日医ニュース 第925号(平成12年3月20日)

日本医師会
会員の倫理向上に関する検討委員会(答申)

医の倫理綱領・医の倫理綱領注釈
平成12年2月2日

医の倫理綱領

 医学および医療は,病める人の治療はもとより,人びとの健康の維持もしくは増進を図るもので,医師は責任の重大性を認識し,人類愛を基にすべての人に奉仕するものである.

  1. 医師は生涯学習の精神を保ち,つねに医学の知識と技術の習得に努めるとともに,その進歩・発展に尽くす.
  2. 医師はこの職業の尊厳と責任を自覚し,教養を深め,人格を高めるように心掛ける.
  3. 医師は医療を受ける人びとの人格を尊重し,やさしい心で接するとともに,医療内容についてよく説明し,信頼を得るように努める.
  4. 医師は互いに尊敬し,医療関係者と協力して医療に尽くす.
  5. 医師は医療の公共性を重んじ,医療を通じて社会の発展に尽くすとともに,法規範の遵守および法秩序の形成に努める.
  6. 医師は医業にあたって営利を目的としない.

医の倫理綱領注釈

医学および医療は,病める人の治療はもとより,人びとの健康の維持もしくは増進を図るもので,医師は責任の重大性を認識し,人類愛を基にすべての人に奉仕するものである.

 医師のなすべきことを考える時,倫理(ethics)と道徳(morality)という言葉がつねに伴う.ethicsはギリシア語のthosに,moralityはラテン語のmosに由来し,本来これらの言葉はともに習慣や品性を意味した.また倫理という言葉は,道徳などの原理を検証し,議論することを想定して使われることもあるが,ここでは両者は同義語として,現在の世界の趨勢に従って「倫理」(ethics)という言葉を使用し,医師のなすべきことを示した.

1.医療の目的
 医療は医(科)学の実践であり,医(科)学に基づいたものでなければならず,近年,根拠に基づく医療(Evidence-Based Medicine;EBM)が強調されている.医師は医学的根拠のない医療,とくにいわゆるえせ医療(quack medicine)に手を貸すことを厳に慎むべきである.
 医療の目的は,患者の治療と,人びとの健康の維持もしくは増進(病気の予防を含む)とされる.患者の治療はともかくとして,健康とは何かということになると,その答えは難しい.
 1948年,世界保健機関(WHO)は「健康とは,身体的,精神的そして社会的にあまねく安寧な(完全に良い)状態にあることであって,単に病気がないとか弱くないとかいうことではない」(Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity)とする『世界保健機関憲章』を示している.しかし,「身体的,精神的そして社会的にあまねく安寧な(完全に良い)状態にあること」となると,その判断は難しく,また今日では健康と疾病との境界がますます不明確になってきており,健康の基準を明確に示すことは困難であるといえよう.
 健康の維持はともかくとして,健康の増進の面では例えばスポーツ選手の体力増強や,また美容整形,性転換手術など,どこまでが医師のなすべきことか,倫理的,法律的,社会的に問題となることもある.
 ともあれ,医師は人びとの生命と健康に関与する業を行うことから,他の職種に比べてより重大な責任があるというべきで,医師はこの職業の尊厳と重要さを十分に自覚することが大切である.

2.医療は人類愛に基づく行為である
 医療の本質は,人類愛に基づく行為である.これは自分の利益のためにするものではなく,他人の利益のために行うこと,すなわち奉仕であることを肝に銘じておくことが必要である.
 したがって,医療行為は人類愛に基づく自発的行為で,医師は良心と医の倫理に従って医業を行うものである.
 また,相手の身分や貧富の差,国籍,宗教などに左右されることなく,すべての人の生命の尊厳を尊重し,博愛と奉仕の精神をもって医療に尽くさねばならない.しかし,医療資源には限度があるため,すべての人に平等に医療を行うことは必ずしも容易でない.このような場合,医師は医学的判断に基づき公平な対応をするよう努めるべきである.

