日医ニュース 第989号(平成14年11月20日)
第55回日本医師会設立記念医学大会 受賞者の横顔 |
第55回日本医師会設立記念医学大会の席上表彰された日本医師会最高優功賞のうち,都道府県医師会長推薦による「医学,医術の研究により医学,医療の発展又は社会福祉の向上に貢献し,特に功績顕著なる功労者」の横顔を紹介する. |
脳卒中の研究・予防に著しく成果をあげた団体 秋田県脳卒中医の会(秋田県)(林 雅人会長) |
昭和58年9月に,秋田県内のCT装置を有している27病院の脳卒中治療に携わっている医師が秋田市で会合をもち,「秋田県脳卒中医の会」が発足した.
昭和58年11月以降の脳卒中発症例について,画像診断に基づいた脳卒中発症登録を開始した.昭和60年,秋田県の脳卒中発症状況および予後に関する研究で中村記念賞(秋田県医師会)を受賞する.1年平均3,000件の登録実績があり,現在では日本有数の脳卒中発症登録・追跡データベース(登録数48,000件)に成長した.
全県の脳卒中診療に携わる医師が協力し,人口120万人の大集団での画像診断に基づいた病型別脳卒中発症率を年齢,性別に明らかにした.登録された脳卒中発症者の追跡調査を行い,10年以上にわたる生命予後,機能予後を明らかにした.このことで,脳卒中が社会にもたらす害として,死亡による損失より障害による損失の方が2.4倍も大きいことを明らかにした.
地域医療の向上に貢献した医師会 藤沢市医師会(神奈川県)(朝倉 茂夫会長) |
新生藤沢市医師会は昭和22年に設立された.そして,他の地域医師会よりも,7年も早く藤沢市国保を発足させ,保険医療に協力している.昭和37年には,すでに在宅当番医療を開始し,昭和46年からは藤沢メディカルセンターに南休日および夜間急病診療所を開設,さらに平成6年には,保健医療センターに北休日および夜間診療所を設置,市内2カ所と充実させた.昭和44年に市と予防接種委託契約を結んだが,これは後に藤沢方式と呼ばれ,各地区でのモデルとなった.
昭和62年から始まった基本健康診査は,平成11年には147の医療機関で対象者の58%にあたる59,785人を診査した.肺がん検診では,10年間に300人以上の肺がんを発見し,厚生省のモデル事業に指定され,平成11年「日本対がん協会賞」を受賞した.また,大腸がん検診では,5年間で157名のがんを発見している.その他,腎疾患経過観察者検診,脊柱側弯症検診などでも大きな成果を挙げている一方,市民対象の健康教育活動も活発に行ってきた.
医師会病院の機能向上と地域医療の発展に貢献した病院 熊本市医師会熊本地域医療センター医師会病院(熊本県)(豊田 大徳院長) |
熊本市医師会熊本地域医療センター医師会病院は,昭和56年11月,民設民営の共同利用施設,開放型病院の機能をもって開院した.設立理念の三本柱を,(1)高度の診断機能をもつ高次対応の病院(2)地域に対する24時間の救急医療体制を敷く病院(3)高額医療機器の共同利用と会員やコメディカルの生涯研修のための病院としている.
救急医療体制は,小児科,内科,外科の3科について,開院以来24時間の救急・急患応需体制を堅持している.休日・夜間1次救急に対しては,192名の会員が出動協力医として勤務し,年末年始も含めて365日,1次救急医療に対応している.特に,小児救急医療は「熊本方式」として全国紙でも報道され,本年度診療報酬等の改定のモデルとなっている.2次救急には,病院群輪番制病院として年間317回当番に当たり,中核的役割を果たしている.平成9年9月には救急医療功労者厚生大臣表彰を受賞.
基礎と臨床の研究・教育に著しく貢献した功労者 北海道 川村 明夫先生 |
昭和17年生まれ(60歳),昭和43年北海道大学医学部卒業.北海道大学医学部第1外科入局,西ドイツへ留学の後,昭和60年に札幌北楡病院を開院した.
教室在籍中にはじめた“凍結異種肝を用いたハイブリッド型肝補助装置”の研究をすすめ,血漿交換,クライオフィルトゥレーションによって,劇症肝炎,重症肝不全,免疫疾患の治療を確立した.さらに,多くの腎移植の症例を重ね,最近では白血球除去療法の基礎的,臨床的研究をすすめ,潰瘍性大腸炎をはじめとする免疫疾患治療に応用している.
