日医ニュース
日医ニュース目次 第1040号(平成17年1月5日)

No.15
オピニオン

中高年登山ブームの背景と問題点
岩崎元郎(登山家・無名山塾主宰)

 中高年者の間で登山がブームになって久しい.しかし,そのブームの影で忘れられがちな山登りの危険性について,今回は,登山家の岩崎元郎氏に指摘してもらった.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)

岩崎元郎(いわさきもとお)
 昭和20年生まれ.東京理科大中退.昭和56年ネパール・ヒマラヤのニルギリ南峰登山隊に隊長として参加.帰国後,無名山塾を設立した.著書は「山登りでも始めてみようか」「雪山入門とガイド」「沢登りの本」ほか多数.
 厚生労働省が,一昨年春,「健康増進法」を制定し,国民の健康を維持・向上させる運動を「健康日本21」と名付け,二〇一〇年まで展開するということを,日野原重明さんのエッセーを読んで初めて知った.
 ただ病気がない状態を良しとするのではなく,個人個人が積極的に体を鍛え,病気にかかりにくい,かかっても治りやすい体を作る,健康増進という新しい考え方が大切であるとし,健康増進は健康教育と予防医学と個人の健康行動によってこそ可能である,と指摘されている.
 中高年登山がブームといわれて久しいが,ブームの根底に中高年者の健康願望がある,というのが筆者の持論である.紅茶キノコがいいといわれれば飛びつき,スーパーマーケットでココアが売り切れ,晩酌は赤ワイン,そして,中高年登山ブームだ.この浮足だった現象を,筆者は「長命恐怖症候群」と名付けてみた.

長命恐怖症候群

 日本は世界に冠たる長寿国とマスコミが報道したのは,ずいぶん昔の話だ.経済でジャパン アズ ナンバーワンに輝いたのと同じように,長寿というのも,われわれ日本人の心をくすぐってくれたように思う.
 経済はバブルということであえなくはじけたが,寿命は現在では,さらに伸びて男女平均で八十一・五歳,世界最長であるとのこと.何であれ,日本が一番というのはいいことだと気分よくしていたら,「長寿は誤り,長命にすぎない」という著名なお医者様の指摘が新聞に紹介されていた.目からウロコが落ちた.
 五十歳を過ぎると,人間だれしも自分は何歳まで生きられるだろうかと考え始めるのではあるまいか.そして,寝たきりでの長命はゴメン,長寿でなくては,と健康に気遣い始めるのである.それが長命恐怖症候群であるという次第.中高年登山がブームとなる理由だ.
 『世界の長寿村』という本のことを,運動生理学者の山本正嘉さんから教えていただいた.著者は,ハーバード大学医学部教授であるA・リーフ氏.氏は,世界最高の医療技術をもってしても,無数の生活習慣病患者を救えないことに悩み,世界の長寿村を尋ね歩いて,村人たちの健康の理由を調査した.その結果報告が前述の本ということである.
 長寿村は,ヒマラヤ(フンザが有名),コーカサス,アンデスなど,標高の高い所にある.村人は長時間肉体労働に従事し,栄養摂取量が少ない,という三つの共通項が挙げられている.それは,登山そのものではないかと,山本さんは指摘された.高地住民は動脈硬化,高血圧,心臓病などの生活習慣病が非常に少ないと報告されている.「登山する中高年者」が増加するのは必然なのである.

山は非日常の世界

 さて,今,筆者が「登山する中高年者」と書いたことにご注目いただきたい.「中高年登山者の増加」とはあえて書かなかったのである.これまで述べてきたように,中高年登山ブームの背景は,まぎれもなく健康願望だ.山が好きで,そこに山があるから,ではない.彼らにとって,山は理想的なスポーツジムであって,山ではないのだ.スポーツジムと都合よく理解してしまっているから,そこが非日常の世界であり,危機管理が必要な世界であるということを理解できずに,何の疑問もなく,日常をそこに持ち込む.
 山岳保険に未加入のまま登山する人の多いこと.知人から聞いた話だが,彼らのグループが,ある年の夏,北アルプスの北穂高岳に登り,下山していたときのこと.目の前を下っていた女性が滑落して岩に頭をぶつけ血を流していた.彼らが駆け寄って応急手当をし,ヘリコプターを要請しようということで,涸沢ヒュッテと無線連絡を取った.県警のヘリを要請したが,他に出動していて飛べないとのことで,それじゃ民間のヘリ……なんていうやりとりを重傷の女性が聞いていて,「民間のヘリは呼ばないでください,県警のヘリを呼んでください」と知人にいったという.山岳保険に未加入であることの証左で,笑うに笑えないホントの話なのである.
 山が非日常の世界にあるという認識も覚悟もないから,自分自身が遭難事故を起こすかも知れないという想像力が働かないのだ.自分に火の粉が降り懸かると大騒ぎになる.
 この夏,高山植物がすばらしい北アルプスの朝日岳に登った.宿泊した朝日小屋の責任者から聞いた話.最近の登山者は登山者でない人が目立つとおっしゃる.十五人のグループが一つのパーティーを作らずにバラバラにやってくる.宿泊費も一人ひとり支払うという.一泊八千四百円,各自が九千円出すと,六百円のおつりを十五人分,百円玉が九十個必要となる.リーダーが十五人分を取りまとめてくれれば百円玉は不要なのだが,街のレストランでの各自払いをそのまま山に持ち込む.経営規模が小さく,毎週ヘリを飛ばすなんてことができないから,百円玉が不足すれば,人間が背負い上げることになる.そんな事情を察してもくれないし,説明すると,商売なんだから当然でしょ,という反応だそうである.そこは山ではなく,街のスポーツジムという次第.登山する中高年者の山岳遭難事故が増加するのは,当然の山からのしっぺ返しだ.まあ,そんな人が昨今目立つとはいうものの,わずか一握りの人たちであることは間違いない.しかし,看過できない問題ではあると思う.
 健康増進のための個人の健康行動として,登山ほど優れて素敵な運動はないと思っている.健康のために大いに山に登っていただきたい.そして,山っていいなと思ったら,山について勉強していただきたい.安心・安全に楽しく継続できてこその健康であると思う.

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