日医ニュース
日医ニュース目次 第1037号(平成16年11月20日)

第57回日本医師会設立記念医学大会
受賞者の横顔

 第57回日本医師会設立記念医学大会の席上表彰された日本医師会最高優功賞のうち,都道府県医師会長推薦による「医学,医術の研究により医学,医療の発展又は社会福祉の向上に貢献し,特に功績顕著なる功労者」の横顔を紹介する.

地域医療及び介護支援体制の確立に貢献した医師会
京都府 左京医師会(垣内孟会長)

 昭和二十二年左京医師会(会員数百二十五名)設立,平成十二年社団法人化.地域医療・福祉活動では,市民検診,乳癌検診,胃集団検診や山間部検診,独自の健康教室や乳児健康教室の開催,社会福祉協議会,老人会,女性会などでの講演で健康維持に関する医学的知識の啓発にも尽力.学術活動では,水中での循環動態の研究を学会で報告,入浴中の循環への影響検討から,突然死予防の貴重な結果を得ている.
 介護保険制度施行以前から積極的に行政担当者と在宅医療,在宅ケアの問題に取り組み,平成六年には,左京区高齢者地域ケア連絡協議会を組織.その活動を地域住民に周知すべく,同年,左京消防署,歯科医師会,薬剤師会の参加を得て,左京区主催「第一回左京区高齢者の保険・医療・福祉をみんなで考えるつどい」を催し,以後,毎年定期的に開催.
 また,通常,介護保険の利用者は,施設ごとに健康診断書の提出を求められ,診断書料を支払わねばならない.これに対し,利用者の便宜を図るため,一枚の診断書で左京区内のどの施設にも通用する「左京区共通健康診断書・診療情報提供書」は,「主治医連絡票」「サービス利用申請書」「主治医意見書用問診票」とともに「左京方式四点セット」として,京都府全域に取り入れられ,今年度の介護支援専門員テキストにも地域連携のモデルとして紹介されている.
 会員総数三百六十一名.

救急医療の整備・向上に貢献した功労者
茨城県 根本 致知先生

 大正十五年七月二十三日生まれ(七十八歳),昭和二十九年岩手医科大学卒業.昭和三十三年より平成十四年五月まで茨城県行方郡にて積善堂医院開設.昭和五十三年より平成十六年まで水郷(旧行方郡)医師会長.平成十三年勲五等瑞宝章受章.
 水郷医師会長就任後,救急医療に対し関心を強くし,昭和五十六年,水郷医師会館を建設し,そのなかに町村からの委託事業として休日診療所を開設した.診療担当医師は会員の交替制とし,会員の相互連携を図りながら,救急医療に対する住民の要望に応えるようにした.さらに,それまでは会員の研修・交流の場がなかったが,会館建設により,講演会・研修会を定期的に開催することとなり,「一次救急医療」「会員の医療技術の向上」など,同医師会の事業拡大がなされたことは,根本氏の努力の結晶といえる.
 さらに,二次救急医療の必要性が高まり,平成十二年に,茨城県厚生連による,なめがた地域総合病院が開設された.救急医療の過疎地といわれた当地域に二百床の病院ができたことは,常に先を見つめ,強力に,粘り強い取り組みを進めた根本氏の大きな功績である.

