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第1041号(平成17年1月20日) |
新春インタビュー
植松会長
「国民の幸せのための医療政策を」

昨年四月の就任以来,植松治雄会長は,会内のみならず,会外でも,混合診療の全面解禁阻止など,わが国の医療を守るため,精力的に活動してきた.
そこで,今回は,元NHKキャスターで,現在,千葉商科大学助教授であり,昨年,新たに立ち上げられた日医広報戦略会議の委員でもある宮崎緑氏(写真左)をインタビュアーに迎え,植松会長の人となりや,今後の抱負などを聞いていただいた.
宮崎 年頭に当たり,医師会がどのような方向を目指しているのか,舵とり役の会長のお人柄とともに伺わせていただければ,と思います.
まず,医学を志された動機ですが,実は,妹さんを疫痢で亡くされたと伺いましたが…….
植松 戦中・戦後の国民皆保険制度がなかった時代の医療は,だれかが重い病気になると,普通のサラリーマン家庭では,貯金二年分が一遍になくなってしまうほど,非常にアクセスしにくかった.ですから,私の妹の場合も,当時は,よくある状況でしたが,亡くなったときは大変悲しかったですね.もう一つは,終戦後,大阪の地下鉄の構内には,今でいうホームレスのような人がごろごろ寝ていて,何人かは亡くなっていました.それで医学の道に進もうと思いました.
ただ,戦時中は中学生でも,精神的には,お国のために死ぬことに恐れはなかったですね.
宮崎 “一億総洗脳状態”でしたからね.
植松 終戦になって,戦争中は獄中にいた唯物論的な先生と古くからの倫理学の先生との論争などが行われ,非常に新鮮に感じました.
宮崎 それまで触れられなかった情報ですね.時代そのものが,人間とは何か,社会とは何か,考えざるを得ない環境だったのかも知れませんね.
“生・老・病・死”を考え情感を育てる教育を
宮崎 それに比べて,今の子どもは本当にものを考えず,命の重みを実感できないといわれます.最近は,信じられないような事件が起きたりしていますが,昨今の風潮を,どうご覧になっていらっしゃいますか.
植松 やはり,子どもが,実際に「死」を見ることが少なくなりましたね.
宮崎 核家族化して,おじいさんもおばあさんもいない.
植松 昔は,祖父母の約八割は家で亡くなり,そのプロセスを子どもがずっと見ていました.ところが今は,病院での臨終の際には孫も立ち会うかも知れませんが,それまでのプロセスは何も知らない.だから,死ぬということの実感がなく,バーチャルの世界で起こっている―バーチャルの世界では,死んでも生き返るのですよね.
宮崎 ええ.ペットが死んだとき,「電池を取り替えて」という子どもがいるとか…….
植松 死を知らないことが最大の問題ですが,他方,“権利意識”が強くなり,自分の命は自分のものだから,自殺しようと勝手じゃないかと思う.生きることが社会や他の人たちにとって,どういう意味があるのか,何も考えない.
宮崎 若い子の間では「自己中」という言葉が行き交っていますね.
植松 そうですね.人間という動物は,本来,群れることが必要なのです.それが,外は危ないからと,子どものときから,一人で楽しめるツールがたくさんある家のなかにいれば,人と接するのが煩わしくなり,接する方法や人の気持ちも分からなくなる.今,中国思想的にいう“生・老・病・死”について考えるようにしていかないと,どうにもならないと思います.
宮崎 昔は,カエルや虫を捕まえ,それが手のなかで死んだという体験や,自然との触れ合いがありましたが,今では,うっかり虫なんか捕ると自然破壊だと怒られたりして,自然と共生する人間の姿が見失われている気がします.どうすればよろしいのでしょうね.
植松 それは,親にも問題がある.私自身もそうですが,自分ができないことを人にいう.大阪の看護学校長時代,学生には自然に対する情感が大事だというのですが,結局,親の世代が自然に興味がないから,子どももない.外でも遊ばないし,自然や季節の移り変わりも,寒い暑いぐらいしか感じないようになる.いわゆる情感というものがなくなると思うのです.
宮崎 確かに感動しなくなって参りましたね.
植松 やはり,喜んだり泣いたりしないといけないですね.
医学・医療は“人と人”が基本
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宮崎 緑氏プロフィール
千葉商科大学助教授(政策情報学部).昭和五十八年慶應義塾大学大学院修了,法学修士.平成十六年より日医広報戦略会議委員. |
宮崎 さて,少子高齢化が進んでいますが,二〇〇五年からは労働人口が,二〇〇六年からは総人口が減り始め,二〇〇七年には団塊の世代が定年退職を迎え,就業構造が大きく変わります.二〇〇八年には北京でオリンピックが開催され,アジアの中心が,ますます中国に移動していくと思われます.医学の立場から,二〇〇五年,そして,その先はどうなるとお考えですか.
