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令和4年(2022年)11月20日(日) / 南から北から / 日医ニュース

スズメもカラスも

 日本では最近、ツバメやスズメがあまり見掛けられなくなったと言われており、私もそのように感じている。
 先年、バルカン半島の北西部でアドリア海に面しているクロアチアを訪れたことがあった。その時はバスで数日間にわたって国内を移動(約1340キロメートル)したのだが、ほとんど鳥類には出合わなかったし、鳴き声もめったに耳にすることが無かった。ただアドリア海に面した海岸で一度海鳥を見たのと、トロギールの城門近くの公園で美声を囀(さえず)る黒色の小鳥に出合ったのみであった。その時は辺りに尋ねる人も無く、後日調べてみると「クロウタドリ」というヨーロッパ3鳴鳥の一つとも言われている小鳥であった。
 この国では旧ユーゴスラビアからの苛烈な独立戦争(1991~1995年)を闘って間も無い時期だったのが関係しているのかも知れないと、その時は思ったのであった。広い素晴らしい大自然の中で空飛ぶ鳥の影も見えず、小鳥の囀りさえ耳に届かず、夏でも薄ら寒いようなその静寂は、過日見た映画、グレゴリー・ペック主演の「渚にて」のように、核戦争で人類が滅亡した後の地球を彷彿(ほうふつ)とさせて淋しいものであった。
 その後、日本に帰ってからはスズメでもカラスでもそれが目に留まると「いるだけでも儲(もう)けもの」と思って過ごしている。
 ところで、私は田舎育ちなのだが、子どもの頃にはスズメはよく見掛ける小鳥で、見ない日は無いというほどであった。屋根に登って瓦の隙間に手を入れて、斑点のある小さなスズメの卵を取ったり、まだ毛の生え揃わない雛を取ったりしていた。そして、地面にザルを伏せて短い棒でザルの一方を上げて、ザルの下に米を少しまいておくと、スズメが米を食べにザルの下に入る。その時に棒に付けておいた紐を引いてスズメを捕まえたりと悪さをしていた。
 当時はこれほどまでにスズメは辺りに溢れていたのであった。最近ではそのスズメの鳴き声が聞こえる日は数少なくなってしまっている。スズメは人間の住環境や生活様式の変化等に付いていけなくて減少したとも言われている。
 やはり私が子どもの頃にはカラスは真っ黒で、鳴き声も良くなくて不吉な鳥と聞かされて信じていた。カラスが鳴くと死人が出るなどとも言われ、少し恐れてもいた。私の実家の近くにはお寺があって、そこに墓もあり、葬式があると団子やお菓子が供えられるので、カラスはそれを目当てに集まって鳴き交わしていたのではないかと大人になった今では思っている。実家から少し離れた所に3~4歳年長の人がいて、その家でカラスを飼っていたことがあって、時々見にいったりしていた。そのカラスは風切り羽根が何本か切られていて遠くへは飛べないようにされていたようで、人懐こくピョン、ピョンと辺りを跳び回っていたのが思い出される。
 また、カラスは利口だとも言われている。一般に小鳥は虫を食べる種類や、木の種子を食べる種類など、おおよそ食べ物は決まっている。そして、その目的に沿った知恵が発達しているという。しかし、カラスは雑食性であり、昆虫の事や、木の実の事、そして腐肉、残飯の事、等々について広く知っていて、その分、他の小鳥達とは異なって脳が発達しているのだとも言われている。これが彼らが現在でも数を減らしていない理由なのかも知れない。
 現在の私の周囲を見るとスズメやツバメは極端に減少していると思える。その代わりにカラスやヒヨドリ等は見掛けることが多くなり、ムクドリなどは秋(今では夏でも)になると大挙して飛来し、町中が糞で汚されて大騒ぎになっている。これは人間が山の森を切り払ってしまったためとも言われている。人類の増加と生活様式の変化等に関係してか自然も変化し、大雨が多くなったり、大きな台風が次々と襲来したりして被害が出ている。これと同様に鳥達にもじわじわと変化が押し寄せているように思われる。そんな中ででき得る限り、今、出合える彼らを慈しみたいと思う。しかし、カラスはやっぱりうっとうしい。

福島県 会津医師会報 688号より

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