地域医療の向上に貢献した功労者
埼玉県 梅原 松水先生

 昭和二年九月二十九日生まれ(七十七歳),昭和二十五年金沢大学医学部附属医学専門部卒業.昭和三十六年梅原病院副院長,昭和五十九年同院長,埼玉県医師会理事,昭和六十一年同参与,平成八年から十四年まで同常任理事を歴任.
 昭和四十五年から二十四年間にわたり南埼玉郡医師会の副会長,理事,会長を歴任するかたわら,日医の提唱していた「救急病院群輪番当直制度」に賛同し,南埼玉郡の四市四町に及ぶ広大な郡市医師会をまとめ,また近隣医師会にも働きかけ,埼玉県東部第一地区と東部第二地区の二群で構成される「二次救急輪番病院群体制」を発足させた.一昨年行われた,サッカーワールドカップ大会においても,埼玉会場の救急医療総括責任医師を務め,現在も救急医療の現場で活躍している.
 昭和四十年より三十九年余にわたり,小・中・高・養護学校六校の校医を務め,児童,生徒,教職員の健康保持増進のための活動を続けている.
 埼玉県に警察協力医制度が発足した昭和六十二年より十七年余にわたり,春日部警察署協力医として昼夜を問わず出動し,警察行政の発展における功績は大きい.
 ほかにも,南埼玉郡医師会立看護専門学校の立ち上げ,春日部准看護婦学校の定員増など,地域医療の向上に,きわめて多大な貢献をしている.

医師会病院の発展に貢献した功労者
千葉県 梅園  忠先生

 昭和八年六月二十三日生まれ(七十一歳),昭和三十三年東京慈恵会医科大学卒業.昭和四十二年梅園内科医院長.昭和四十九年安房医師会理事,昭和五十一年日医病院委員会委員,昭和五十三年同医療システム研究委員会委員,昭和六十三年安房医師会副会長,平成二年千葉県医師会理事,平成六年安房医師会長兼同医師会病院長,千葉県医師会副会長,平成十四年日医理事を歴任.平成十六年四月より日医裁定委員.
 昭和四十三年,「安房方式」胃がん検診を確立.その後,これを軸として結核予防会の胸部検診,千葉県厚生連の貧血検診を統合し,「総合検診」にまで拡大し,住民の健康増進に寄与した.
 昭和四十九年から安房医師会病院の基盤強化に努め,平成六年には安房医師会長として,同医師会病院の新築を主導した.
 さらに,日医医療供給計画立案に参画,全国医師会病院現地研究会にて医師会病院の発展・充実に多大なる尽力を重ねた.
 昭和五十七年より厚生省医療情報システム懇談会や「医師会病院世話人会」に参加,平成十四年には日医理事として,「医師会立病院将来構想検討懇話会」を設け,全国の医師会病院の発展に貢献した.

感染症サーベイランス事業に貢献した功労者
東京都 鈴木 健一先生

 大正十三年一月一日生まれ(八十歳),昭和二十四年東京慈恵会医科大学卒業.平成五年葛飾区医師会副会長,平成六年同感染症サーベイランス班長就任.
 平成九年葛飾産業医会長,平成十年日本産業衛生学会評議員,平成十一年日本労働衛生コンサルタント会東京支部理事,平成十四年より葛飾小児科医会長.
 平成六年から葛飾区医師会の感染症サーベイランス初代班長として,リアルタイムの感染症情報発信の必要性を認め,葛飾区内の感染症情報をまとめ,翌週には区内の全医師会員に送付する活動を始めた.
 以後,この活動が区の事業に移管された後も,引き続き,集計・解析・周知などの業務を継続し,感染症サーベイランス事業の発展に尽くした.
 さらに,区民を対象とした各種講演会講師を務め,一般市民への啓発活動に貢献するかたわら,医師会発行印刷物や雑誌の感染症情報執筆に当たるなど,感染症情報の周知徹底に積極的な取り組みを続けた.
 その結果,区内の麻疹ワクチン接種率の上昇,麻疹発生件数の減少など,地域医師の日常臨床支援と区民の公衆衛生意識の充実・向上に多大な貢献をし,感染症サーベイランス事業と地域医療の発展に寄与した.