また,血液透析とその周辺技術の研究を精力的に続け,自己あるいは在宅透析を容易にするための非穿刺型ブラッドアクセスを開発して,日本国,米国の特許を取得し,慢性維持透析患者にとっては,大きな福音となっている.
一方,ヒマラヤ登山に医師として参加したのを契機に,ネパール・クンブー地方の医療事情を調べ,無償巡回診療を行い,現地の住民から感謝されている.
医師会活動を通じて地域医療に貢献した功労者 茨城県 荒木 恒夫先生 |
大正9年生まれ(82歳),昭和19年東京大学医学部卒業.昭和22年茨城県北相馬郡にて内科医院を開設.昭和27年取手市医師会理事,昭和48年同医師会長,昭和51年から茨城県医師会代議員.
昭和57年7月,医師会活動,会員の診療支援,地域医療の拠点となる茨城県内最初の「取手北相馬保健医療センター医師会病院」を開設し,病院長に就任.会員の紹介患者の外来・入院治療,高額医療機器の共同利用を進め,医療資源の再配分を図った.また,救急患者のたらい回し問題を解決するため,取手北相馬の各自治体と協力し,休日夜間緊急診療所を開設し,24時間365日の救急医療体制を構築した.
平成4年,財団法人取手市健康福祉医療事業団副理事長に就任,老人保健施設「緑寿荘」の開設に尽力.平成5年11月,医師会立訪問看護ステーションを開設,介護保険に対応した高齢者福祉のシステムづくりに大きな力を発揮した.
地域医療・保健衛生活動に貢献した功労者 埼玉県 石井 照雄先生 |
昭和2年生まれ(75歳),昭和25年慶應義塾大学附属医学専門学校卒業.
昭和34年から西武産婦人科小児科病院に勤務,昭和58年同病院長に就任し,現在に至る.その間,入間地区医師会理事,飯能地区医師会理事,同医師会副会長等を歴任,平成10年から現在まで飯能地区医師会長を務め,通算28年余にわたって,郡市区医師会役員として地域医療・福祉の向上と充実に尽力した.昭和61年から約10年間,埼玉県医師会理事および常任理事として,地域の医療体制の充実・整備に努め,公衆衛生・保健衛生の向上と発展に力を尽くした.さらに平成2年から12年間,埼玉県医師会母体保護法(優生保護法)指定医審査委員会委員および同法不服審査委員会委員として,母体保護法の適正な運営のために尽くした.
現在,日医代議員並びに県医師会代議員も兼務し,会員間および医師会間の意見のまとめ役として多大な貢献をしている.
保健医療・福祉の充実に貢献した功労者 新潟県 丸山 正義先生 |
大正13年生まれ(78歳),昭和23年新潟医科大学(現・新潟大学医学部)卒業.昭和25年国立犀潟療養所(現・国立療養所犀潟病院),昭和26年長野県川西赤十字病院を経て,昭和27年福島県喜多方市昭和電工診療所長に赴任,昭和30年新潟県上越市にて丸山医院開業,現在に至る.
昭和45年高田市(現・上越市)医師会理事,昭和49年同副会長,平成6年上越医師会長.昭和55年新潟県医師会理事,平成6年日医代議員.
上越市医師会長就任後,卓越した指導力で平成11年2市8町8村を統轄する全国有数の広域医師会を構築,会員の資質の向上,病診連携の充実に敏腕を振るった.また,昭和44年設立の医師会共同利用施設を上越地域の保健,医療の拠点施設とするべく尽力,現在,一大健康管理センターとなった.平成7年県内でいち早く医師会立訪間看護ステーションを立ち上げ,さらにホームヘルパーステーションの重要性を説き,平成13年開設にこぎつけた.
小児医療の向上に貢献した功労者 愛知県 阪 正和先生 |
昭和2年生まれ(75歳),昭和25年名古屋大学附属専門部卒業.
昭和27年岐阜県厚生連西濃病院小児科部長,昭和33年中日新聞健保中日病院小児科部長,昭和44年三菱名古屋病院小児科長,昭和54年同副院長,平成2年愛知淑徳大学教授,平成3年愛知県医師会社保福祉医療担当者指導委員,平成3年愛知県小児科医会副会長,平成5年同会長,平成6年日本小児科医会理事.
