日医ニュース
日医ニュース目次 第1061号(平成17年11月20日)

第58回日本医師会設立記念医学大会
受賞者の横顔

 第五十八回日本医師会設立記念医学大会の席上表彰された日本医師会最高優功賞のうち,都道府県医師会長推薦による「医学,医術の研究により医学,医療の発展又は社会福祉の向上に貢献し,特に功績顕著なる功労者」の横顔を紹介する.

絨毛性疾患登録事業に貢献した団体
神奈川県 神奈川県産科婦人科医会(八十島 唯一会長)

 神奈川県産科婦人科医会は,日本産科婦人科学会の神奈川県支部である神奈川地方部会の役割と日本産婦人科医会の神奈川県支部の役割を兼ね備えており,神奈川県内の産婦人科医のほぼ全員により構成され,現在の会員総数は千六名となっている.
 神奈川県産科婦人科医会では,全会員の協力により,各医療機関において発生した絨毛性疾患数を毎月報告してもらい,登録する事業を昭和四十六年より開始した.平成十二年までの登録総数は六千四百五十四例に達し,県単位では全国で最も多い例数である.
 症例は,胞状奇胎・侵入奇胎・絨毛がん・存続絨毛症に分けて登録し,胞状奇胎については,全胞状奇胎と部分胞状奇胎に分別して統計をとることにより,全胞状奇胎より部分胞状奇胎が増加していることを明らかにした.また,絨毛がん発生は胞状奇胎後に非常に高率であること,四十歳以上の妊娠例において発生率が高いことなどが明らかになった.
 長期間にわたる数多くの症例の詳細な分析により,絨毛性疾患の特徴を明らかにした功績は大きい.

小児生活習慣病の発見・予防に貢献した団体
熊本県 熊本市医師会ヘルスケアセンター小児生活習慣病予防検診班(代表・福田 稠)

 熊本市医師会は,昭和五十六年に学校保健活動の一環として,「肥満児対策班」を立ち上げ,児童・生徒の肥満度に関する統計調査を開始した.昭和六十三年に市から「肥満児傾向児対策事業計画」を委託され,小・中学校を対象に実態調査に取り組んだ.平成八年度からは,「小児生活習慣病予防検診」として,新体制のもと,現在まで活動を続けている.
 平成十五年度からは血液検査項目を増やし,平成十六年度からは肥満度係数基準値の変更を行うなど,時代に応じた精度管理の向上に努め,学校保健管理に貢献している.検診結果の事後対策とフォローアップに努め,二次検診者本人,保護者,学校関係者,行政を対象とした小児科医・栄養士による説明会と指導を実施するとともに,健診結果を市教育委員会,学校,家庭に通知し,学校管理下での保健指導および家庭生活での健康指導を綿密な連携のもとで行っている.
 最近の肥満度実態調査でも,平成十五年度から肥満は低下傾向にあり,本検診による生活習慣病の早期発見,早期治療,発病予防の取り組みによって地域学校保健に貢献している.

精神医学の国際交流に貢献した功労者
青森県 渡辺 俊三先生

 昭和十四年七月二十六日生まれ(六十六歳),昭和四十年弘前大学医学部卒業.昭和四十六年から二年間フランス政府給費留学生としてマルセーユ・パリ大学病院に留学.昭和六十二年弘前大学医学部助教授,平成五年弘前愛成会病院長,平成十七年布施病院顧問.
 著書「DSM-IVによる日英独仏精神医学対訳集」は,五年間にわたり,弘前市医師会報に掲載され,特に,日本,アメリカ,イギリス,ドイツ,フランスの精神医学の国際交流の相互理解に大きく貢献した.
 これまでの精神医学は,ドイツを中心に発展し,他の欧米諸国にも独自の流れがみられたが,現在は,精神医学の用語も統一の方向に向かい,アメリカ精神医学会はDSM分類を創案した.
 これらが世界の精神科医に共感を与え,それぞれの国の言語に翻訳され,定着しつつある.
 本著書は,日本語と英語・ドイツ語・フランス語のDSM-IV分類の対訳集として構成され,日本,アメリカ,イギリス,ドイツ,フランスの精神医学を理解するうえでの良き教科書,良き教則本である.

