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第1133号(平成20年11月20日) |
受賞者の横顔

第61回日本医師会設立記念医学大会の席上表彰された日本医師会最高優功賞のうち,都道府県医師会長推薦による「医学,医術の研究により医学,医療の発展又は社会福祉の向上に貢献し,特に功績顕著なる功労者」の横顔を紹介する.
地域医療体制の確立及び医師の生涯教育に貢献した病院
北海道 小樽市医師会 市立小樽病院オープン病棟(代表・近藤 真章)
小樽市医師会は,昭和四十四年一月に日本初の公立病院(小樽市立病院)オープン病棟(三十七床)を開設し,入院患者を受け入れた.内科,外科,耳鼻科などの民間病院・診療所の医師会員が登録し,小樽市の嘱託医としてオープン病棟で患者の診療に当たった.
市立病院が有する最新の診断機器の利用,検査依頼,各科医師との連携などにより,高度・総合的医療を行っている.実際的な医療とともに,症例検討会,ゼミナールなどの研究会・勉強会を開催し,小樽市医師会員だけでなく,市立病院の医師,コメディカルのスタッフの生涯教育にも貢献している.
患者の入院の際には,かかりつけの医師が主治医となることで一貫した診療ができ,医師と患者の信頼関係をより強固なものとしている.入院患者総数一万千六百三十七名,在院患者数延べ四十四万八千三百七十二名を数え,現在の登録医師数は五十四名である.
公立病院の再編,有床診療所の減少,二次救急病院の疲弊など,医療環境の現状と将来を勘案すると,市立小樽病院オープン病棟の役割は,現在以上に重要となってくると思われる.
地域住民の保健・医療・福祉の向上に貢献した医師会
神奈川県 厚木医師会(石井 泰平会長)
昭和二十二年愛甲郡医師会設立(昭和三十年に厚木市医師会,平成十八年に厚木医師会に改称).
厚木医師会では,平成十七年度からの三年間,地域医療連携推進事業を通じて蓄積されている膨大な量の地域情報を,日医総研の協力のもと分析し,各種事業の有効性の評価を行った.
分析結果は,平成十七年度「適切な介護予防に向けて─介護サービスの有効性評価に関する調査研究─」,平成十八年度「適切な生活習慣病予防に向けて─地域健診の有効性評価に関する調査研究─」,平成十九年度「適切な介護予防に向けて─特定高齢者と要支援者の実態に関する調査研究─」として,ワーキングペーパーを作成した.
地域に蓄積している膨大な情報をマクロ的に分析することで,地域における生活習慣等の住民特性を把握でき,それが医療・保健・福祉において効率的なサービスを継続的に提供するための医療・介護等に関する情報提供や,医療,福祉間の連携の質の向上につながるなど,地域医療に多大な功績を上げた.
在宅医療体制の確立に貢献した医師会
京都府 乙訓医師会(伊与田 勲会長)
昭和二十二年乙訓医師会設立.乙訓医師会では,高齢社会における医療・介護などの問題に早くから取り組み,独自の事業を展開してきた.特に在宅医療においては,医療・保健・福祉の連携が最重要課題と考え,在宅療養を行っている方々の情報を,本人,家族を含めた,医療,介護にかかわるすべての人が共用出来るように,平成七年から「在宅療養手帳」を作成している.
在宅療養手帳は,多職種で利用者の情報を共有し,状態の把握による最適な医療・ケアの構築を図り,連携の要とすることを目的としており,累計発行部数は六千三百五十六冊に及ぶ.
平成十二年には,介護サービス内容・居宅介護支援事業所名記載ページを追加,その後も,共通診断書を専用封筒にて挟み込むなど,情報の共有化・費用負担削減に努めた.さらに,歯科口腔状況・服薬情報記載ページ,障害者(精神・知的)の家族との専用ページを加えるなど,時勢に応じた対応を心掛け,内容を追加・更新している.
本手帳は,地域ケアシステムの礎として,ますますその重要性が増している.
