地道な実践と失敗を積み重ねて、
研究者に必要な判断力を養う
~基礎研究者 平 義樹先生~(前編)

今回は、長年、大学で基礎研究と教育に携わってこられた平先生に、これまでのキャリアや研究者としての苦労、医学教育に対する思いなどを伺いました。

地道な研究生活

藤根(以下、藤):平先生は基礎研究者として、出身大学の旭川医科大学で長く解剖学の教鞭を執られ、近年は高大連携活動*などの社会貢献もされています。ただ、私にとっては学生時代に所属していたサークルの顧問でもあるので、肩の力を抜いてざっくばらんにお話を伺いたいと思います。まず、先生はなぜ医学部を志したのでしょうか。

:実は、高校生になるまで医学部に進むつもりは全くありませんでした。ですが友人には医学部志望者が多く、高校1年生の時、理科の選択科目で化学と地学を選ぶと、皆に「医学部に行くなら生物だろう」と言われ、選択を変えさせられました。

それでも医学部に進むつもりはなかったのですが、高校3年生の時に父が病気をし、地元の旭川を離れるのが難しくなりました。旭川の外でも医学部なら許されるのではと思いましたが、試験の結果、旭川医大に進学することになりました。

それからの6年間は、父が亡くなったりしたものの、楽しい大学時代でした。同期に小児科志望が多かったこともあり、卒業後は私も小児科の臨床医になろうかと思っていました。

ただ、当時解剖学で流行していた定量形態学にも関心がありました。4年生から出入りしていた解剖学教室で基礎研究を続けるという進路も考えましたが、家に経済的余裕がなかったので難しいと思っていました。ですが卒業直前、助手の席が空くという話があり、それならばと決心しました。実は、数学が得意という理由で衛生学教室からも誘われていたのですが、数学や物理が好きなあまり、実験に積極的に取り組んでこなかったので、むしろ実験をしようと思い、解剖学を選びました。

:卒業後はどのような生活を送られたのでしょうか?

:最初はハムスターの松果体を研究しました。ハムスターは松果体の大きさに日内変動があるので、その細胞の大きさや細胞小器官の大きさを、電子顕微鏡を見て測定し続けました。これを3年間、ほぼ毎日。ただ、この地味な修行時代のおかげで自分の電子顕微鏡写真の見方のベースができたと思います。

その後、免疫染色という新しい技術を学ぶため徳島大学に国内留学し、卒後10年ほど経った頃、ラットの松果体に関する論文で論文博士を取得しました。

とにかく毎日、電子顕微鏡を覗いて、ブリーダーのごとく多くの動物を育てていましたね。

:私がお手伝いに伺ったこともありましたね。

:当時はお世話になりました(笑)。さて、論文博士を取って区切りがついた頃、新しい教授が就任します。それで研究の方向性ががらりと変わり、視床下部から分泌、ゴルジ体・小胞体と、焦点も移っていきました。それが今の研究にもつながっており、ここ何年かは神経細胞のゴルジの配列を研究しています。ただ、細胞生物学は理学系の研究者が強い分野なので、医学部で論文投稿の水準まで研究を進める難しさも感じています。

インタビュアーの藤根先生。

研究者・教員としての生き残り

:基礎研究を続けるうえで苦労したことはありますか?

:いくら強調しても足りないのは、大学の研究者・教員として生き残るためには、資金調達と業績が必須であるということです。高大連携活動を行うようになった経緯には、研究費の足しと業績にできないかとの目的もありました。しかし、実際に活動を始めるとそちらが忙しく、本業の研究はあまり進みませんでした。特に、平成25~28年度に手掛けた、高校の先生を集めて合宿を行うイベントは資金的にも最大規模で、楽しかった一方で非常に忙しかったですね。

それがひと段落した頃、医学科から看護学科に移ることになり、のんびり研究できるかと思いましたが、こちらはこちらで教育が忙しく、やはり研究は思うようには進みません。医学の中でも解剖学はまだ研究者の教育活動が認められる分野ですが、資金を得て研究を進め、業績を上げることが重要なのは同じです。私もできることを必死にやり、何とか細々と研究を進めてきました。本末転倒になることもありましたが、経験としては悪くなかったと思っています。

*高大連携活動…平先生が、文部科学省の「サイエンス・パートナーシップ・プロジェクト(SPP)」事業において、生徒の科学技術、理科・数学に対する興味関心と好奇心を育成することを目的とし、地域の高等学校と連携して行った学習活動。

 

地道な実践と失敗を積み重ねて、
研究者に必要な判断力を養う
~基礎研究者 平 義樹先生~(後編)

研究者の価値は判断する力

:教育というと、先生の授業を懐かしく思い出します。長らく医学教育に携わってこられた先生の教育に対するお考えをお聞かせください。

:これは私の持論ですが、私自身が解剖実習を経験した当時のことを思い返すと、マクロ解剖学は実習中心が良いと思います。講義より実習を中心に行い、基本を身につけるのです。

高大連携活動においても、ベーシックな部分を大事にしました。例えば、電子顕微鏡の写真を貼り合わせて大きな写真を作る作業を生徒にさせ、その過程で細胞の働きを調べさせることで、理解を促してきました。

大切なのは基本を体に染み込ませることです。とにかくまずはひたすら見る。それを反復するうちに、物事を見分ける能力が養われていくのです。これは私が昔、毎日電子顕微鏡を見てきた経験とも重なります。

:「みる」という点では、患者さんを診て経験を積む臨床とも重なりますね。その意味では、効率重視の教育は望ましくないのでしょうか。

:教育をプログラム化すること自体は悪いことではありません。問題はその後、どのように経験を積むかです。例えば、研究には精度の問題があります。最先端の研究ほど精度が高いかというと、必ずしもそうではありません。だからこそ、出てきた結果に対して「おかしい点はないか?」と批判的に思考できることが大事です。結果は正しいのか、本当に意味があるのか、判断するのは人間です。それを判断できるという点に、研究者の価値があると思います。

このような判断力は教育だけでは養えず、経験が必要です。若いうちは失敗しても良いのです。様々な経験をし、失敗を積み重ねることで、判断力が身につくのだと思います。

:先生の今後の展望をお聞かせください。

:定年まであと7年ほどですから、何とか時間を作って、成果が出ても出なくても、自分の好きな研究をしたいです。

若い人の中には、今後何らかの事情で「こうせざるを得ない」という境遇に陥る人もいるかもしれません。私自身、何もかもうまくいった華やかな研究生活というわけではありませんでした。けれど、たとえ思い通りにならなくても、まずは実践してみてほしいです。失敗も経験になりますから、何も無駄なことはありませんよ。

:たとえ華やかでなくても、経験に裏付けられた先生の科学に対する真摯な姿勢は、医学の発展に不可欠だと感じました。本日はありがとうございました。

 

 

 

語り手
平(ひら) 義樹先生
旭川医科大学看護学科形態機能学 准教授

聞き手
藤根 美穂先生
日本医師会男女共同参画委員会委員(取材当時)
岩見沢市立総合病院

No.34