日医ニュース
日医ニュース目次 第1181号(平成22年11月20日)

受賞者の横顔

 第63回日本医師会設立記念医学大会の席上表彰された日本医師会最高優功賞のうち,都道府県医師会長推薦による「医学,医術の研究により医学,医療の発展又は社会福祉の向上に貢献し,特に功績顕著なる功労者」の横顔を紹介する.

地域医療の整備・充実に貢献した医師会
 神奈川県 横浜市中区医師会(向山 秀樹会長

 昭和二十二年横浜市中区医師会設立.昭和四十八年,県に先駆け,「横浜市中区休日急患診療所」を多くの医師会員の積み立て会費や臨時会費を使って,地域住民のために設立.会員は休日を返上し,献身的に地域住民を守ってきた.
 昭和五十四年には寿町地区内に勤労者福祉協会診療所を横浜市の協力のもとで開設.女性医師が先陣を切り,住民の健診・自立支援を開始した.
 昭和五十七年からは地域住民を対象に医師会員による「心と体の文化講演会」等を,人々の声を直接聞きゆっくりした時間のなかの語り合いの催しとして各所で開始.健康作りの工夫等で,住民に絶賛され,信頼されている.
 昭和六十年には若手医師会を設立し,地域医療における活動に若い力を結束し,地域支援に大いに役立ってきた.また,平成十年には「二十二カ国語外国人来訪患者問診票」を中区医師会独自で工夫・作成し,使用を開始している.この問診票は,日本で唯一のものであり,努力のうえの傑作と言える.

救急医療体制の整備・充実に貢献した医師会
 福岡県 京都医師会(尾形 知文会長

 京都医師会の属する京築保健医療圏には,公的病院はなく,小児科,産科を標榜する病院もない.分娩は四つの有床診療所で取り扱っており,圏内の救急,小児科,産科医療体制を維持するために必要な医療資源は不足している.
 平成十年,京都医師会の主導により,行橋京都休日夜間急患センターが開設された.京都医師会はその運営の中心的役割を担っており,特に,小児科はほとんどが会員の出務である.昨年の受診者数は一万四千五百人余であったほか,同センターでは,電話相談も行っており,昨年の実績は七千二百件余であった.
 また,平成十九年からインフルエンザ発生動向調査を始め,平成二十一年一月には,新型インフルエンザ対応マニュアルを作成したほか,同年の新型インフルエンザ流行に当たっては,京築保健所設置の発熱外来に医師会員が交代で勤務した.
 平成二十一年,二つの隣接する二次医療圏にまたがる周産期医療の連携を図るため,小倉医療センターと行橋市,苅田町,広域圏消防本部と周産期医療に関する協定を締結し,全国初の周産期ドクターカーの運用を開始した.

尿路結石治療に著しく貢献した功労者
 北海道 丹田 均先生

 昭和十五年五月十日生まれ(七十歳),昭和四十六年札幌医科大学大学院修了.昭和五十一年東札幌三樹会病院長,昭和六十一年同理事長兼院長.
 これまで,保存的治療もしくは開腹手術が主であった尿路結石治療に対し,昭和五十九年日本で始めて体外衝撃波による砕石装置(ESWL)を大学病院等に先駆けて導入した.アジアにおいても最初の導入であったため,海外からの多くの患者に対しても治療を行った.これらの多数の臨床経験に基づき,わが国のESWLの導入,安全・有効性の確立を牽引してきた.昭和六十二年の日本Endourology・ESWL学会の創設にも携わり,若い研究者への学術的道を開いた.
 また,ESWLの高度先進医療の承認,保険適用の実現にも尽力し,多くの患者が安心して治療を受けられるようになった.さらに二十年にも及び三千名の患者のフォローアップを行い,ESWLの安全性を報告した.その臨床的価値は極めて高い.
 このように,わが国の泌尿器科におけるESWLの導入,治療,安全性の確立の先頭に立ち,推進してきたことは,学術的,社会的に大いに価値のあるものである.