地域医療及び医療関係職種への教育活動に貢献した医師会
福岡県 遠賀中間医師会(堤 成基会長)
昭和二十二年遠賀中間医師会設立.人口約十五万人の地域医療を地元で担い,地域住民の医療環境を向上させ,医療が地域内で完結出来るように,昭和五十五年から休日急患センターを運営,「電話による問い合わせ医」や「夜間小児救急体制」を構築した.
地域内二病院は,医師会病院として,急性期から慢性期まで継ぎ目のない医療を提供するため,医療機能を分担している.また,後方支援病院・地域中核病院としての役割も担っている.さらに,病院内に病児・病後児施設を開設し,地域の子育て支援事業を推進している.
平成六年には訪問看護ステーションを設立し,在宅高齢者への生活支援の充実に努めている.看護教育にも積極的に取り組み,平成二十年に看護学科三年課程全日制の看護学校を開校した.また,看護師会の結成にも協力した.
行政とは毎月協議会を開催し,予防接種,健診,事故防止等について協議している.
以上の活動に対し,医師会員相互の連携や地域住民からの医師会に対する信頼も高まっている.
周産期医療体制の充実・発展に貢献した功労者
茨城県 鈴木 重次先生
昭和十三年一月十八日生まれ(七十歳),昭和三十九年日本医科大学卒業.昭和四十九年鈴木産婦人科医院開業.昭和五十七年水戸市医師会理事,平成二年同副会長,平成四年同会長.平成二年茨城県医師会代議員,平成十六年同代議員会議長.
平成二年に,ハイリスク妊産婦のスクリーニング基準と母体搬送基準を作成,一次・二次・三次機関の連携システムの基礎を構築した.
平成四年には茨城県周産期センターができ,周産期救急システムが稼動,平成十年に『ハイリスク母体搬送マニュアル』を発刊し,周産期救急医療システムの構築に貢献した.
また,茨城県の子宮がん検診体制構築に尽力.子宮頸がん発症の若年化を危惧し,茨城県子宮がん検診実施指針を改正し,平成十三年より全国に先駆けて,二十五歳以上を検診対象者とした.
さらに,水戸市医師会看護専門学院長として看護師・准看護師の育成に尽力,また,いばらき思春期保健協会会長として,思春期の健康増進に携わった.
現在も数々の役職に就いており,地域医療,看護師養成,思春期対策における功績は顕著である.
介護支援体制の確立及び地域住民の健康教育に貢献した功労者
埼玉県 天草 大陸先生
昭和十八年五月八日生まれ(六十五歳),昭和四十四年順天堂大学医学部卒業.昭和五十一年天草病院開設.昭和五十五年越谷市医師会理事,平成四年同副会長,平成十年同会長.昭和六十一年埼玉県医師会理事,平成十四年同常任理事,平成十八年同副会長.平成二十年から日医代議員.
昭和五十一年に天草病院を開設し,診療を開始して以来,三十二年余の長きにわたり,近隣の市町における診療に従事し,医療の発展に尽力した.
その間,介護老人保健施設,越谷市委託在宅介護支援センター,訪問看護ステーション等を開設するなど,地区の介護・在宅医療に多大な貢献をした.
また,越谷市医師会役員として,地域の公衆衛生・保健衛生の向上を図るとともに,埼玉県医師会役員として,地域医療体制の整備・発展に寄与した.
県医師会では広報担当役員を務め,「埼玉県医師会誌」の編集に携わり,会員に各種情報を提供,県民向けには,広報誌「健康さいたま」を発行して,医療情報を発信するなど,対内,対外広報に尽力した.
また,保険指導担当役員として,保険診療に関する会員の指導,行政各方面との折衝などに当たり,その適正な運営を推進した功績は大きい.