医療安全・医事紛争防止に貢献した功労者
茨城県 平山 牧彦先生

 昭和九年四月七日生まれ(七十一歳),昭和三十五年東京慈恵会医科大学卒業.昭和五十年平山内科クリニック院長.昭和五十五年水戸市医師会理事,昭和六十一年茨城県医師会常任理事,平成四年同副会長.
 茨城県医師会医事紛争処理委員会委員,日医代議員,日医生涯教育委員会委員,日医医療安全対策委員長,日医監事および理事の要職を歴任.平成十六年,旭日双光章受章.
 平成四年より茨城県医師会医事紛争処理委員会委員として,県内の医事紛争処理に積極的に協力した.その際,事故予防システムの不足を痛感し,平成九年より五年間,日医医療安全対策委員長として,「医療におけるリスク・マネジメントについて」「患者の安全を確保するための諸対策について」などの答申作成に貢献.一方で,筑波大学医学専門群非常勤講師として,学生・研修医に医療安全の講義を行い,「研修医のための医事紛争防止テキスト」を作成し,医学教育に貢献した.
 平成十三年には茨城県医療事故防止対策指針策定検討委員に就任,平成十五年には茨城県医療安全相談センターを立ち上げ,現在も委員長として運営に参画している.

地域医療・保健体制の整備に貢献した功労者
埼玉県 柏崎 研先生

 昭和七年九月二十日生まれ(七十三歳),昭和三十二年日本大学医学部卒業.昭和三十七年柏崎医院院長.昭和四十七年大宮市医師会理事,昭和六十年同副会長.平成四年埼玉県医師会理事,平成六年同常任理事,平成十六年同副会長.平成十六年日医代議員.
 地域の公衆衛生,保健衛生の向上と発展に努め,地域医療体制の充実,救急医療体制の整備に尽力した.埼玉県医師会役員として,医事相談,労働保健,母子保健,福祉,情報広報部等を担当し,会内における意見の取りまとめ,関係機関との折衝,各種行事の開催など,県内の地域医療体制の整備,向上に寄与した.
 また,埼玉県医療審議会,埼玉県救急医療対策協議会など,多くの審議会委員も歴任し,埼玉県の保健,医療の発展に多大な貢献をした.埼玉栄高等学校の校医としても,三十三年余活躍している.
 現在,県内の産婦人科医会長,医師会母体保護法指定医審査委員長を務め,安心して子どもを産み,育てる環境の整備のために指導力を発揮し,埼玉県の母子保健,周産期医療の充実に尽くした功績は大きい.

医事紛争防止に貢献した功労者
岐阜県 坪口 昇先生

 大正十五年十月十三日生まれ(七十九歳),昭和二十五年金沢医科大学附属医学専門部卒業.昭和三十五年岐阜県大垣市にて城北外科開業.以来,四十二年有余にわたり地域医療に貢献.昭和四十九年大垣市医師会理事・副会長,昭和五十五年岐阜県医師会常務理事・副会長を歴任.
 医療事故・医事紛争担当理事として,県内で実施の「動く県医」において事例紹介を行い,会員に医事紛争発生防止を呼び掛けた.紛争発生時には誠心誠意折衝に当たり,その解決に尽力した.
 平成十二年の「診療情報提供に関する相談窓口」の開設に当たっては,連日寄せられる苦情・相談事項の対応に尽力するとともに,会員に対しては日医の指針の徹底を図り,関係会員の指導に努めた.
 また,労災保険担当として,労災保険診療の適正化や自賠責保険新基準導入に当たり,会員への周知指導に尽力した.
 そのほか,県内の医師会協同組合理事・副理事長,医師国民健康保険組合理事・副理事長,保健医療対策協議会専門委員,地方社会福祉審議会委員など,各種委員を歴任し,医療の充実・発展に寄与した.

地域医療・保健の向上に貢献した功労者
静岡県 吉永 歸一先生

 大正十五年二月十二日生まれ(七十九歳),昭和二十四年東京医学歯学専門学校医学科卒業.昭和三十四年吉永外科医院院長(平成十二年吉永医院に改称).昭和四十九年清水市医師会理事,昭和五十九年同副会長,昭和六十三年から平成六年まで同会長.昭和五十九年静岡県医師会理事,平成六年同副会長,平成十二年同会長,平成十六年同顧問.平成二年日医代議員,平成十六年より同裁定委員会副委員長.
 清水市保健センター・保健会館の建設に尽力するとともに,通算十六年にわたる静岡県医師会役員活動にて,同県の医学医術の発達普及と公衆衛生の向上に努め,社会福祉の増進に貢献した.
 平成六年には静岡県救急医療対策協議会委員として,静岡県の救急医療体制,特にドクターヘリ運行整備に尽力した.平成十四年の「二〇〇二年ワールドカップ」および平成十五年の第五十八回国民体育大会「NEW!!わかふじ国体」,第三回全国障害者スポーツ大会「わかふじ大会」では,医療救護活動に貢献した.
 また,平成十四年からは,新たに児童・生徒のこころの健康相談事業を行い,登録相談医の確保等,事業体制整備に尽力した.