地域医療及び介護支援体制の確立に貢献した功労者
 茨城県 瀧田 孝博先生

 昭和十三年四月十五日生まれ(七十二歳),昭和三十九年日本医科大学卒業.昭和四十七年滝田整形外科開業.昭和五十五年石岡市医師会理事,平成四年同会長.平成二年茨城県医師会代議員,平成十六年同代議員会副議長,平成二十年同代議員会議長.同年日医代議員.
 石岡市医師会理事・会長として,会員活動を活発にし,医師・コメディカルの生涯教育の充実に尽力したほか,行政との連携にも力を注ぎ,休日夜間緊急診療所や病院群輪番制と救急医療の確立に努めた.
 昨年の新型インフルエンザの流行に際しては,市内小中学校全校に会員医師を派遣し,延べ三千七百名の児童・生徒に対し集団予防接種を実施した功績は顕著である.
 石岡市医師会は昭和六十一年に医師会病院を開設し,その後,訪問看護ステーション・介護老人保健施設・居宅介護支援事業所・ヘルパーステーションと包括的な事業を展開している.これらの事業に当初から参画し,現在も医師会病院長,介護老人保健施設長として地域住民の健康を守るために活動している.

病診連携体制の確立に貢献した功労者
 埼玉県 早川 先生

 昭和九年十二月十九日生まれ(七十五歳),昭和三十四年日本大学医学部卒業.昭和四十二年早川内科小児科医院開業.昭和五十三年浦和市医師会理事,昭和六十一年同副会長,平成四年同会長.平成十年埼玉県医師会副会長.平成十六年日医代議員.
 地域の中核病院である浦和市立(現さいたま市立)病院との間に病診連携体制を作り,開業医が,紹介入院させた患者を主治医として診療し,退院後は再び開業医に通院する方式を確立した.
 平成二年,この体制で浦和市医師会が病診連携モデル事業の選定を受け,病院内に医師会職員常駐の「病診連携室」を置き,オープン病床十四床を会員の利用に供した.
 さらに平成四年,同病院に三十床の開放型在宅医療支援病棟が設置され,この事業は,病診連携浦和方式としてNHKで紹介された.
 また,老健施設,在宅介護支援センター,デイケア施設等の開設に尽力するなど,かかりつけ医,在宅医療,介護支援などの立体的医療システムを構築し,県民の立場に立った保健・医療・福祉を充実させた功績は大きい.

性感染予防活動に貢献した功労者
 千葉県 秋山 龍男先生

 昭和三年二月四日生まれ(八十二歳),昭和二十八年千葉大学医学部卒業.昭和三十八年秋山産婦人科開業.昭和四十九年市川市医師会理事,昭和五十七年同副会長,昭和六十三年同参与,平成二年同代議員会議長.
 市川市医師会理事に就任以来,特に予防接種,各種検診,急病診療,災害時医療について尽力した.
 医師会・市川市・市川市教育委員会との連携による市川エイズ等STD対策推進協議会(旧市川エイズ対策推進協議会)に平成五年の発足当初から委員として参加し,広く一般市民に対し,予防啓発活動を行った.平成六年には「エイズ予防の啓蒙活動に対する業績」が認められ,千葉県医師会高木賞を受賞した.
 現在も,講演会等での予防啓発活動は続いており,さらに,昨年はヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチンに着目し,市川市医師会講演会「HPVワクチンについて」で講師を務め,子宮頸がん予防のためのワクチン接種を推進した.
 永年にわたる地域医療,市民への疾病予防の啓発,福祉に対する貢献は非常に顕著である.