医師会事業を通じて社会福祉の増進に貢献した功労者
静岡県 岡田 幹夫先生
昭和五年六月二十七日生まれ(七十八歳),昭和三十年東京慈恵会医科大学卒業.昭和四十年上町医院開業.昭和五十一年御殿場市医師会理事,昭和五十七年同会長.平成十年静岡県医師会理事,平成十二年同副会長,平成十六年同会長.平成二十年から同顧問.平成二年日医代議員,平成十六年同理事.
昭和五十一年から二十七年間にわたり,御殿場市医師会の要職を歴任,医師会の円滑な運営はもとより,地域住民の安寧に貢献した.
御殿場市は東名高速道等交通網の要衝にあり,交通外傷等が多発したことから救急医療の必要性を感じ,昭和五十八年に御殿場市救急医療センターを開設した.
また,住民の保健医療の拠点施設である御殿場市保健センターの開設にも大きく寄与,開設後は,予防接種,各種健診事業のほか,市独自の健康教室を展開するなど,住民の健康意識を高めることに努めた.
また,御殿場市およびその周辺地域の将来の医療体制を見据え,御殿場市医師会附属看護高等専修学校の設置に奔走,医療の担い手となる看護師の養成に努めた功績は顕著である.
平成十年からは,静岡県医師会の役員として医師会活動に精力的に取り組み,医学医術の発達普及と公衆衛生の向上に努めた.
公衆衛生活動の推進・向上に貢献した功労者
滋賀県 折田 雄一先生
昭和九年十二月二十日生まれ(七十三歳),昭和三十九年京都大学医学部卒業.昭和五十五年折田医院開設.平成四年近江八幡市蒲生郡医師会理事.平成二年滋賀県医師会代議員,平成十二年同常任理事,平成十八年同理事.平成二十年から同参与.
昭和五十五年に折田医院を開設以来,二十八年余の長きにわたり,地域住民の疾病予防と健康管理に従事し,公衆衛生の向上に尽力した.特に,健康問題や予防接種情報などの地域住民への広報活動のため,「折田医院月報」を二十二年間毎月発行し,健康教育の啓発や在宅医療の普及に努めるなど,患者との信頼関係の構築に日夜努力した.
平成十二年に滋賀県医師会常任理事に就任後,滋賀県医師会で実施した糖尿病実態調査では,県内の糖尿病患者の約六割(一万八千五百八十九症例)を集積し管理状況を調査するなど,中心的役割を果たした.平成十八年度にも同様の調査を実施,前回調査との比較検証を行った.このような大規模な実態調査は例がなく,全国に二百五十万人いると推計される通院患者の平均的な姿を表す貴重なデータとなった.
また,会員の日常診療における課題をテーマとした学術講演会等を多数企画し,生涯教育活動の推進を通じて,地域医療の充実と公衆衛生の向上に大きく貢献した.
産婦人科医療提供体制の確立に貢献した功労者
奈良県 伯耆 徳介先生
昭和十年四月六日生まれ(七十三歳),昭和三十五年京都府立医科大学卒業.昭和四十六年ホウキ診療所開設.昭和五十五年御所市医師会理事,昭和六十三年同副会長,平成四年同会長.平成十年奈良県医師会監事.
昭和四十六年にホウキ診療所を開設以来,三十七年の長きにわたり,産科婦人科医として,多くの妊産婦の保健活動,母子管理に尽力し,扱った分娩数は五千四百件を超えている.また,当時発展中であった不妊症のホルモン療法にも積極的に取り組んだ.
一方,地域の産婦人科医を主導して産婦人科医会を組織し,個別検診による子宮がん検診の普及,定着にも寄与した.
御所市医師会長として,率先して医師会活動に携わり,市立保健センター(御所市いきいきライフセンター)を設立.センターは現在,休日診療所部門,母子保健,予防接種,健康教育,介護保険事業,地域包括支援センターの拠点となっているほか,医師会員の研修の場としても利用されている.また,学校医制度の活性化に努め,市の国保運営協議会委員としては,国保の適正な運営に関して主導的な役割を果たした.