保健衛生及び医史学研究に貢献した功労者
神奈川県 深瀬 泰旦先生

 昭和四年八月十九日生まれ(七十五歳),昭和二十九年東京慈恵会医科大学卒業.昭和三十年同大小児科学教室入局.
 昭和三十六年川崎市にて深瀬小児科医院を開業,小児科医師として,特に乳幼児の治療と健康管理に努めた.また,川崎市予防接種運営委員会の委員として医療行政にも尽力.昭和四十六年川崎市医師会理事,昭和四十八年〜平成六年日本小児科学会評議員を務め,昭和五十三年順天堂大学医学部医史学研究室に入室.
 開業のかたわら医史学の研究に従事し,日本における種痘の歴史をテーマに,江戸のお玉ヶ池種痘所の創立と発展の推移を解明した.このように,わが国における天然痘撲滅の歴史に造詣が深く,これら三十年に及ぶ業績は,『天然痘根絶史―近代医学勃興期の人びと』(思文閣出版)にまとめられている.この功績によって平成十五年に日本医史学会矢数医史学賞を,また,昭和五十八年には神奈川県医師会学術功労賞を受賞している.
 多忙な日常診療に加え,地域住民のために,行政への積極参加,医史学の研究,学会活動など,多方面にわたる活躍が高く評価されている.

感染症予防及び救急医療体制の充実に貢献した功労者
岐阜県 清水 宗仙先生

 大正十三年三月十九日生まれ(八十歳),昭和二十三年東京慈恵会医科大学卒業.昭和二十八年岐阜県大垣市にて万石小児科を開業以来,地域医療に献身.
 昭和三十四年から七年間は大垣市医師会理事および監事として活躍.昭和四十一年から十四年間は岐阜県医師会常務理事,昭和五十五年から二十四年間は同副会長に就任し,また,各種審議会,委員会の委員を歴任,県の医療行政の充実・発展に寄与した.
 ウイルス肝炎をはじめとする各種感染症の実態調査・予防対策に当たっては,その重要性に鑑みて,行政当局と緊密に連携し,高い見識をもって対策に当たるとともに,会員の指導に努めた.
 また,多発する交通事故による傷病者や社会変化に伴って急増した救急患者に対処するため,救急医療体制の充実を緊急課題とし,休日夜間診療体制,在宅輪番当番医制,病院群輪番制,救急医療機関の確保・配備等に努め,休日ならびに夜間の診療体制を確立して地域住民の安心確保に貢献した.
 昭和五十八年より運用を開始した「岐阜県救急医療情報システム」の構築,さらに,平成十三年より運用の,平常時および広域災害発生時にも対応できるインターネット方式の「岐阜県広域災害・救急医療情報システム」確立のために多大の尽力をした.

地域医療及び学校保健活動に貢献した功労者
大阪府 加納 治男先生

 大正十四年二月二十六日生まれ(七十九歳),昭和二十年昭和医学専門学校卒業.昭和二十年〜二十八年大阪回生病院勤務,同年大阪市西成区に加納医院を開業し,以来今日まで五十一年にわたり,地域住民の医療ニーズに応え,住民の疾病治療と健康の保持・増進に挺身し,住民の厚い信頼を得てきた.
 特に,昭和三十二年から大阪市立今宮中学校,昭和五十六年からは大阪市立弘治小学校,花園和敬学園において,現在に至るまで校医として活躍し,多年にわたり児童・生徒の健康診断や予防接種はもとより,学校保健の向上に努めている.
 昭和四十九年には,大阪市学校医会に心疾患協議会を設置し,大阪市の小学校四年生全員の第一次心電図検診,また,小学校一年生全員の川崎病検診の導入に中心的な役割を果たした.さらに,ぎょう虫問題も提唱し,昭和五十九年大阪府医師会学校医部会のなかに検討委員会を設置し,十六年間継続した.
 昭和四十七年より大阪市西成区医師会理事に就任後,監事,副会長と,平成四年まで二十年間にわたり要職を歴任し,会の健全な発展と向上のため献身した.昭和五十六年より十七年間,大阪府医師会学校医部会常任委員,副部会長,顧問として学校保健や地域医療の向上に貢献した.