植松 医学の世界は,一年では大きく変わらないでしょう.医療技術面では,医療用ロボットや,ナノテクノロジー,DDS(Drug Delivery System:薬物送達システム)などが可能になると思いますが,驚くようなことではない.
宮崎 でも,今まで手術室に人間が入っていたのが,ナノテクでは,人間に手術室が入ってくる.これは,発想のコペルニクス的転回ではないかと思うのですが…….
植松 確かに,一つの手法として期待はあります.しかし,先端技術は非常に華やかで注目されますが,その対象疾患は少数です.数の多い生活習慣病や心身症などの疾患は,今後さらに増えていくでしょう.患者数から考えると,こちらの方が心配ですね.
宮崎 医師の感性や人柄などが大事になってきますね.今は生活習慣病のように,原因と結果が直線的につながらず,十人十色で方程式がない.治療も薬もオーダーメイドで,マニュアル化できない時代に入り,医師の力―技術だけでなく,心や哲学といった,違うアプローチが必要になってくる気がしますね.
植松 そうですね.医師も基本的な人格―高い倫理性と常識や感性を備えた人間であって,そのうえに医学がなければならない.日医の生涯教育制度でも,医学的課題だけでなく,倫理や人間としての有り様を基本的医療課題とし,取り組んでいます.
それと,経済界では,今,実業というより虚業が大きい.ITが何を生み出したかといえば,例えば携帯電話です.
宮崎 「携帯」は,「つなぐためのメディア」として登場したはずなのに,実際には,「関係を切るメディア」になっていますね.設計した方のデザイン思想とは違って,思いがけないライフスタイルの変化で,援助交際などの負の文化も生み出した点は問題ですね.
植松 どんな生産性が生まれたか疑問ですし,金融の問題も,やはり虚業ですよね.
宮崎 金融はそうですね.実態と合っているうちはいいのですが…….
植松 そういう面では,医学は今後も進歩するでしょうが,要するに“人と人”なのです.したがって,医療に携わる職種は,人とうまく接し,生命というものを十分に尊重できる人でなければならない.そのために大事なのは,今後,医療関係職種にどういう人を入れるかで,偏差値のみでない入学試験の方法も一つのバリアでしょうが,卒前の大学教育など,今後どういう体制をつくっていくかが問題です.
宮崎 本当ですね.適性のない人には,お引き取りいただく制度もあればいいですね.
植松 医師については医道審議会での処分などの制度がありますが,在学中に,周囲の人や教師は,恐らく分かると思うのです.
宮崎 なるほど.そういう人は,卒業させてはいけないかも知れませんね.医師国家試験の合格率だけでなく,不適格な人を淘汰できることを評価するような社会の枠組みに変えないと…….
植松 適性に合った指導も,大学や研修病院では重要です.
進歩する医科学には社会との対話が重要
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宮崎 患者の立場としては,自分の命や人生を預けるわけですし,素敵な先生に診ていただきたい.ただ,週刊誌などの「いい医療機関ベスト一〇〇」などは,どうなんでしょう.その人にとって良い先生が,他の人にとっても良いかどうかは,また別問題ですし…….
植松 そうですね.手術などで上手な人がいるのは分かりますが,かかりつけ医のようなプライマリ・ケアは比べようがなく,おっしゃるように,あの人に良いから,この人にも良いということはない.結婚と同じで,相性がありますね(笑).
宮崎 本当ですね.
植松 だから,評判の良い医師にかかって,気に入らなかったら,違う医師をどんどん訪ねるべきで,ピッタリ合うかかりつけ医を見つけられたら幸せですしね.
不思議なもので,自分が嫌いと思えば相手も嫌う.相性は大事で,これは技術に先立って,そこからしか信頼感が生まれないですものね.
宮崎 ええ.まさに人と人との人間関係の分野だと,よく分かります.
植松 ですから,私は「患者様」という言葉はものすごく気になるのです.「患者様」だと,仕切りができたような感じがする.ホテルなどのサービス業なら分かりますが,病気の治療を一緒にしようという気持ちが感じられない.心が通えば自然に出てくる言葉は,「患者さん」くらいではないでしょうか.私は「患者さん」としか,いえませんが.
宮崎 「患者様」は,いわれる方も気持ち悪いですね.やはり仕切りを感じるし,商品として扱われているようで,よくないですね.
最近,ゲノムが解析され,バイオテクノロジーが急速に進み,目覚しい科学的成果が医学・医療の分野にも入ってきています.遺伝子治療やクローン人間,ES細胞(Embryonic Stem Ce11)などの問題と,それに関連する倫理問題や,命と向き合う姿勢,心構えなど,どうお考えですか.
