日医ニュース 第998号(平成15年4月5日)
第21回「心に残る医療」体験記コンクール表彰式 内容をリニューアルし,各賞を表彰 |
第二十一回「心に残る医療」体験記コンクール(日医・読売新聞社共催)の表彰式が,三月七日,都内のホテルで行われ,糸氏英吉副会長,櫻井秀也・雪下國雄両常任理事が出席した.
まず,主催者として坪井栄孝会長のあいさつ(糸氏副会長代読)があり,「今回は提言部門や小学生の部といった新しい取り組みもあって,かなり広がりを持った内容の作品が多くなった.患者さんの両親に誠実な態度と適切な助言で臨んだ,日本医師会賞『産婦人科医の処方せん』の医師の姿勢は,やはり医師の原点である.これからも,患者さんの立場に立って,医療関係者一丸となって活動していきたい」と述べた.
つづいて,大内孝夫読売新聞東京本社専務取締役事業局長のあいさつ,来賓祝辞の後,雪下常任理事が次のように経過報告を行った.
「昨年の九月十一日に募集を開始し,十二月十六日に締め切り,その結果,前回を上回り,二千四百四十八編という多数の応募があった(そのうち,医療が千百六十五編,介護が五百八十編,提言三百七十三編,小学生の部三百三十編).第一次審査で百二十二編に,第二次審査で三十編に絞られ,一月二十七日に最終審査が行われ,本日表彰の各賞が決定した」.
引き続き表彰に入り,厚生労働大臣賞,日本医師会賞,読売新聞社賞,アメリカンファミリー介護賞の四賞,入選,佳作の順で賞状,副賞が授与され,その後,小学生の部も最優秀賞,優秀賞,佳作の順に表彰された.
最後に,ねじめ正一氏による審査講評があり,式典を終了した.
なお,今回の入賞作品二十九編は,例年どおり,冊子としてまとめられ,日医雑誌に同封される予定である.
■最終審査委員
落合恵子(作家),ねじめ正一(作家,詩人),竹下景子(女優),篠崎英夫(厚生労働省医政局長),松井秀文(アメリカンファミリー生命保険会社会長),雪下國雄(日本医師会常任理事),大内孝夫(読売新聞東京本社専務取締役事業局長)(敬称略)
第21回「心に残る医療」体験記
コンクール入賞者 |
【厚生労働大臣賞】 竹田 雄也 中学生 兵庫県神戸市 【日本医師会賞】 松野城太郎 会社員 東京都町田市 【読売新聞社賞】 藤島 恵子 農 業 千葉県袖ケ浦市 【アメリカンファミリー介護賞】 島田美智子 主 婦 香川県丸亀市 【入 選】 近藤 佳代 主 婦 埼玉県上尾市 吉田 純子 主 婦 東京都世田谷区 隅田 寿子 主 婦 兵庫県加古川市 綱嶋佳代子 主 婦 長野県中野市 白間 里美 会社員 岡山県岡山市 加賀谷満知子 公務員 富山県小矢部市 竹川 愛 高校生 愛知県岡崎市 水野 恵美 看護師 栃木県大田原市 太田 文子 主 婦 群馬県群馬郡 藤井 正恵 主 婦 大阪府堺市 【佳 作】 千葉 瑞穂 高校生 宮城県気仙沼市 湯本 有香 会社員 愛知県名古屋市 花井 美紀 会社役員 愛知県名古屋市 高田 郁子 主 婦 福島県郡山市 河崎 瑞枝 元看護師 北海道小樽市 【小学生の部・最優秀賞】 和賀沙耶香 六 年 福島県いわき市 【小学生の部・優秀賞】 佐々ゆかり 四 年 東京都中野区 清河 恒葵 四 年 神奈川県横浜市 田島 佐記 二 年 埼玉県川口市 宗 あさひ 一 年 東京都世田谷区 天野 莉那 一 年 群馬県勢多郡 【小学生の部・佳作】 原 いつみ 三 年 福島県福島市 大須賀 琴 五 年 東京都品川区 須藤 光夏 三 年 新潟県上越市 藤本かおる 三 年 東京都西東京市 |
日本医師会賞 産婦人科医の処方せん 松野城太郎 |
二〇〇一年十一月十五日,私たちの娘,礼は新宿の信濃町にある小さな産婦人科医院で生まれました.体重二千七百八十六グラムのおとなしい赤ん坊でした.
