 |
第1250号(平成25年10月5日) |

二度目の東京オリンピック

二〇二〇年の夏季五輪開催地が東京に決まったのは,九月八日の早朝.眠い目をこすりながら固唾(かたず)をのんで待っていた.
東京は第一回投票を一位で通過,バルセロナを抑え決選投票に進んだイスタンブールを六十票対三十六票で制し,連続三回目の立候補で悲願の五輪開催をつかんだ.決定の瞬間,喜びを爆発させ,涙ながらに抱き合う関係者の映像に思わず熱くなった.
勝因としてポイントを三つに絞ってみる.最初に,アベノミクスによって景気浮揚の兆しが見えてきたことで,五輪招致への期待感が醸成されたことが挙げられる.次に,招致活動におけるチームワーク,特に最終プレゼンの素晴らしさ.今まで日本人が苦手と評されたコミュニケーション力が飛躍的に向上し,選考委員の心に届くメッセージを発信出来たこと.最後に二年半前に東日本を襲った大震災からの復興を祈る世界各国からの温かい応援の気持ちを敢(あ)えて挙げたい.
今まで,夏季五輪を二回開催したのは,ギリシャ,フランス,米国,英国であり,これらに次いで日本が世界で五番目となる.アジアでは勿論(もちろん)初めてである.
戦後日本が高度成長時代の幕開けとして,燦然(さんぜん)と輝いた一九六四年東京五輪の記憶は,その後の“失われた二十年”と呼ばれる低迷期を彷徨(さまよ)ううちに色褪(あ)せてしまったかのように思えたが,五十年の時を越え,再び鮮やかな色彩をもって蘇(よみがえ)ってきた.
私たちが子どもの頃に経験した五輪の感動と夢と希望を,これからの時代を担う世代へ聖火台の灯火(ともしび)のように手渡すことが出来れば良いと心より願っている.
(No.8)
|