齢(よわい)40代半ばになり、自分が「オジサンになった」と感じる瞬間がいくつかある。
例えば外来で子ども達が最近流行っている漫画を教えてくれる。若者文化を理解するために読まなくてはと思う一方で、本当はあらすじが分かっていてかつ確実におもしろい"ワンピース"を読み返した方が楽だという思いが生じてしまう(最近のワンピースも複雑でストーリーについていけないのだが......)。そう、新しいことが面倒で受け付けなくなってしまったのだ。
その一つが昨今の潮流である生成AIである。確実に生成AIの勢力は我々の業界に押し寄せていると実感する。特に若い患者は自身の症状をChatGPTなど生成AIで評価し、自分は発達障害やうつ病ではないかと疑い受診してくる。なんだったら「今の症状にはこの薬が合うみたいです」とご丁寧に教えてくれる方もいる。
冒頭で述べたように自分は新たなトレンドに苦手意識があるし、生成AIの何とも機械的で無機質な回答にも少し抵抗感がある。
ただコロナ禍を経て、ネットに親和性の高い現代の若者にとって生成AIは身近で日常的なツールである。最近の研究では、熟練した精神科医と同等以上に生成AIによる診断は優れている、という報告がある。ビッグデータを基にしたAIの診断は更に私達精神科医に取って代わるのかも知れないと戦々恐々なのである。
実は生成AIについて気掛かりなのは更に別の点なのだ。
あるうつ病で通院している患者の発言である。「前回の受診から調子が良くなかったのですが、先生の予約までしばらく日にちがあったのでChatGPTに相談をしていました。的確に助言してくれて安心しました」。この言葉は自分にとって衝撃であり医師としての矜持(きょうじ)を打ち砕かれる思いであった。極端に言えば患者は主治医である自分よりも生成AIを頼ったのである。試しに自分で、ある生成AIに"気持ちが落ち込んで眠れません"と打ち込んでみた(本当にちょっと落ち込んだので)。
生成AIのお言葉(一部省略):つらい気持ちの中、お話しして下さってありがとうございます。無理に元気にならなくていいので「ただここにいる」ことを大事にして下さい。少しずつ言葉にすることで、心の重さが少し軽くなることがあります。ここにいますので、焦らず、安心して話して下さい。
なるほど、癒される。安心する。生成AIはまず患者が相談できたこと自体を評価してくれる。気持ちを受容して無理せず休養することを勧める。その上で気持ちを言語化することを促し、患者の対話の相手としていつもそばにいることを約束してくれる。何とも非の打ちどころのない教科書どおりの応対である。生成AIは耳触りの良い言葉で24時間、無限に患者の不安を受け止めてくれるのだ。
ただ!......である。どうしてもこのやりとりに一抹の違和感を感じてしまう。患者には休養の先に苦手な学校やストレスフルな職場が待っているのが現実である。患者は語りたくない事柄には黙して、見たくない現実からは目を背けようとする。生成AIはバーチャルな安心の場を提供するが、過酷な現実には切り込まない。言うなれば患者のニーズだけを満たす一方的な依存相手なのである。
精神科医はただ患者の話を聞くだけではない。患者を受容しながらも、時に患者の秘密に触れ、時に患者の抵抗に臆せず語りを促すことが求められる。そういった診察室におけるリアルなやり取りが患者のレジリエンスを高め、いつかは語りの場を日常生活に移し精神医療から卒業していくものである。このように患者の「個の成長」を促すことが精神科医の仕事であると小医は思っている。もちろん並行して家族や支援者に協力や理解を得る作業も必要となる。
現状、生成AIにそこまでは期待できない。そもそも患者のこころの問題に深く介入するにはそれなりの治療者の覚悟と責任が伴う。現時点では生成AIが精神科医に取って代わることはあり得ないだろう。
しかし技術は日進月歩である。生成AIを活用したセラピーチャットボットの進化や認知行動療法のアプリ開発など、その発展は目覚ましい。例えばこの10年の間に囲碁や将棋でAIがプロ棋士を凌駕(りょうが)したように、生成AIが精神科医を押しのけて診断から精神療法まで担う日がそう遠くない未来にやって来るかも知れない。
いつか来るその時代のため、オジサン精神科医は生成AIを毛嫌いせずに良き診療ツールの一つとして使いこなせるようにならないといけない。実際に生成AIを用いて会議の資料作成やプレゼンテーションの準備をすると......誠に便利なのである!
子どもが勧めてくれた少年ジャンプの新連載を読みながら、重い腰を上げて生成AIをどのように日常診療に活かしていくか向き合っていく必要があると、日々考えている。



