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平成28年(2016年)3月5日(土) / 南から北から / 日医ニュース

ひなまつり

 三月三日は上巳(じょうし)の節句または桃の節句と言われた五節句の一つで江戸時代までは祝日であったそうである。
 ひな祭りの由来や歴史は周知されるところであるが、少し温習してみた。古くは5世紀にさかのぼり、宮中では流水に杯を浮かべて詩を詠んで不祥を除く"曲水の宴"があり、一方では身代わりとなるヒトガタ(人形)をおはらいの道具として水に流す風習(流しびな)があった。
 また中国にも3世紀頃から類似した風習があり、それが平安時代に伝わって日本の風習と習合し、宮中での上巳のはらい行事から節句に推移していった。この節句は公家や武家の行事であったが、江戸元禄時代には庶民に広く浸透し発展を遂げた。女の子の遊び道具でもある人形は、紙製から衣装を着せた人形となり、官女やはやし、生活道具などが加わり、豪華に飾って楽しむおひな様となったのである。
 内裏びなは元々天皇を意味し一体であったが、十二単をまとった皇后が加わり男女一対の人形となった。日本では座が左上位のため向かって右が男びなであったのが、昭和天皇が欧米に倣って右上位に座をとるようになり、男びなも向って左へ置かれるようになった。ただ、左大臣と右大臣の座は昔のままである。
 ひな祭りに食されるごちそうには、昔女の子が野外へ遊びに行く時に人形と一緒に持参したひなあられ、3色に健康等の願いを込めた菱餅、夫婦円満などを願うはまぐりの吸い物、華やかなちらし寿司などがあり、それぞれにいくつもの子細がある。
 欠かせないのが白酒で桃に由縁がある。昔、桃には魔除けの霊力があるとされ、そして百(百歳)に通ずるところから長寿の願いも込め、桃の花を酒に入れ桃酒として飲まれていた(桃の節句)。この桃酒が室町の頃から次第に白酒へと変化していったのである。
 私の兄弟は男ばかりだが、我々の小さい頃、母が嫁入り道具で持ってきたひな人形が床の間に飾られていた。当時のおもちゃは粗末なものだったので、格別なおもちゃとして目に映った。正に精巧なミニチュア模型である。特に小道具に強い関心があり、三人官女の持つ銚子や五人ばやしの笛や太鼓、ままごとのできるお膳など、中でも随身の持つ刀と弓矢が一番のお気に入りであった。何度も手に取って見た記憶がある。年々傷んでいったようで、記憶の最後では、ぼんぼりが壊れ、桜と橘の破壊された柵が紐でくくられていた。
 現在わが家では、子ども達は結婚し、生まれて来た孫達は男ばかりで、主役となる女の子がおらず、ひな人形は仕舞ったままである。今年もお内裏様は掛軸で勘弁してもらい、女の子とは言い難い妻と二人で、ひなあられとにごり酒でささやかなひな祭りをしている。

広島県 広島市医師会だより No.587より

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