日医ニュース
日医ニュース目次 第1018号(平成16年2月5日)

NO.4
オピニオン
医療と市場経済
田中 滋(慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授)

 昨年末,政府の総合規制改革会議が第三次答申を公表.そのなかで,かねてから懸案となっていた「いわゆる混合診療」「株式会社」の問題が今後の課題として残された.今回は,市場経済の面からそれらの問題を論じてもらった.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)

社会保障制度の役割

オピニオン―各界有識者からの提言―
田中 滋(たなかしげる)
慶應義塾大学大学院教授.昭和23年生まれ,昭和55年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了.専門は,医療政策,高齢者ケア政策,医療経済学.厚労省中医協診療報酬調査専門組織分科会長,医業経営の非営利性等に関する検討会委員長,医療施設経営安定化推進事業研究総括委員長,社会保障審議会介護給付費分科会委員,日医医療政策会議委員.
 世界の先進国のほとんどでは,患者がニーズに応じて医療機関を受療できるように,つまり,患者のもつ経済力の強弱が,可能なかぎり医療サービスの利用量を左右しないように,社会保障制度を用いて支援している.
 こうした,医療や介護にかかわる社会保障制度は,理念レベルでは,患者などのサービス利用者の自立支援,あるいは人道などの用語で語られるかも知れない.しかし,ここでは個別の受益者ではなく,社会全体に果たす役割という視角で見てみよう.
 現在,世界各国の経済システムの主流である市場経済は,効率的資源配分に基づく経済成長を実現させ,豊かな社会へと導いてきた.
 ただし,資本の所有量と,働く能力に影響する環境要因(健康度・年齢・国および親の所得に依存する教育格差・男女間や人種間をはじめ,さまざまな場面での差別など)を元に,そのまま成果(所得)分配が行われた場合は何が起きるだろう.その場合,著しい不平等,ならびにそれに起因する健康格差・寿命格差をもたらすばかりか,それが継続・拡大していく恐れを否定できない.

市場経済の補完装置

 ゆえに,社会の安定と平和の上にはじめて市場経済が高い成果を生むことを経験的に学んだ人類の叡智により,各国はいろいろな補完システムを活用している.それは教会であったり,フィランスロピー(慈善)やコミュニティー活動,多様な奨学金だったりする.そのなかで,宗教を通ずる助け合いが弱く,慈善活動への寄附が少なく(税制上の優遇が小さく),コミュニティー活動が発展途上にある日本の戦後社会では,社会保障制度が,「市場経済を補完する社会的装置」としての主要な機能を担ってきたことが分かる(それでも他の先進国に比べ,社会保障給付の対GDP比は,年齢構成が日本よりはるかに若い米国と共にもっとも低い!).
 社会保障制度等による補完がない場合,市場経済の裸の成果,すなわち不平等の行き過ぎは,犯罪・テロなどの破壊行為(個人的な自暴自棄のみならず,暴力的な政治活動,社会の破壊や集団自殺を訴えるような狂信的な宗教,地下組織等への依存)の原因となりかねない.また,将来不安に基づく消費萎縮と社会システムへの信頼感低下がもたらす公的負担の回避行動を助長する可能性もあるだろう.

医療・介護の利用を支援する社会保障制度と市場機能

 だから,市場経済の機能を活用できる社会を維持するために,医療や介護における補完装置が意義をもつ.市場経済の完全な適用になじまない,医療と介護などの限られた分野にのみ適用される補完装置を利用している以上,そこでは相対的に市場経済性が弱いことが論理的に必然の状態となる.したがって,「医療は市場経済の浸透が遅れた過剰な規制分野だ」「(経済力の違いを反映する)混合診療を導入せよ」「市場経済のエンジンである株式会社参入を認めよ」などの主張は,社会保障制度の目的からして論理矛盾の批判ではなかろうか.
 人々が安心して医療サービスを利用できるからこそ,市場経済のメイン・フィールド,一般産業分野での活力が高まる.われわれは,むしろ,「市場経済分野のよりよい機能発揮のために医療の市場経済化に反対している」のである.
 なお,社会保障制度の財源たる税金および社会保険料の負担は,大雑把にいって,税は所得に対し,累進もしくは比例,社会保険料も所得比例となっているケースが多い.これはなぜであろうか.答えは,市場経済の活力が低下したり,市場機能不全によって被害を受けたりした場合,損失金額は富裕層の方が高く,個人についても傷病による機会損失は高所得層の方が大きいからである.

混合診療について

 混合診療賛成派は,「公的保険を超えた国民需要がある」と唱える.しかし,これは,一部についてあてはまる「公的保険を超えた需要がある」というステートメントを「国民全般」へと誇大表示した表現ではなかろうか.
「欧米(のどこか)ですでに認められているのに,日本の医療保険に収載されていない医薬品に対する需要がある」のように,特定の例を挙げる非難はやさしい.制度が機能しない例外事例を拾い,「このとおり現行の仕組みは悪い」と一般化して攻撃する戦術は,大体のところ,いかなる制度や政策に対しても用いることができる.
 とはいえ,確率的には存在しうるマイナスの事例や短所を理由に,全体を否定する帰納論は,論理的に正しくない.新しい技術,先端医療は,混合診療で対応するのではなく,技術の安定性が確認でき次第,速やかに(実験段階における高度先進医療を経て)医療保険に取り入れるべき,が正しい答えなのである.

医療分野における株式会社参入論について

 最後に株式会社参入の是非論について一言.この問題は神学論争にすぎず,議論に時間を費やしても実態には,あまり影響が及ばない.なぜなら,現在でも医療という産業から,医薬品および医療機器関連,リース業,コンサルティング業などに属する株式会社が収益を得ることについては制限がないからである.企業と医療機関の経営者同士が互いに経営責任をもちながら交渉し,結果として良い製品サービスを提供した企業が正当な利益を得ることは当然と考える.
 一方,医療本体の対患者サービスを,株主の利益のためになる場合のみ行う姿は承認しがたい.ただし,営利企業が用いる経営技法を否定するものではなく,医業経営においても,顧客志向の姿勢,ITの活用や業務標準化などを通じた質と生産効率の改善,資金管理技術の向上などは大切な経営努力といえる.

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