救急医療体制の確立に貢献した功労者
 新潟県 大川 賢一先生

 昭和十四年七月十八日生まれ(七十一歳),昭和四十年新潟大学医学部卒業.昭和五十二年同大学医学部附属病院講師.昭和五十三年新潟南病院小児科部長.昭和六十三年同院長.平成二年新潟市医師会理事,平成十二年同副会長,平成十八年同会長を歴任.
 平成二年新潟市医師会理事就任以降,一貫して地域医療に取り組み,とりわけ時代の喫緊の課題である救急医療体制の整備に情熱を注いだ.多忙な日常診療業務の合間を縫って,行政とともに「市民のために」という共通認識を常に持ち,救急医療体制の先進地を視察する等,将来の新潟市初期救急医療体制の整備について検討・協議を重ねた.
 また,新潟市医師会長・新潟市救急医療対策会議会長として,初期救急医療とそれを支える二次救急医療,三次救急医療の整備にも率先して取り組み,新潟大学医歯学総合病院を始めとする市内主要病院との協力体制を確保し,全国にも誇れる「新潟市急患診療センター」を含めた救急医療体制制度を確立した.

医師の生涯教育活動の推進に貢献した功労者
 愛知県 太田 宏先生

 昭和七年七月十七日生まれ(七十八歳),昭和三十三年名古屋大学医学部卒業.昭和五十一年内科医院開設.平成五年名古屋内科医会長,平成二十二年同名誉会長.平成十三年愛知県内科医会長.
 名古屋内科医会は,昭和三十八年よりそれまで大学人を中心とした内科勉強会から実地医家を中心としたものに組織された.以後,四十五年余連綿として続き,毎月の例会,年三回の学術の集いと,その詳細な記録をまとめた会誌を発行しているが,平成五年よりその会長として,会の発展に注力した.
 また,愛知県内科医会長として,内科医の救急医療,実地医療の最新の生涯学習の推進に関わり,愛知県医師会生涯教育委員(この二十年は責任者)及び『現代医学』誌(愛知県医師会機関誌)編集委員としても尽力した.
 さらに,平成四年には第十九回日本臨床内科医会総会,平成十九年には第二十一回日本臨床内科医学会を主催するなど,長年にわたり医師の生涯教育の推進に多大な貢献をした.

在宅医療の推進に貢献した功労者
 滋賀県 浅野 定弘先生

 昭和十一年十一月一日生まれ(七十四歳),昭和四十二年金沢大学医学部卒業.昭和五十一年浅野医院開設.昭和五十五年〜平成十二年近江八幡市蒲生郡医師会理事,副会長,会長.平成四年滋賀県医師会理事,平成六年同常任理事,平成十四年同副会長,平成十八年同会長.平成十六年日医代議員.
 県医師会長就任時,国の政策により療養病床の削減が進められるなか,医師会内に「在宅医療を推進するための協議会」を立ち上げた.
 そこでは,病院の退院調整機能の充実や在宅医療を支援する医療資源の調整・充実とネットワークの促進,在宅におけるターミナルケア,看取りの促進や病診連携と急変時の支援対策について,患者の立場に立って検討を重ね,在宅療養支援センターの設立や診療所ネットワークの構築を唱えた「在宅医療推進のための提言」をまとめた.
 さらに,高齢者の必要基礎エネルギー等を表示する同県独自の栄養検査セットを考案し,会員への普及に努めるなど,全国で在宅医療に取り組む多くの医師に多大な影響を与えてきた.

地域医療・保健衛生活動に貢献した功労者
 広島県 三浦 守先生

 大正十三年二月二日生まれ(八十六歳),昭和二十二年熊本医科大学卒業.昭和三十四年内科,胃腸科開業.昭和三十六年現在地に移転.昭和四十九年佐伯郡医師会理事,昭和五十五年佐伯郡医師会五日市支部長.平成二年広島県医師会代議員.
 医師会活動のほか,多くの各種委員会,協議会の委員を歴任し,五十年の長きに渡って地域の保険,医療,福祉行政に貢献した.また,学校医として学校保健活動にも多大な功績を残した.
 旧五日市町が広島市のベッドタウンとして急速に人口が増加していたこの時期,多忙を極める日常診療に加えての献身的な保健活動を継続してきた三浦氏の姿は,地域医療に従事するすべての医師の規範となるものであった.また,長い医師会活動を通じて多くの同僚,後輩医師会員に愛情を持って接し,常に適切な決断や指導,助言を行ってきた.
 さらに,昭和四十五年からロータリークラブの会員として多くの奉仕活動事業に参画し,またクラブの活動を通してさまざまな国との国際交流にも長らく尽力した.