アイバンク事業の充実・発展に貢献した功労者
愛知県 長屋 幸郎先生

 大正十四年九月一日生まれ(八十歳),昭和二十五年名古屋大学医学部卒業.昭和三十五年長屋眼科医院開設.昭和三十八年愛知県眼科医会理事,昭和五十三年より会長.昭和六十三年日本眼科医会会長,平成四年同顧問.平成元年藍綬褒章.勲四等旭日小綬章を授章.
 昭和五十年に愛知県眼衛生協会を発足し,同協会の理事として,アイバンク事業発足初年度から全国一,二位を競う実績を上げた.昭和五十九年には愛知県医師会の協力を得て「アイバンク情報システム・ネットワーク」を定め,昭和六十三年には協会理事長として「角膜移植のための眼球摘出のマニュアル」を作成.
 また,移植角膜の安全性確認のため,眼球摘出時に採取した血液の検査を即日行う体制をつくり,平成九年からは,摘出病院の新任医師を集めてアイバンク講習会を開いている.
 これらの活動の成果は,平成十七年二月現在で,累計登録者が全国五十三アイバンク中二位,累計献眼者数で全国で同一位,累計摘出眼球数で同三位等の実績に示されている.

子宮頸がんの学術研究に貢献した功労者
大阪府 野田 起一郎先生

 昭和二年三月二十五日生まれ(七十八歳),昭和二十四年東北大学医学専門部卒業.昭和四十六年東北大学医学部産科学婦人科学講座助教授,昭和四十九年近畿大学医学部産科婦人科学講座教授,平成六年近畿大学長を歴任.
 子宮頸がんが異型上皮,上皮内がんを経て浸潤がんとなるがん化過程を証明し,さらに世界に先駆けて,前がん病変で診断する早期診断法を確立,また,子宮頸部上皮のがん化防止に関する研究を完成させた.これらの成果により,安田記念医学賞(最優秀賞),ゴールドブラッド賞(国際細胞学アカデミー)を受賞した.
 また,昭和四十二〜六十三年まで,厚生省がん研究班の主任研究者として,子宮がん集団検診車を創製し,その全国普及の道を開き,老人保健法の保健事業として子宮がん検診を加えることに中心的役割を果たした.その一連の功績により,河北文化賞,日本対がん協会賞,保健文化賞,厚生大臣賞など,多くの表彰を受けている.
 これらの業績から,野田氏は婦人腫瘍学の分野では世界を代表する学者といわれている.

地域医療システムの確立に貢献した功労者
兵庫県 瀧谷 泰博先生

 昭和九年十二月十九日生まれ(七十歳),昭和三十九年岡山大学大学院修了.昭和四十六年瀧谷内科医院院長.
 昭和五十七年姫路市医師会理事に就任以来,将来の医療環境を展望し,プライマリケアの効率化と地域医療のレベルアップを期すため,かねてからの持論である,より密接な病診連携を推進すべく,姫路式オープンシステムプロジェクト委員として参画.地元の公的四病院と連携し,医師会主導の多数会員による姫路市医師会オープンシステムを昭和五十九年に確立した.
 このシステムは,専門外来の公表ならびに会員医療機関の特殊診療機能を公開,高額医療機器の共同利用などの機能連携を促進,患者を中心に開業医と勤務医を結び付けることに効果を上げた.
 昭和六十年から姫路市医師会副会長に就任,十一年間,率先して医師会会務の推進と地域医療体制の整備・確保に貢献した.

地域医療の充実・発展に貢献した功労者
奈良県 大手 信重先生

 昭和九年四月九日生まれ(七十一歳),昭和三十七年奈良県立医科大学卒業.昭和四十六年大手内科医院開業.平成二年桜井地区医師会会長.平成十二年より奈良県医師会副会長.
 平成十七年に日本臨床内科医学会長として行った講演「高血圧実地医療の現場からの提案―三十年間の症例より―」は,自院高血圧患者九百八十八例について,患者個々に応じた個別的医療を行い,長期予後等を分析したものである.特に,二十年以上追跡した百三十三例についての研究は評価される.このように,多数の症例を同一医が長期間追跡し得ることは,地域開業医の最大の特色である.
 また,平成六年には,国の「病診連携モデル事業,かかりつけ医推進事業」に積極的に参画し,その成績を第二十五回日本医学会総会で発表するなど,事業に貢献した.さらに,奈良県医師会学校医部会長として,平成十六年より「奈良県医師会指定学校医制度」を主導・成立させた功績は大きい.現在,県医師会内科部会長としても活躍している.

