いたことがなかろう.再びいう,医療機関経営は医療行為そのものである.
 第二には,日本の医療は投入されている予算からみると,奇跡に近い効率的な有効活用をしている.収益至上主義の株式会社が参入したとて,改善の余地はあまりない.日本の医療は,世間が誤解しているような低レベル・非効率の医療ではなく,献身的な医療人の奉仕によって成立している,世界に誇るシステムである.
 ただ,「効率」という際に,企業人は,医師一人当たりの売り上げとか,投下資本に対する利益率という概念で語るのに対して,医療人は,与えられた予算を,いかに多くの患者さんを救うために分配利用できるかという点から考えるので,見解の相違は大きかろう.
 企業会計論理での「効率」から医師や診療科あるいは病院の比較をすると,収益差あるいは効率の格差が算出でき,ある部門の仕事がいかにもお粗末であるかのような解析結果を出すことは簡単である.医療経営コンサルタントを否定するものではないが,医療を質や医療人の貢献によってではなく,医療保険点数の稼ぎによって,診療科や医師個人のランキングをすることに騙されてはならない.この点において,真に改善すべきは,低すぎる医療保険点数である.
 さらに,第三には,医療が株式会社の参入によって,改善するという保証はどこにもない.それのみか,採算のとれる医療部門にのみ参入する株式会社は,辛うじて残っている,ごく一部の採算部門の過当競争をもたらし,対抗する医療機関も不採算部門の切り捨てという選択をせざるを得ず,社会保障のあるべき姿を大きく損なう.
 万が一,医療機関経営に株式会社が認められると,数年間は,宣伝の材料・シェア確保の武器として,本体企業から赤字覚悟のイメージアップ予算がつぎ込まれ,多くの国民が,「やっぱり株式会社は良い」と騙されることであろう.同時に,民間医療保険が,保険適応外の高度先進医療やがん治療薬などをうたい文句に,売り上げを伸ばし,シェアを確保してゆく.
 しかし,その後が大問題.カリフォルニアの電力自由化後の暴騰と停電頻発は記憶に新しい.同様に,株式会社の経営する医療機関が,投資資金を回収し,利益を上げる行動に出るとき,国民と医療人のほとんどが想像すらできない冷徹な「資本」の論理と収益確保の方法で株価操作や買収などを行い,地域患者のニーズにかかわらず,当該株式会社病院の収益改善の目的に沿った医療機関統廃合を進める.端的にいって,大方の場合に資本力の差で勝敗は決まる.
 その結果は,日本の誇るべき公的医療保険の衰退と,民間医療保険会社による医療サービスの支配,すなわち金持ちだけが良い医療を受けられるという社会の到来である.それは,今の米国の医療を見れば,一目瞭然である.

医療と株式会社経営の相反 株式会社経営で医療期間はどう変わるか

株式会社の本質は,利益追求

 これに対して,「そんなことはない.身近に立派な企業経営者がいる」と,反論する人もいるだろう.たしかに倫理的なモラルの高い立派な経営者がいることも事実で,そういう方には心より私淑する.
 だが一方で,金儲けしか考えていない経営者も多い.そういう人は,「選択と集中」あるいは「コアコンピテンス」,つまり,もっとも良く儲かる仕事という発想のみで経営する.儲からない仕事は切り捨てる.ジャックウェルチGE元会長は最高の経営者と崇拝されるが,その姿勢は医療本体にはなじまない.
 そのやり方では,現在の診療報酬体系のままなら,小児科を切り捨て,救急医療を切り捨て,高齢者長期入院医療を切り捨てるなど,採算の悪い部門を切り捨てるほかない.しかし,日本の各地にこれらの部門を必死に守っている多くの医療人がいる.

日本の医療は民間経営主体で,免許取得も開放されている

 総合規制改革会議は,「制度的になかなか民間が参入できない分野があるが,どのような形で民間の持っている創意工夫や民間の活力を持ち込めるか」と,株式会社による医療機関経営を推奨する.この発言が事実だとすると,大きな誤解である.日本の診療所や病院の大半が民間機関であり,それぞれに創意工夫を行い,熾烈な競争をしている.
 そして,日本の医師免許は,諸外国の例にあるように閉鎖的ではない.だれにでも,医学部卒業と医師国家試験合格という方法で取得できる.学士にとっては最短わずか四年で取得できる.運転免許が一月ほどで取得できるのと比べるといささか長いが,人の命に直接関わる職種であるから,この程度の期間はかかって当たり前だろう.私見だが,医師免許を持つ者による株式会社形態の医療機関経営ならば,ギリギリの倫理を守れる妥協点かもしれない.
 いずれにせよ,医師免許を持っていることが「医療機関の効率を悪くしている非民間経営」で,医師免許を持たずに病院を経営することこそが「効率的な民間経営」だ,というのはおかしなロジックである.
 株式会社による非医師の医療機関経営を主張する企業人に伝えよう,「日本の医師免許はだれにでも開かれている.わずか四年の勉強をして,合格さえすれば良い」.四年間でだれにでも開かれた医師免許が嫌だとか,大学入試が難しいというなら,もう論外だ.金を持っていたら,何をしても良いという暴論に過ぎない.

株式会社参入の危険性を啓発するための行動を

 健康保険料の値上げと自己負担の三割化など,国民の多くが納得できない「医療改革」が続き,診療報酬改定では,多くの医療機関経営者がつらい思いをしているにもかかわらず,国民はその負担増の痛みの原因を医師に向けている.医療人が黙っていると,ますますこの誤解は国民の確信に変わるだろう.国民へ説明する日々のたゆまぬ行動が,今,必要である.


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