私が娘の障害について告知を受けたのは,娘が生まれて五日目のことでした.あれから一年,告知の衝撃がいまや過去のものとなり,懐かしくも思えるほど,こんなに早く癒やされ,立ち直ることができたのは,出産を担当してくれたR医師のおかげだったと思います.
その日,私は妻と娘を病室に残し,看護師に導かれるがまま,初めて産婦人科の医務室に入りました.簡素で清潔に保たれたその部屋で,白衣を着た初老のR先生が,どことなくソワソワと歩き回っていたように覚えています.
簡単なあいさつを交わし,向かい合って座るとすぐに,先生は背筋を伸ばし真剣な面持ちで私にいいました.「もうお気づきかも知れませんが,あなたの娘さんは染色体異常と思われます.血液検査の結果はまだですが,おそらくダウン症でしょう」
R先生の単刀直入なその一言を理解するのに少し時間がかかりました.「染色体異常」「ダウン症」「知的障害」「身体障害」「障害児」……頭のなかで単語がパズルのように組み合わさっていきました.
ぼう然としている私に配慮してくれたのでしょう.先生は十分に時間をおき,そして静かに先を続けてくれました.「染色体異常」についての簡単な説明を聞きながら,私は少しずつわれを取り戻すことができました.その後も先生は,ゆっくり時間をかけて,私たち家族のこれからの生き方などについて話を続けてくれました.
「障害児と暮らすからといって,今の仕事を変える必要はありません.夢や趣味をあきらめる必要もありません.むしろ,この子のためにも,あなたたち家族は健常児のいる家庭と変わらぬ毎日を送るべきです」
「この事実を奥様に伝えることがつらいのならば,奥様には私からご説明しましょう.いつでも相談に来てください.何かお手伝いできることがあるでしょう.必要なときは専門医を紹介します.もし,興味があるならダウン症などに関するネットワークや療育施設をご紹介しましょう.今は,私がお子様を診ます.あなたは奥様を支えてあげてください」
また,先生は,うろたえるばかりの私に,「男だろう,しっかりしなさい!」という代わりに,優しく笑いながらいいました.「ショックは大きいでしょう,分かります.今夜は眠れないかも知れませんね.必要であれば興奮を抑えて眠れる薬を処方しますよ.ただし奥様の分だけで,あなたの分はありません.あなたはもう少しがんばってください」.そして,私に病室に泊まる特別な許可と,簡易ベッドを用意してくれました.
ときどき,障害児を持つ親同士で「告知の時の体験談」を話し合う機会があります.産後,障害児と分かるや否や専門の医療機関や療育施設にバトンを渡し,「我介せず」の医師や病院が多いことが分かります.もちろん,生まれた子に対する,迅速で適切な処置とは思いますが,親の「心」に対する処置がまったく施されていないケースの多さに驚かされます.
障害児に限らず,新生児の生命を守るための処置は,大切な医療技術だと思います.けれども,「障害児の誕生」という突然の出来事に驚き,すぐにその事実と向き合う覚悟ができない親に対して,誠実な態度で接し,適切な助言ができる能力もまた,評価されるべき産婦人科医の医療技術だと思います.
いずれ両親は,障害児とともに生きる毎日は少々不便ですが,決して不幸な人生ではないことに気が付きます.実際,今の私はそんなテーマをもった毎日に充実を感じることすらあります.
ただ,そのことを実感できるまでの日々は,不安と悲しみの連続です.障害児の両親ができるだけ早い時期に光を見いだし回復するためには,産婦人科医の誠実な態度と適切な助言が最も効果的な処方せんだと思います.
近ごろ,娘はだいぶ表情豊かになり,無邪気にほほ笑みます.そんな娘を前に妻がいいます.「私,勇気を出してもう一人生んでみようかな.その時は,またR先生にお願いしようかな」
妻もまた,私同様,R先生の持つ医療技術に大きな信頼を寄せているようです.