 |
第1132号(平成20年11月5日) |
第119回日本医師会臨時代議員会
所信表明
日本医師会長 唐澤 人

小泉政権下での市場経済原理主義は,国民の間にさまざまな格差を生み,政府は構造改革が生んだ陰の部分の解消のための対応に必死になっているというのが現状であります.
また,昨年の夏に表面化した米国のサブプライムローン問題の影響は,本年九月に金融危機として全世界的に拡大し,金融市場の混乱,経済の低迷を増大させていることは,ご承知のとおりです.麻生太郎総理も,景気対策などの経済政策を最優先することを明らかにし,衆議院解散を含めた今後の政局も流動的な状況にあります.
このような状況の中,国民の格差や不安は一段と顕著になり,近年の財政優先の政策が一層,国民の生活や生計に大きな疲弊をもたらしつつあります.今こそ,国民の視点に立ち,安全と安心のための政策を実行することこそが,まさに喫緊の大命題になっていると考えます.
一方,わが国では,六月に発生した岩手・宮城内陸地震の爪跡は今なお残り,復旧も半ばの状況にあります.世界的には,地球温暖化や世界各地域の気候変動が,多くの自然災害を発生させております.また,いつ流行しても不思議ではない新型インフルエンザへの対策等,危機感は一層募りつつあります.
このような中,日医は,わが国の社会保障政策,とりわけ医療・保健・福祉分野で積極的な提言を行い,政府に働き掛けるなど,前向きに活動を展開しています.
本年四月に施行された後期高齢者医療制度は,保険料の年金からの天引き,一部にみられる保険料負担増が,いわゆる「年金記録問題」と相まって,多くの不安を抱えてのスタートとなったことは,記憶に新しいところであります.加入者が,自らが加入する制度に対しての信頼を失い,受診を控えてしまうことは容易に想像できます.
もともと疾病発症リスクの高い高齢者が,受診を控える傾向を強くすれば,疾病の重症化,長期化を招き,健康に大きな影響を与えることが,強く懸念されます.
麻生総理,舛添要一厚生労働大臣ともに,約一年の検討期間をかけて後期高齢者医療制度の見直しを図ることを明らかにしております.日医といたしましては,社会保障費の機械的削減の撤回とともに,高齢者に温かく,高齢者が長生きして良かったと思える医療制度の再構築を重点課題としてとらえております.
先般,日医の主張を,改めて『「高齢者のための医療制度」の提案』として小冊子にまとめ,全国の都道府県・郡市区医師会にお送り申し上げたところであります.
この高齢者のための医療制度の基本的スキームは,
一,保障の理念の下,七十五歳以上を手厚く支える
二,若者から高齢者へ,急性期から慢性期へ切れ目のない医療を提供する
三,医療費の九割は公費(国)が負担する
四,家計負担(保険料と一部負担)は一割とし,患者一部負担は所得によらず一定とする
五,運営主体は都道府県とする
というものです.
舛添厚労大臣は,「大臣私案」として,市町村国保の運営主体を都道府県単位としたうえで,後期高齢者医療制度と一体化することを提案するなど,現制度の「見直し」に留まらない様相を呈している今こそ,日医の提案を具体化する絶好の機会であるとも言えます.財政的な裏付けをもって,真正面から私どもの提案を政治の場にぶつけ,真に高齢者のための医療制度を実現すべく,改めて活動を展開してまいる所存であります.また,「高齢者のための医療制度」について,財源問題などをより詳細にまとめた内容を含め,『グランドデザイン二〇〇八』を取りまとめているところであり,年内には公表する予定であります.
今さら申し上げるまでもなく,国民皆保険制度,フリーアクセス,現物給付の三つが,わが国の医療保険制度の優れた特徴であります.そして,この制度の根幹は絶対に死守しなければなりません.
しかしながら,医療の崩壊は確実に進みつつあります.これを端的に表しているのが,産科領域の現状です.分娩を取り扱う医療機関の減少,さらに産科を閉鎖する病院が全国各地で相次ぎ,「越境分娩」なる言葉が使われるほど,事態は深刻化しております.
厚労省は,医療提供体制の中で,集約化,重点化を進めようとしていますが,全国各地域の中で,住民の身近に医療機関があることこそが必要です.この前提のうえで,急性期から慢性期まで,病院,有床・無床診療所が有機的な機能連携のもと,地域において医療を完結させることが重要です.地域の特性を無視して強引に集約化,重点化政策を進めれば,地域医療の崩壊に拍車をかけることになります.
後ほどの代表・個人質問でも指摘されておりますように,大学病院の各医局がこれまで持っていた医師派遣機能が新医師臨床研修制度によって失われ,医師の偏在と不足を顕在化させました.その結果,医師,そして看護師など医療関係者の献身的な努力の上に成り立ってきた地域医療は,まさに音を立てて崩壊しようとしているのです.