消化器内視鏡学の診療と研究に貢献した功労者
徳島県 浦上 慶仁先生

 昭和十九年四月二十三日生まれ(六十一歳),昭和四十四年徳島大学医学部卒業.昭和四十六年徳島大学第二内科入局.以後十年以上にわたり,主として消化器病学,消化管内視鏡学の診療と研究に従事した.特に,内視鏡的膵・胆管造影法を用いた膵・胆道疾患の診断と治療に大きく貢献をした.
 十二指腸潰瘍の病態については,十二指腸球部の胃上皮化生粘膜のみに存在するヘリコバクター・ピロリの関与を明らかにした.さらに,ヘリコバクター・ピロリの除菌によって,胃マルトリンパ腫が寛解することを,病理組織学的,遺伝子学的に解明した.浦上氏の研究成果は多くの学会誌に掲載され,高い評価を受けている.
 また,昭和五十一年から一年間,ドイツのReinhard-Nieter病院に内視鏡医として招かれ,内視鏡診断および治療に携わった.昭和五十六年から浦上内科・胃腸クリニックを開設している.
 平成七年,第七十回日本消化器内視鏡学会中国・四国地方会長,平成十二年より,日本消化器内視鏡学会学術評議員として活躍している.

女性医師参画推進に貢献した功労者
福岡県 加藤 竺子先生

 大正十五年二月十三日大分県生まれ(七十九歳),昭和二十二年帝国女子医学専門学校(現・東邦大学医学部)卒業.昭和二十六年九州大学附属病院第三内科学教室入局,昭和三十一年から三十三年米国留学.昭和三十七年福岡市入庁,昭和六十年福岡市衛生局長,平成三年福岡市助役に就任.
 昭和五十五年福岡市医師会に入会以来,一貫して地域医療推進に果たす医師会の役割に深い理解をもって医師会の諸活動に参画した.特に,行政所属の勤務医として,公衆衛生,保健・福祉,健康教育等の事業推進に努め,市医師会と行政との円滑な活動のために橋渡し役を務めた功績は大きい.
 昭和五十三年からの福岡市医師会成人病センター建設計画や福岡市休日急患センターの設置など,事業推進に大きな役割を果たした.
 さらに,アジア太平洋博覧会「健康館推進検討委員会」副委員長として,展示内容の構成等の指揮を執った.
 昭和四十八年から日本女医会福岡支部長,平成九年より副会長として,創立百余年の歴史ある社団法人日本女医会の発展のために,増加する女性医師の働く環境整備支援,地位向上を目指し,公衆衛生,地域医療の推進,国際交流など広く女医会の重鎮として活動の場を広げている.

国立病院の再編成に伴う全国初の医師会立病院の設立・運営に貢献した功労者
鹿児島県 花北 良臣先生

 大正十五年八月三十日生まれ(七十九歳),昭和二十五年九州大学医学部卒業.昭和四十三年花北整形外科医院開設.昭和四十七年出水郡医師会副会長,昭和四十九年鹿児島県医師会理事,昭和五十七年出水郡医師会会長を歴任.
 国立病院などの再編成に伴う特別措置に関する法律が可決されると,花北氏は国立療養所阿久根病院を医師会へ経営移譲するように,厚生大臣,鹿児島県知事,鹿児島県医師会長,阿久根市長へ要望書を提出.そして,全国初の医師会による出水郡医師会立阿久根市民病院を平成元年に開設した.現在,医師会病院は全国で八十数カ所設立されているが,その先駆けをつくった功績は大きい.
 平成元年十月から出水郡医師会立阿久根市民病院長(初代院長)と自院を兼任していたが,平成四年九月から自院を閉院し,自らを犠牲に,出水郡医師会立阿久根市民病院の院長職に専念した.
 現在,出水郡医師会立阿久根市民病院は,阿久根市のみならず,周辺地域住民約十万人の健康の拠り所となっている.

母子保健・学校保健事業に貢献した功労者
沖縄県 上村 昭栄先生

 昭和二年三月三日生まれ(七十八歳),昭和三十三年長崎大学医学部卒業.昭和四十年上村病院開設.昭和四十六年中部地区医師会副会長,昭和四十八年同理事.平成二年沖縄県医師会母体保護法指定医師審査委員長を歴任.
 母子保健事業の功績としては,昭和四十年に産婦人科を開設以来,多忙な診療の日々の傍ら,妊産婦および乳児の健康相談,育児相談,栄養相談および受胎調節の指導等を積極的に行い,母子の健康管理に努めた.
 日本母性保護医協会沖縄県支部長(現:日本産婦人科医会)を平成二年から十一年間の永きにわたり努め,母性保護のための婦人がん検診の受診率の向上に努めた.
 さらに,重症心身障害者のための「おぎゃー献金運動」に情熱を傾け,強力に推進した.全国で常に上位を占めるなどした.
 学校保健事業としては,児童生徒の学校医,予防接種担当医として,昭和四十年十二月から三十三年余にわたり,疾病の予防・早期発見,また,教育環境整備に貢献した.

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