昭和63年愛知県病弱児療育研究会を発足し,病弱児教育の発展に寄与.愛知県小児科医会役員として,子どもの健康を守る会,救急医療講習会,愛知県母子保健家族計画大会,よい子を生みよい子を育てる会等を開催し,園児の保健,事故防止に貢献した.また愛知県教育委員会の家庭教育(幼児期)相談事業企画運営委員,名古屋市熱田生涯学習センターの幼児期家庭教育推進会議委員,愛知県児童環境づくり推進協議会委員等の公職につき,家庭教育の推進や子どもの環境整備の基盤づくりに貢献した.
地域における医学教育の普及に貢献した功労者 京都府 多田 寛 先生 |
昭和5年生まれ(72歳),昭和31年京都大学医学部卒業.
昭和32年京大外科副手,同年米国ジョーンズ・ホプキンス大学病院勤務.昭和36年京大外科副手,解剖学副手併任.昭和43年京都市右京区で開業.昭和56年京都内科医会理事,昭和60年右京医師会長.昭和63年京都府医師会理事,平成13年京都内科医会長.
卒後研修の充実が不可欠の課題となっていた昭和63年,京都府医師会理事に就任し,学術・生涯教育ならびに保険業務を担当.昭和62年発足の日医生涯教育制度の導入に伴い,それまでの学術委員会を「学術・生涯教育委員会」と改称して定例委員会に改組し,その理事として自ら委員会を担当.さらに京都がん協会学術部会長として対外的にも活躍した.
また,京都内科医会と共催して毎年「CPC」を実施したほか,地区医師会研修事業を展開した.ほかにKBS京都放送で「医療最前線」と題したテレビ番組を企画・制作し,3年間にわたって放映した
がん検診活動と早期発見に貢献した功労者 兵庫県 小國 美種先生 |
昭和7年生まれ(69歳),昭和32年慶応義塾大学医学部卒業.昭和47年産婦人科小國病院長.昭和62年姫路産婦人科医会長,平成8年姫路市学校保健会長,平成10年姫路市医師会長,日医代議員,姫路市救急医療協会理事長.平成11年近畿集団検診連絡協議会理事.平成13年中播磨圏域健康福祉推進協議会長.
昭和44年から子宮がん検診委員会委員として検診内容を検討し,姫路市における施設検診を実施させた.その後,婦人科医療機関での個別検診方式,「休日個別検診」を実施し,働く女性の便宜を図るとともに,姫路市民・地域住民への啓発活動を積極的に行った.子宮がん検診に力をそそぎ,平成8年から節目誕生月無料検診を実施するなどして子宮がんの早期発見に尽力した.また,兵庫県から受託の県民ドックに乳がん・子宮がん検診を導入実施した.
平成12年度からは姫路市医師会事業の柱である健診部門のIT化に取り組み,高い情報処理技術を導入,地域保健医療福祉活動の活性化に貢献している.
胃カメラ検査による地域医療活動に貢献した功労者 奈良県 池川 清彦先生 |
大正13年生まれ(78歳),昭和20年大阪帝国大学附属医学専門部卒業.卒後,同大学附属病院第1内科入局,昭和28年尼崎中央病院内科医長,昭和30年済生会御所病院副院長,平成8年同病院長,現在は同病院名誉院長.
主な業績は,昭和35年頃,当時実用化されつつあった胃カメラにいち早く着眼し,多くの患者への検査を通じて現在の電子スコープに繋がる胃内視鏡検査の実用化とその普及に寄与したこと.また,胃内視鏡検査による胃疾患の診断水準の向上に努め,昭和36年から40年にかけては,「早期胃がんの胃カメラ像」「胃潰瘍の良性悪性の鑑別診断について」等々,内科学会,消化管内視鏡学会に多数発表.
日常の診療においては,胃内視鏡を駆使し,多くの症例をも
とに地域の医師会員と交流を持ち,毎月の検討会を開催.地域の医療水準の向上や病診連携体制の整備などに指導的役割を果し,その貢献は大である.
学校保健活動に貢献した功労者 島根県 能美 雅 先生 |
大正9年生まれ(82歳),昭和18年東京医学専門学校卒業.