患者さんの生命を救うために病気や怪我に真摯に対応してきた現場も,その疲弊はすでに臨界点に達しているのです.これまでの医療提供体制を客観的に評価したうえで,現況の解決策を提示する責任が,国にはあります.
日医として,地域医療再生のために重点的に対応しなければならない最大の課題は,今日の医療状況を生んだ根源的要因である社会保障費年二千二百億円の機械的削減から社会保障費の増額への政策転換であります.
本年の前半においては,来年度の予算編成に対して,当時の福田康夫総理,舛添厚労大臣を始め,多くの与党国会議員が,社会保障費二千二百億円の削減はすでに限界にある旨を国会でも明言しておりました.
私たち執行部も,社会保障費の削減を撤回すべく,自民党幹部を始め,社会保障,厚労関係の政府与党国会議員に対し,強く働き掛けてまいりました.また,私が委員として参加しております社会保障国民会議においても,社会保障費の機械的削減の撤回を強く求めました.しかし,六月二十七日に閣議決定された「経済財政改革の基本方針二〇〇八」においては,「基本方針二〇〇六」および「基本方針二〇〇七」を堅持し,歳出・歳入一体改革を徹底して進め,最大限の歳出削減を行うことが明記されました.
日医は,即座に「地域医療崩壊阻止のための国民運動」の展開を決定し,地域集会の開催,都道府県議会での社会保障費抑制に反対する意見書の採択を各医師会にお願いするとともに,七月二十四日,「地域医療崩壊阻止のための総決起大会」を開催し,来年度予算概算要求基準に向けて,全国的な行動を起こしたわけであります.
この間,七月十五日の朝日新聞と日経新聞,さらに七月二十三日の読売新聞の各朝刊に,社会保障費の年二千二百億円の削減に反対する意見広告を掲載いたしました.この意見広告には,医療関係者のみならず,全国の一般の読者から,多くの賛意を示す意見と激励が寄せられ,医療を始めとした社会保障の再建が,国民の強い願いであることを,改めて認識した次第です.
七月二十九日に閣議了解された平成二十一年度予算概算要求基準においては,安心できる社会保障など,「基本方針二〇〇八」で示された重点課題のうち,緊急性や政策効果が特に高い事業に対して,「重要課題推進枠」として三千三百億円程度を新設し,重点配分することが明記されました.また,特別会計の見直しなど,かねて日医が主張してきた内容も盛り込まれました.
しかし,政府がなすべきは,再三申し上げているとおり,いわゆる義務的経費としての社会保障費,その自然増分二千二百億円削減の撤回であります.これが明記されなかったことは,極めて遺憾であります.
ただし,麻生総理は,十月一日の国会答弁において,社会保障費二千二百億円の削減について,最終的には財源も勘案のうえ,予算編成過程で決める旨の発言をしておられます.日医といたしましても,地域医療再生を喫緊の課題として位置付けており,そのためにも,スローガン化している社会保障費の機械的抑制を撤回すべく,今後とも一層強力に政府与党に働き掛けてまいります.
来年度は,介護報酬改定が実施される予定であり,利用者の視点に立って,介護サービスの質の向上,労働環境の改善による離職防止のため,財源の確保に全力を傾注してまいる所存です.今こそ,医療界が大同団結し,一丸となって政府に働き掛けることが必要です.
特に,昨今,病院勤務医の過重労働が社会問題化するにつれ,政府審議会等において「開業医と勤務医」,あるいは「診療所と病院」という区分で対照的に議論する傾向が強くなってきています.私たちは,このような流れには極めて慎重に対応しなければなりません.その背景には,医療関係団体の分断,組織としての力の弱体化を図るという意図が見え隠れしているからです.これらの動きに対抗するためには,力の結集が不可欠との認識から,昨年会内に「二十五万会員プロジェクト」を発足いたしました.そして,このプロジェクトでの検討を経て,今期,「医師の団結を目指す委員会」を立ち上げました.構成メンバーには,日本医学会,勤務医委員会,都道府県医師会役員,四病院団体連絡協議会,全国医学部長病院長会議,全国大学医師会連絡協議会,女性医師等,幅広く参画していただいております.
現在,この委員会において,さまざまな立場の医師の意見が反映される体制づくり,医学部学生や研修医との有機的関係の構築に向けた方策,さらに今後目指すべき医師会のあり方について,精力的にご検討いただいているところです.
最後になりましたが,日医には,常に医療現場を通じて国民の視点に立った医療制度の確立を目指し,具体的政策を提示し政府に働き掛け,その実現を図るという責任があると考えています.単に数としての組織力の向上に終わるのではなく,他の医療関係職能団体,さらには経済団体,あるいは保険者団体など,たとえ利害が反する組織であろうとも,「国民医療を守る」というスタンスで小異を捨てて大同に就く.その舵をとるのが日医であり,これを実現するのが組織としての日医のあるべき姿だと考えます.
そのために日医に求められているのは,強力なリーダーシップの発揮であると,私自身強く認識しており,執行部一丸となって取り組んでまいります.
|