地域医療体制の整備・発展に貢献した功労者
島根県 中島 雪夫先生
大正十三年三月十七日生まれ(八十四歳),昭和三十年大阪医科大学大学院中退.昭和三十五年父祖の業を継承し中島耳鼻咽喉科医院開業.昭和三十八年松江市医師会理事,昭和五十年同副会長,昭和六十二年同会長.昭和五十年島根県医師会常任理事,平成七年同副会長,平成十四年同会長.平成七年日医代議員,平成十二年日医監事,平成十六年日医理事.
島根県医師会役員として,平成元年の新島根県医師会館建設に尽力,平成十四年にはテレビ会議システムによる事業推進を図り,現在では離島を含む五地点に増設するなど,行政とも連携して地域医療の推進に貢献した.
昭和三十六年から四十八年間にわたり,耳鼻咽喉科学校医・園医として児童生徒の健康管理に努め,昭和四十四年には小中学校への難聴学級の設置に尽力し,難聴児教育の推進に寄与した.
また,松江市学校保健会や島根県学校保健会の理事,副会長,会長を歴任し,日本学校保健会理事に就任するなど,学校保健活動の推進に積極的に取り組んだ.
昭和三十九年からは,三十五年間,島根県社会保険診療報酬審査委員会委員として,公的負担医療の適正化に寄与したほか,多くの要職に就き,県政の発展ならびに地域医療,福祉の向上に尽力した.
過疎地域における医療・公衆衛生活動に貢献した功労者
広島県 益田 厚先生
昭和十三年三月二十八日生まれ(七十歳),昭和三十九年広島大学医学部卒業.昭和四十八年益田内科・胃腸科医院開業.平成九年広島市東区医師会理事,平成十四年同会長.
広島市内に開業のかたわら,昭和五十六年から二十七年間の長きにわたり,県境の過疎,超高齢化した無医地区において,診療活動を続け,地域住民の生活を医療的側面から支えてきた.
地区唯一の医療機関が焼失して無医地区となった昭和五十六年,地区住民の強い要望により,旧佐伯町から診療を依頼され,町の運営支援を受けて玖島診療所を開設.平成十七年には,無医地区支援は役割を終えたとして,廿日市市は運営支援を打ち切ったが,その後も行政の支援を受けずに引き続き診療所を運営し,過疎,超高齢化した地域住民の医療の拠点として診療に当たり,地域医療の充実と推進に尽力した.これらの功績に対して,平成十七年に廿日市市から感謝状を贈られた.
平成九年には,広島市東区医師会設立と同時に理事に就任.平成十四年に会長に就任してからは,社会における保健・医療・福祉の連携に多大な貢献をした.
精神衛生及び学校保健活動の向上に貢献した功労者
沖縄県 新垣 元武先生
昭和二年七月五日生まれ(八十一歳),昭和三十九年九州大学医学部大学院修了.昭和四十五年新垣病院開設.昭和四十七年沖縄県医師会理事.平成二年から中部地区医師会監事.沖縄県医療審議会委員,沖縄県医師会医学会精神科学会会長,第四十二回日本病院・地域精神医学会総会会長などを歴任するなど,沖縄の精神医学の発展のために多大な貢献をした.
昭和三十九年三月に九州大学大学院を修了後,四十四年間にわたり,米国の統治下で深刻な医師・看護者・病床等の不足によって,精神障害者が医療を受けられずに自宅に監置されたまま放置されるなど,著しく立ち遅れていた沖縄の精神医療の発展に尽力した.
昭和四十五年に新垣病院を開設し,放置されていた精神障害者を医療ルートに乗せ,早期発見・早期治療の啓発活動を献身的に実践し,精神医療体制を構築,中部地域における精神医療の先駆者的役割を果たした.
昭和四十八年からは,県立養護学校,小学校で校医を務め,昭和四十七年からは,沖縄の本土復帰による予防接種事業の市町村移管に伴い,予防接種担当医として児童・生徒の疾病予防に尽力した.
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