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平成28年(2016年)6月20日(月) / 南から北から / 日医ニュース

夏休み前のにおい

 4月に畳を張り替えた。新しい畳は本当に良い香りがする。その良い香りを味わっていた時に、ふと、何とも言えない懐かしい感覚に包まれた。何かしら、この心地良い感じは......。そしてはたと思い至った。そうだ、これは夏休みの前のにおいだ。
 私が小さい頃、近所のほとんどの家でい草を作っていた。冬に田植えされたい草は春になるとぐんぐんと大きくなり、夏には中学生の背丈ほどになる。い草は深緑の長い草で、折ると中に白いスポンジが詰まっている。その田んぼは風が吹くとしゃらしゃらと音を立て、ふかふかの緑のふとんのように気持ちよさそうだった。
 やがて7月の半ばの暑い日にい草は刈られ、泥のプールに漬けられ、天日干しにされる。この時、い草は道にまで広がる。私たちはこのい草の上を歩いて通学した。それは本当に気持ちがよかった。干されて熱くなったい草は、ひと足踏む度に熱気のある土っぽい草のにおいを送ってくる。それはもうすぐ夏休みになる前のにおいだった。
 母に聞いてみると、い草栽培は戦後、急にみんなが始めるようになったそうだ。各家にある織機で畳表を織り、それを売って戦後の苦しい生活の中での貴重な現金収入としていたそうだ。
 ウィキペディアで調べてみるとそのとおりだった。岡山では明治時代初期からい草作りは盛んだったが、戦後から昭和45年にかけては全国のい草のほとんどは岡山産だったそうだ。私が育ったのは、岡山のい草生産が全盛期を迎え、その後急速に減少していた頃だったようだ。確かに稲刈りで忙しかった思い出はあるが、い草刈りで忙しかったという記憶はあまりないのだ。
 祖母は手先が器用だったので織り目のそろったきれいな畳表を織り人気があった、と母から教えてもらった。家の土間に古い木製の織機はあったが、祖母がそれを使って織っていた姿を私は思い出せないのだ。また、い草の田んぼの緑のふとんは黄緑色の稲田と交互に広がっていた。それは美しい格子模様になっていたが、今思えば、それはい草作りが稲作に移っていく過渡期の様子だったのかも知れない。
 夏休み前のにおい。このすぐ後には家で待ってくれている祖母がいて、晩には父母も帰って来てみんなそろっての夕食が待っていた。弟と順番に学校での出来事を楽しく伝え、みんなでいろんな話をした。それを繰り返していたら夏休みになった。
 あのにおいを味わったのは遠い昔のような、つい最近のような。私を慈しみ育ててくれた家族を思う。もう一度、あの場所で、会いたい。だからこのにおいは、こんなにも愛しく、切なく、心に迫ってくるのかも知れない。

東京都 玉医ニュース No.600より

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