地域医療の発展に貢献した功労者
 徳島県 稲井 力先生

 昭和二年十一月十日生まれ(八十二歳),昭和二十五年岡山大学医学部附属専門部卒業.昭和四十年稲井産婦人科開設.昭和五十五年阿南市医師会代議員会副議長,平成二年同会長.同年徳島県医師会理事.
 医師会の円満な運営と発展に顕著な実績を上げ,地域医療の充実,社会福祉の向上,医師会の発展に貢献した.
 昭和四十七年から阿南医師会中央病院運営委員,五十七年同委員長を務め,平成二年から八年間は同病院長として活躍し,昭和三十八年当初は百床であった病院から今日の二百四十床に施設を拡充し,地域医療の中核病院として基盤を築き,地域医療の発展に寄与した功績は顕著である.
 また,平成元年から社会福祉法人阿南福祉会理事,平成十一年から六年間は同理事長に就任し,特別養護老人ホーム阿南荘及び琴江荘の入所者に対する医療や介護問題に積極的に取り組み,福祉の向上と発展に多大の貢献をした.
 その一方で,昭和四十五年より徳島県立富岡東高等学校専攻科講師として,三十年にわたり専門的立場から教育指導を行い,数多くの看護師を育成した功績は顕著である.

救急医療体制の充実及び乳がん検診の促進に貢献した功労者
 愛媛県 徳永 昭夫先生

 昭和四年八月二十五日生まれ(八十一歳),昭和三十四年大阪大学医学大学院修了.昭和三十九年徳永歯科外科医院開業.昭和四十七年松山市医師会理事.同年愛媛県医師会代議員.昭和五十九年愛媛県医師会理事,昭和六十一年同常任理事.平成二年松山市医師会副会長.
 保険,医療全般にわたる市・県行政の協議会,委員会の委員,日医の委員会委員などの役職を歴任.松山外科会の設立幹事,また代表幹事として愛媛外科集談会の設立に貢献した.
 特筆すべき活動として,松山急患医療センター設置に貢献し,また県医師会代表委員として,県立の救命救急センターの設置にも精力的に行動した.昭和六十一年から始まった松山市の乳がん検診は,視触診による検診で,平日に率先して自ら診療時間を返上して検診に当たった.その後,マンモグラフィー読影委員会設立などにより精度向上が図られ,検診受診者は現在,約十万人になる.
 長年の多彩な活躍は松山市に限らず,愛媛県の外科医療の発展および地域住民の健康と安全の確保に大いに貢献した.

地域医療の確保及び保健活動に貢献した功労者
 沖縄県 金城 幸善先生

 昭和六年一月五日生まれ(七十九歳),昭和三十三年札幌医科大学卒業.昭和四十一年琉球政府立名護病院長.昭和五十七年県立南部病院長.平成二年県立那覇病院長.
 昭和四十一年,四十床規模であった名護病院時代,全国の大学に協力を依頼して専門性の高い医師を確保し,その後,同病院は医師数二十三名,三百床の総合病院に発展.
 沖縄海洋博に際しては,救急医療分野を担当し,心電図電送システム整備,循環器専門医の確保,CCUの整備等に努め,後方病院としての役割を果たした.
 南部病院では初代院長として,新病院の体制確立に努力したほか,地域の巡回検診,医療相談などを行い,予防医学的活動を積極的に展開した.
 那覇病院長に就任すると,病院の充実とともに,離島からの救急ヘリ搬送システムに取り組み,さらに救命救急士による心電図電送訓練にも貢献した.
 現在,沖縄県総合保健協会理事長として,離島を含む県下全域の地域,学校,職域の健診,人間ドック等を実施し,予防医療事業の推進に活躍している.

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