昭和23年島根県江津市にて開業.昭和35年から江津市医師会理事,副会長,会長を歴任.昭和54年から島根県医師会理事,常任理事,副会長を歴任.平成14年島根県医師会顧問.平成6年日医医師福祉対策委員会委員,委員長.平成8年から日医代議員.
昭和24年からの那賀郡有福村小学校本明分校校医を皮切りに,二宮小学校校医などを歴任した.その間昭和27年には,二宮小学校が健康優良学校日本一の栄冠を獲得した.また昭和57年,58年と連続して跡市小学校が健康優良学校島根県一となり,学校医として健康管理や保健指導に大きく貢献した.
学校保健活動としては,昭和29年江津市学校医会長,昭和54年江津市学校保健会長,昭和62年島根県学校保健会副会長となり,昭和35年から59年まで島根県学校医会理事,常務理事を歴任,昭和59年から島根県医師会学校医部会副部会長,平成6年部会長となり,指導的な役割を果たした.
消化器外科の研究・診療・教育に貢献した功労者 岡山県 榊原 宣 先生 |
昭和6年生まれ(71歳),昭和36年岡山大学大学院医学研究科修了.昭和49年東京女子医大教授,昭和54年同大第二病院長,昭和58年日本臨床外科医学会総会長,昭和62年順天堂大学教授(平成9年名誉教授),平成3年医療法人社団十全会理事長(心臓病センター榊原病院),平成12年から岡山市病院事業管理者を兼任.
主な功績は,卒後から一貫して消化器外科の研究,診療,教育に取り組み顕著な業績を上げたこと,そして,後の地域医療への並々ならぬ尽力である.業績は,手術書「胃の手術」(永井書店),“Atlas of advanced gastric surgery techniques”など,多数の編著書に顕されている.
なかでも,「家庭の医学」等は,一般の人々への医学知識の普及を目的とし,その意図と企画は絶賛に値する.最近では,岡山市立3病院の経営改善,また消防局や県内外100病院と心電図解析を通じたネットワーク構築など,地域医療への尽力と貢献は多大である.
救急医療体制の確立に貢献した功労者 宮崎県 河野 通 先生 |
大正10年生まれ(81歳),昭和17年九州帝国大学附属医学専門部卒業.昭和17年,陸軍軍医少尉として陸軍兵站病院ラバウル第67病院召集.昭和18年,陸軍軍医中尉.昭和21年,召集解除,復員し,熊本県宇土郡にて開業,途中,昭和23年より昭和25年にかけ,国立熊本病院婦人科に勤務したが,後に再開業し,昭和29年,熊本県牛深市立病院副院長,昭和30年宮崎県田野町国民健康保険病院長を経て,昭和37年宮崎市にて産婦人科医院を開設し,現在に至っている.
昭和41年宮崎市郡医師会理事,昭和49年同副会長,昭和51年宮崎県医師会理事,昭和53年より10年間,宮崎市郡医師会長を歴任.医師会役員,救急医療,学校保健,看護婦対策に関しての功績が顕著であるが,特に,救急医療においては宮崎県内初の夜間急病センターの開設に尽力し,14年間,所長として活躍,特に昭和59年のカラシレンコンによるボツリヌス菌食中毒の際の適切なる対応で県知事表彰を受けた.
終戦直後の沖縄の医療体制構築に貢献した功労者 沖縄県 安座間 廉 先生 |
大正4年生まれ(86歳),昭和12年台北帝国大学附属医学専門部卒業.
昭和12年より昭和20年まで陸軍軍医勤務.1年間国立名古屋病院勤務後,琉球政府の平安名診療所長,コザ中央病院眼科勤務を経て,昭和26年,具志川市にて安座間眼科医院を開設した.
昭和21年当時の沖縄の人口,32万6千人に対し,医師数はわずか64名というなか,終戦直後の沖縄における医療体制を築いた1人である.また,医師会活動においては,昭和26年に医師の自由開業が認められ,同年沖縄群島医師会が発足したが,当初より設立に参加し,多大の功績を残した.
医師不足のため,1日400人を超える患者の診療に多忙を極めるなか,昭和28年から沖縄県医師会代議員として,また,昭和38年より2年間,中部地区医師会長として,また,昭和49年より2年間,沖縄県眼科医会長として活躍した.現在も顧問の立場で,指導・助言を行っている.