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第1036号(平成16年11月5日) |
No.13

生命の原点
毛利 衛(宇宙飛行士・日本科学未来館館長)

今回は,宇宙飛行士として,宇宙から2度にわたって地球を見た経験を持つ毛利衛日本科学未来館館長に,人間という種が生き延びるために必要なものについて,率直に語ってもらった.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)
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毛利 衛(もうり まもる)
昭和23年生まれ.昭和60年北大助教授から宇宙飛行士に転身,平成4年,12年と2度にわたり,スペースシャトルに搭乗.平成12年に日本科学未来館の初代館長に就任した.専門は,真空表面科学,核融合炉材料,宇宙実験. |
診断と治療
宇宙へ行くためにはロケット燃料という巨大なエネルギーを一度に爆発させないように,さらに軌道を間違えないようにコントロールする.また,宇宙では,最低限人間が生きて仕事ができるように,宇宙船のなかで地球環境を模擬した生命維持装置が必要だ.普段の生活では当たり前の環境,空気,水,重力,食べ物,睡眠,等々を改めて生命にとって何が本質なのかを考えさせてくれる.たくさんコントロールするパラメータがあるが,所詮人間の造った装置,本物の地球環境の仕組みにはかなわない.しかし,どの装置が故障しても,三重のバックアップシステムにより致命傷を避けるよう,実によく工夫されて安全が確保されている.
宇宙飛行士の役割は,宇宙で科学実験をしたり,宇宙ステーションを組み立てたりすることだが,実際の訓練はほとんどがロケットや宇宙船の具合が悪くなったときにどのように素早く回復するかに費やされる.宇宙飛行士は宇宙船の健康を守る医師であり,失敗すれば自ら死に至る患者でもある.不具合が起きたとき,まず事実確認し的確な情報を地上に伝える.地上の技術者とともに診断をし,素早く修理(治療)を施さなければならない.
宇宙プロジェクトにおける危機管理には二つのアプローチが必要である.一つは危機が起きないように,あらかじめすべてのシステムの信頼性を高めておくこと.もう一つは不具合が起きても致命的にならないように被害を最低限に食い止め,回復させるシナリオを持つこと.私はNASAで主として後者の危機管理を徹底的に訓練された.これは医師の患者への対処の仕方と相通ずる部分が多いのではないかと思う.訓練で得た重要な教訓は,現場責任者および事象の白黒をはっきりさせる.灰色の部分も何が白黒ではないかということを,関係者全員に透明にすること.あらかじめ起きるかも知れない考え得るすべての不具合を徹底的に網羅して訓練すること.解決すべき優先順位を前もってはっきりさせておき,上位にあるものを救うため,手遅れにならないうちに即決して修復操作に入ることである.
生命の星
ガガーリンの「地球は青かった」の本当の意味が宇宙に飛行して初めて分かった.宇宙はどんな生命も生存できない真っ暗闇の死の世界である.宇宙船はそんな空間で生命を最低限生かすために必要な生命維持装置を持つ.人工の地球環境をかろうじて有する狭い空間の小さい窓からすべての生命が息づく大きな丸い球体を見たとき,なぜ,宇宙に行くことが多くの人々にとって夢であり,人類にとって価値ある大きな挑戦なのか疑問の一部が解けた気がした.
宇宙船に乗っていると,わずか九十分で地球を一周する.私には地球はまるで全体が一つの生き物のように青く輝いて見えた.さらに地球を回りながら考えてみた.この美しく見える本質は自分がその生き物の細胞の一つに相当するからではないのか.確かに最先端の科学技術は,人間も含めてすべての地球上の生命体はDNAという四つの塩基の組み合わせで成り立っているという事実を明らかにした.昨年四月にヒトゲノムが解読され,人間が地球上の生命体のなかで生物的には特別ではないことが証明された.
ところが,私は宇宙で地球をじっと眺めながら震撼した.それは例え生命体がいなくても,地球は固体としてこの宇宙空間に過去もそして未来も存在できることを実感したからだ.昨年夏六万年ぶりに地球に大接近した火星は,かつて生命が繁栄していた惑星かも知れない.現在NASAのロボットが生命の痕跡を求めてその可能性を火星表面で探査中だ.近い将来大発見が報告されるかも知れない.それにしても,火星が地球のように生命あふれた惑星であり得ないのは事実だ.しかし,地球上で人間が生物的には特別でないと科学的に証明されたように,地球だけが広い宇宙のなかで物質的に特別な存在ではあり得ないと,私は宇宙で実感した.
つながりの哲学
二十一世紀,人間の営みが地球に住む生命体すべての環境変化に加速度を加え始めた.地球環境を考える出発点を今までのように人間中心ではなく,例え人間はおろか生命がいてもいなくても,地球は存在するという極限をも意識した哲学も必要だ.それと同時に,このように生命が四十億年も多様化して人類にまでつながってきたという非常に奇跡的で貴重な事実もはっきり私たちは認識する必要がある.人類からさらに多様化してゆく生命体も将来出てくるはずだ.
確かに,地球生命体はたくさんの種が絶滅したにもかかわらず,それ以上に多様化しつながって繁栄してきた.それぞれ生き延びるために,種は置かれた環境にぎりぎりの挑戦をしてきた.常に新しい環境に進出し,環境を変え,環境に適応することに成功した種だけが生き延びてきた.これは現実の社会における人間の営み,ビジネス,政治,科学研究,芸術,スポーツなど,すべての活動にも当てはまる.
今地球の限界と,人間の普遍的な生物意識が確認されたところで,新しい哲学が生まれると思う.人間という種が生き延びるためには,生命や環境が空間的にも時間的にもすべてつながって,今があり未来もあるという思想を,私たちは特に科学技術およびすべての社会的営みに十分取り込んでいく必要がある.
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