 |
第1016号(平成16年1月5日) |
NO.3 ─新企画─

「患者の数だけ痛みや悩みがある」
小柴昌俊(東大名誉教授)

少年時代の病気が原因で,人生の夢を打ち砕かれ,絶望の淵に立たされた小柴氏.今,再び,病人となって医療とかかわりを持つと,さまざまなことが見えてくる.
患者として医師に望むこと,若い医師へのアドバイスなどを送る.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)

小柴昌俊(こしばまさとし)
東大名誉教授.
大正15年生まれ,昭和26年東大理学部物理学科卒業.昭和28年米国ロチェスター大学大学院へ留学,東大理学部教授を経て,昭和62年から現職.平成14年ノーベル物理学賞受賞,その他,文化功労賞,日本学士院賞,文化勲章,ウルフ賞など国内外の多数の賞を受賞している. |
医学とのかかわり
私は物理学を専門としている教育者だが,医学とも縁が深い.
まず,家内が医師の長女に生まれ,その一族のほとんどが医師という環境にある.そのような関係で,十年間ほど,社会福祉法人の理事を務めたことがある.ここでの経験も私と医学を結びつける大きな働きをしている.
次に,病気との闘いである.中学一年の秋,小児マヒとジフテリアにかかるという不運に見舞われた.後ほど書くが,この病気によって私の人生は大きく変わった.人生の目標を失い,今考えても,一生で一番つらい時期だった.
小児マヒは,朝目覚めると体が動かないという形で,ある日突然表れた.当時は手当ての方法もなく,四肢マヒが残った.一度転ぶと一人では起き上がれないという情けない状態で,中学生ながら大きな挫折感を味わった.ひたすら歩く生活をしていたら,やがて両足・左手のマヒは回復.しかし,右手は現在に至るもマヒが残り,かなり不自由な生活を余儀なくされてきた.
中学以降,病気知らずで過ごしてきたが,ここ四年ほど,全身の筋肉が痛む膠原病の一種「リウマチ性多発筋痛症」に悩まされている.幸い,ステロイド剤で快方に向かっているのだが,今,再び“病人”になってみると,いろいろなことが見えてくる.
ノーベル賞への道
平成十四年,私は,素粒子ニュートリノの天体観測で「ノーベル物理学賞」を受賞した.このニュートリノを捉えたのは,実に,東大退官一カ月前であった.これをもって,人は,「運がいい」というが,私にとっては,賞のありがたみよりも,私の人生を支えてくれたすばらしい人々との出会いの方が「幸運」だったと思う.
私は,父が軍人であった関係で,当時のエリートコースとされていた陸軍幼年学校を目指していた.その準備中に小児マヒに侵され,泣く泣く軍人はあきらめ,高等学校に進むことにした.
ところが,その高等学校進学も二度の受験に失敗,高校浪人を経験するなど,順風満帆の人生とはほど遠い,惨憺たる青春であった.奮起してようやく一高に合格したものの,捕虜となった父に代わって家族を養うため,学校にも行かず,肉体労働と家庭教師のアルバイトに明け暮れる毎日.おかげで,入学当初三番だった成績がまたたく間に下がり,東大受験もあやうくなっていた.再び大奮起して東大物理学科に合格するも,やはり,一高時代と同じように,「生活はどん底 成績もどん底」状態であった.
「物理をビリで卒業した」という話は,真実に近い.そのために就職口がなくて,とりあえず大学院へ.そこでようやく自分のやりたいことにめぐり会え,あとは目標に向かってまっしぐらである.
私は,小児マヒで人生の目標を打ちくだかれたが,この病気に罹らなければ,今日の自分はなかったともいえる.
「平成基礎科学財団」の設立
私がノーベル賞を受賞したとき,多くの人々から,ニュートリノの発見が,人間にとってどのように役立つのかと問われ,答えに窮した.確かに,ニュートリノが,今,何かの役に立つ,あるいは商売に結びつくことは考えにくい.しかし,過去には,十九世紀末の電子の発見が,二十世紀のエレクトロニクス産業へと飛躍的に発展した事実もある.
とかく,人間は目先の損得に気をとられがちだが,基礎科学の発展なくして,人類の未来はないといっても過言ではない.本来,このような地味な分野への支援は,景気に左右されずに,国が率先して行うべきである.今のままでは,日本の基礎科学は,衰退の一途をたどることにもなりかねないと,常々,危惧していた.
そんな私の考えに賛同してくれる人々を募って,平成十五年十月に,基礎科学研究を支援する「平成基礎科学財団」を設立した.当財団は,若い世代に基礎科学の楽しさを知ってもらうことを目的としており,具体的には,(1)一般の人々,特に,中学生や高校生を対象とする国内外の最高級学者によるやさしい講演会 (2)平成基礎科学賞の授与 (3)平成基礎科学教育賞(対象:小・中・高等学校の数学,理科の教師)の授与 (4)適時国際シンポジウムの開催―などを計画している.当然,病理学や生理学等の基礎医学も対象とされる.
私は,この財団の初期基金として,ノーベル賞およびウルフ賞の賞金全額(約四千万円)を寄付させていただいたが,私の蒔いた小さな種がいずれ芽を出し,実をつけてくれるのを期待したい.
現役の“病人”からひとこと
現在,私は,原因不明の病気と闘っている最中である.そこで痛切に感じるのは,現行の医療制度のなかではなかなか難しいのかも知れないが,医師にもっと個々の患者の痛みや悩みに配慮してほしいということである.患者の痛みや悩みは,皆違っている.患者の数だけ痛み・悩みがあることを忘れないでほしい.
最近の医師は,すぐに患者を検査室に送る.そして,患者をよく診ずに,データばかりを眺めている.そのうちコンピューターが診断を行い,医師がいらなくなるのではないかとさえ思う.やはり,コンピューターには絶対にできないこと,すなわち,患者と医師の人間関係をもっと大事にしなければならないのではないかと,患者の一人として思う.
最後に,若い医師,あるいは医学生の方々に,私の経験に基づいたメッセージを送りたい.
(一)「学校の成績が人間の一生を決めてしまうことなんてない.成績が悪くたってやりたいことはやれる!」─ 学業成績は,教えられたことを理解する,いわば受動的認識である.社会は,自ら考え,解決法を模索するという能動的認識が大きくものをいう世界である.
(二)「いつか達成してみたいと思っている『卵』を持つこと」─この卵を持っていると,情報過多の世の中でも,おのずと情報の取捨選択ができる.そうすれば,情報に振り回されることなく,効率よく研究が進む.もし,運がよければ,卵が雛にかえるかも知れない.
(三)「人との出会いを大切に!」─私が今日あるのは,良き人々との出会いのおかげである.多くの人との触れあいを,大切にしてほしい.
|