地域医療の向上に貢献した功労者
島根県 古  章先生

 大正十三年十月二十三日生まれ(八十歳),昭和二十三年大阪高等医学専門学校卒業.
 地域医療や学校医に関する功績として,昭和四十四年,島根県松江市にて古眼科医院を継承後三十五年にわたり,卓抜した識見と豊富な経験を生かし,眼科専門医として地域住民の医療確保,向上に献身的な努力をしている.
 また,昭和四十年より,朝日小学校校医をはじめ松江市立幼稚園,小学校,中学校,高等学校校(園)医を務め,現在まで積極的に児童生徒の健康管理と健康の増進に努めている.
 医師会役員としては,昭和四十年に松江市医師会理事に,昭和五十二年には同会長に,また,昭和五十年島根県医師会理事,昭和五十四年同常任理事,昭和六十二年同副会長,平成七年同会長に就任.
 松江市医師会,島根県医師会の指導者として,会員の資質の向上と融和を図るとともに,医学,医術の振興,発展に力を注ぎ,県民医療の充実のために尽力した.
 さらに,昭和六十三年に日医医師福祉対策委員会委員,平成六年同理事,平成八年同代議員,平成十年同学術推進会議委員を歴任し,日医の運営ならびに事業の推進に貢献した.
 氏は,昭和四十六年社会福祉法人島根ライトハウス理事,平成二年同理事長に就任し,地域社会における視力障害者の福祉と文化の向上に尽力した.

小児医療の向上に貢献した功労者
愛媛県 徳丸  實先生

 昭和九年五月十三日生まれ(七十歳),昭和三十四年岡山大学医学部卒業.米国にて臨床研修後,昭和四十一年松山赤十字病院小児科部長.昭和四十八年松山市にて小児科開業.
 開業後においても,日本小児科学会の評議員・各種委員・理事,日本小児保健協会の各種委員,県行政からの委嘱による協議会・委員会の委員,さらには,日医委員等々の役職を歴任する一方,松山市医師会理事,愛媛県医師会理事および常任理事として活躍した.
 愛媛県小児科医会設立に当たっては,中心人物として活躍し,愛媛県小児保健懇談会を企画,開催した.乳幼児健診個別化推進,各種の育児支援パンフレットや乳幼児健診マニュアル刊行,三歳未満児医療費無料制度化実現をはじめ,全国的な講演会や座談会,シンポジウムなどでも幅広く活躍し,医界内外から高く評価されている.
 また,外来小児科学の重要性に着目し,全国的な組織化実現のために尽力し,平成三年には,第一回日本外来小児科学研究会を,会長として松山市で開催した.今日の日本外来小児科学会の発展に貢献した功績は多大である.

がん検診活動に貢献した功労者
沖縄県 喜屋武 朝章先生

 大正十二年五月二十五日生まれ(八十一歳),昭和二十三年九州大学医学部卒業.沖縄臨床検査癌センター会長,沖縄県医師会理事,沖縄消化器内視鏡会長,沖縄対ガン協会常任理事,日本消化器内視鏡学会評議員,沖縄県内科医会長,沖縄県支払基金審査委員会委員長,沖縄県医師会医学会長などを歴任.
 昭和三十七年沖縄臨床検査癌センター設立発起人として活躍し,当時医科大学のなかった沖縄において,当該施設を県民癌治療の中枢として充実させ,会長も務めた.
 沖縄消化器内視鏡会設立に尽力し,昭和三十八年発足時副会長,昭和四十二年会長に就任.当時アメリカ施政下のために講師の交流が困難ななか,専門医を招聘して学術研修会等を実施し,斯学の向上に貢献した.
 昭和四十二年,沖縄対ガン協会設立準備委員長として奮闘し,また,設立後は常任理事として,その事業に積極的に寄与した.同協会は沖縄県民の癌医療に大きな役割を果たし,その先見性は高く評価された.
 また,沖縄県内科医会長も務めるなど,県内外の各種学会等の重鎮として活躍した一方,現在も第一線医師として診療に当たっている.

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