日医ニュース
日医ニュース目次 第1292号(平成27年7月5日)

南から北から

神奈川県 横浜市医師会報 No.855号より
『聡明な女は料理がうまい』
岡部 尚子

 一九七〇年代にベストセラーになった桐島洋子さんの『聡明な女は料理がうまい』という本があるが,この題名は実にうまく言い当てていると思う.料理というものは手早く複数の作業を同時進行で効率よくやる必要がある.知的でエネルギッシュな行いで,これができる人というのは魅力的だと思う.また突然の来客にうろたえることなく,家にある食材でパパッとつまみを作れたりしたら本当にかっこいいと思う.そんな気持ちをずっと持っていたため,五年ほど前から月一回料理教室へ通っている.
 レッスンは六十代の先生のご自宅を開放して行われている.ご自宅は,築四十年近い,キッチン五畳程度,ガス口三個の「ごく普通」のマンションの一室である.豪華なキッチンスタジオや料亭で珍しい調味料や道具で行われる教室ではなく,自宅と同じような台所にもかかわらず美味(おい)しい料理が次々と作り出されていくのが魅力で通い始めた.
 先生は音大出身で,料理教室には一度も通ったことがないとのこと.お母様がとても料理上手な方であったらしい.
 自宅での月十四クラスのレッスン以外にも,月一回老人ホームに出向き,ご自身で作られた数種類のお菓子を振る舞いつつ,音大時代の友人三人で三重奏を奏でたりもしている.まさに料理が天職のスーパーウーマンで,料理ができなくなったらそのままパタッと息絶えそうな感じである.
 実際,二〇一一年三月の大震災の時にしばらくレッスンが休みになり,計画停電などの影響で料理が思うようにできなかった時はすっかり元気をなくされていたらしい.そんな時でも,「あの時はみんな元気がなかったから」と手に入る材料で簡単な料理を作り,真っ暗な中でキャンドルを灯し,ご近所を招待して食事会を開いたというから恐れ入る.
 私のクラスは日曜日ということもあり,全員キャリアウーマン,専業主婦は一人もいない.全員揃(そろ)う日はまずないが,出席者は大体八人から十人ほどでワイワイやっている.バリバリ働いている人が多く,話題は多方面に広がり情報が行き交う.知らない事の多いこと,無知を思い知らされる.
 大体の流れは,十時に集まり,それぞれ振り分けられた仕事を進める.途中,誰かが持ち寄ったお菓子でお茶をいただきながら作業を続ける.休日であり,皆ノンビリモード.手よりも口の動きの方が圧倒的に達者なため,肝心な手の動きは速くない.既に先生が作り終えていた料理も含め,大体八品から十品ほど作り,十二時過ぎに料理を仕上げ,全員で会食.至るところから「オイシー」「ワーイ」と子どものような歓喜の声が上がる.絶賛しながら食べる様子を見ている先生はとても幸せそう.その後,食器等を片付け十四時頃終了である.
 生徒の目的もいろいろで,「月一度,先生のおうちに美味しいブランチを食べに来ている(つまり,家では作る気ないから,お喋(しゃべ)りがメイン)」と公言している人,「(お喋りに夢中で)今日はここから“一歩も”動いてないわー」とのんきに話している人から,「自宅で全て復習して作っている.分からないことはすぐメールで先生に確認する(ずっと先生に張り付いて頑張っている)」真面目な人までさまざま.自由な雰囲気だ.先生も「みんなが美味しく食べてくれればそれでいいのよ」という大らかな考えのようだ.先生の人柄が素晴らしくて,私たちのクラスでも二十年以上続けている人も何人もいるし,口コミだけなのに月に十四クラス分も生徒が集まっている.
 六十代後半ともなると筋力が落ち,手足の動きが緩慢になったり,若い頃はやらなかった失敗をして自信をなくす人もいると思うが,先生を見ている限りこれまで五年間で一度も「もう,歳ですから」「鍋が重たくなりまして」とか「○○を買い忘れてしまって」などといった弱気な発言はない.動きには一切の無駄がなく,同時進行でテキパキ進めていく.
 ただひたすら料理を追究し,作り,もてなし,結果としてとても豊かで前向きな人生を送っているように思う.すごくエネルギッシュで魅力的.
 私も最初の頃は,そこそこ真面目にやっていたが,ここのところはお喋りの時間が多くなっている.舌と耳だけが肥えていっている状態である.『聡明な女は料理がうまい』は,はるかかなたである.

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