植松 昨年十月,三十年ぶりに,「先進医療と倫理」「医療とIT」をテーマとして,二〇〇四年世界医師会東京総会を開催しましたが,「今,医療に求められるもの」と題した講演で,今いわれたようなことを話しました.つまり,医学は科学であり,とめどなく進む.科学を人間,あるいは社会にどう生かすかを考えると,人,あるいは社会との関係を十分に見極めなければならない.そこに,生命倫理や職業倫理といった複雑な問題が出てきます.やはり,社会との対話,説明が大事です.
宮崎 そうですね.
植松 最も危惧するのは,もしも功名心のために行われたら,トータルで大変なダメージを与えるということです.
例えば,日本で臓器移植が遅れたのは,医師に対する不信感があったからではないかと思うのです.しかし,本当は宗教を信じている人があまりいない日本人が,生活のなかで,お盆に迎え火を焚き,お位牌を大切にするのは儒教の精神で,魂が帰ってくるから肉体も損じてはいけない,という観念が体に染みついているのです.
宮崎 それが文化ですね.
植松 そうです.だから,これを無視することなく,十分に考えながら進めないといけない.それと,もう一つは,医師は,あくまでも謙虚であるべきだと思うのです.
今でも治らない病気がたくさんあり,多くは自然治癒力で治るのであって,医師はその手助けをしているのです.医師の側は,奢ることなく謙虚になり,患者さんも,医師が病気を治してくれると,過大な期待をもってはいけませんね.
難しいパターナリズムからの脱却
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宮崎 本音は何でも治してほしいと期待しますが,何でも,というのは,エゴですかしら.
人間も生態系の一部として自然のなかに存在していると考えれば,朽ちていく過程や,はかなさの美もあるかも知れませんね.その点は哲学にも通じると思うのですが.
植松 医師にとっては,つい,“ワン・オブ・ゼム(one of them)”と捕らえがちですが,実は,患者さん自身は“オンリー・ワン(only one)”なのだということを常に留意しなければなりません.
宮崎 ああ,そこですね.
植松 医師がそういう認識をもつことで,関係はずっと良くなります.当たり前のことなのですが,かかりつけ医は,重症ばかり診ているわけではないので,慣れてしまうのです.私が強調したいのは,かかりつけ医なら,患者さんの家の日当たりがいいとか悪いとか…….
宮崎 趣味は何か,運動しているかなど,大事ですよね.
植松 そういうことを知っていれば,例えば,子どもさんが病気になったときにも,診断し,指導する際に,いろいろプラスになります.
宮崎 病気ではなく人を診る.まさに人間学だというお話は,すごく心に染みますね.
植松 努力しなければ,心のどこかにもっているパターナリズム(父権主義)から脱するのは難しい.
宮崎 ええ.
植松 しかし,その努力こそが,医療への信頼回復の一番の基だと思うのです.
宮崎 私はメディアの責任も大きいと思います.リングサイドにあるべきメディアがリングに上がって主客転倒している.ここが大きな問題で,追及すべきは追及し,評価すべきは評価しないと,情報化時代のなかで正しいものを見失うと思うのです.
ですから,先生のお考えなど,みんなに伝えていくべきことがニュースにならないうちは,わが国も,まだまだかなという感じがしますね.
植松 そういう視点で今の改革をみますと,温かさがない.私は,政治にも温かさが必要だと思うのです.今,経済発展が停滞し,税収も少ない.そこで,経済の回復を旗印にして改革を進めようとしているわけですが,それによって,国民が幸せな生活を送れるように,旗をもう一歩前に立ててくれると,私どもは協力できるのです.
宮崎 先生がおっしゃるように,政策の向こう側に一人ひとりの人間の生きる姿が見えない政策では,困りますものね.
植松 そうです.実は,それはすでに経験しているのです.戦後,日本が復興し,アメリカに追いつけ追い越せと,経済は発展しましたが,社会がガタガタになった…….
宮崎 何が大切かという価値軸を置き忘れてしまったのでしょうか.
植松 経済発展したために,日本人は心を失った.バブルが崩壊したら,また経済を発展させなければと,同じことを繰り返している.さらに,医療保険など,社会保障まで切り詰めようというのですから,今度は心ばかりか健康をも失うと考えると,私は,政治家の方々に,五十何年の間に,また同じ道を歩いている点を反省してほしいのです.
宮崎 本当に.そういう観点で,混合診療問題などを語らないと,お金や数字だけで考えると,誤解も多くなりますものね.
ぜひ,哲学の方から政策を考えるようにと,小泉総理のお耳に届くといいのですけれど…….
植松 はね返ってしまうようなので,なかなか大変です(笑).
宮崎 まあ……(笑).本日は,とても良いお話を,ありがとうございました.
植松 ありがとうございました.
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