3.医の倫理の変遷
 医の本質は人類愛に基づく行為であることに変わりはないが,20世紀後半になると,社会環境の変化や医学の進歩・発展などにより,とくに医師と患者あるいは一般の人びととの間の人間関係についての考え方に大きな変化が生じ,医の倫理が見直されるようになった.
 そもそも医の倫理に関しては,これまで,西洋では古代ギリシアのヒポクラテス学派の考えが踏襲されてきており,東洋では伝統的に「医は仁術」とされてきた.このように,洋の東西を問わず,医療については専門家である医師に任せること,そして医師は親が子を思う気持ちで誠意をもって患者に尽くすこと(パターナリズム〈父権主義〉,paternalism)が強調され,医師と患者との間にそれなりの信頼関係による医療が成立していた.
 しかし,20世紀半ばになると,医学および医療が急速に進歩し,脳死や臓器移植などの高度かつ複雑な医療問題が登場してきた.その一方で,医療情報の普及により医療に対する一般の人たちの関心が増大し,さらに近代民主主義国家の発展,医療保険制度の普及に伴い,国民の医療を受ける権利が主張されるようになってきた.
 また,ニュールンベルグ裁判で第二次世界大戦中に行われたナチスの非人道的行為が明らかにされたのを受けて,第18回世界医師会総会(1964)は,ヒトを対象とする医生物学的研究における被験者の人権擁護を目的として『ヘルシンキ宣言』を採択した.さらに,1975年の東京総会においてその改正案を採択し,インフォームド・コンセント(informed consent)が不可欠であることを宣言した.この宣言はその後数回にわたり改定されているが,医の倫理として広く各国で承認されている.
 1960年代後半になると,世界的公民権運動の高まりのなか,アメリカを中心に医療における患者の人権擁護の立場から,医の倫理として患者の自己決定権とインフォームド・コンセントの尊重が重視されるようになり,これは法理のうえでも妥当なものとされるようになった.医生物学的研究のみならず,医療においてもインフォームド・コンセントが不可欠となってきたのである.
 この考えは,1980年代後半頃からわが国にも波及,浸透し,社会に定着してきている.要するに,これまでの考えのように,患者を被護者として取り扱うのではなく,医師と患者の立場は人間としては対等であり,患者の意思を尊重しようとするもので,これまでのパターナリズムに基づく医療が考え直されるようになった.そして,この考えは医の倫理としてだけではなく,とくに法理のうえでも重視され,医師の間にも急速に広がってきた.
 しかしこれは,個人主義を基盤とする西洋型の民主主義社会で起こってきた考え方であり,わが国は欧米とは異なった社会状況にあることから,わが国に適したインフォームド・コンセントの構築が求められる.すなわち,患者の人権擁護そのものに異存はないとしても,むしろ医師と患者との間のより良い人間関係や信頼関係を築くうえで,インフォームド・コンセントは大切なものであると考えるべきである.(第II次生命倫理懇談会:「説明と同意」についての報告)
 わが国では1997年の『医療法』の改正により,インフォームド・コンセントが医療法上の医師の努力義務として明記された.上記のように,われわれ医師は,これを医師と患者との間の信頼関係とより良い医療環境を築くうえで大切な倫理上の責務と解すべきである.権利・義務関係を強調することで医師と患者との間の信頼関係が薄れ,その人間関係が形式的で冷たいものにならないように注意すべきである.ともあれ,医療者と患者との間の共感,触れ合いの気持ち,信頼感といった感情も重要なものであることを心すべきである.
 また,患者の自己決定権とインフォームド・コンセントの尊重という考えは,20世紀後半に発展してきた先端医療を支える大きな力となったことも確かであり,脳死,臓器移植,遺伝子治療,さらに尊厳死,安楽死といった問題の解決の倫理的基盤をなしてきたことは特筆されよう.
 しかし,最近は非配偶者間の体外受精,男女産み分け,代理母,いわゆるクローン人間の作製など,さまざまな生殖医療やその他の高度医療技術が発達した結果,本人のインフォームド・コンセントがあっても,果たして倫理的に許容しうるのかという問題が提起されている.このような高度医療技術の制御に関しては,医師もしくは研究者個人の判断や,医師集団の自己制御のみならず,法律あるいは経済的,社会的制御といった多面的な検討が大切であり,難しい問題となっている.(第I次生命倫理懇談会:「男女産み分け」に関する報告/第I次生命倫理懇談会:「高度医療技術とその制御」についての報告)


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