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令和6年(2024年)4月5日(金) / 南から北から / 日医ニュース

ある夜の往診

 施設で看取った患者さんに絡んだ話である。
 夜中の12時頃、訪問看護師から電話が入った。
 「〇〇さんの呼吸が止まりました」
 「分かりました。すぐ行きます」
 施設に着いたら当直と思われる中年女性が迎えてくれた。「佐藤先生、私、先生と初対面ではないんですよ」「実は父を先生に看取ってもらいました。あの時はお世話になりました」。名前を言われても思い出せず、「それは、どうも」とお茶を濁した。
 患者さんを看取ってから駐車場の車まで戻る間、その女性が送ってくれた。「先生には父のために歌まで歌って頂いて......」。その一言で記憶がよみがえった。「思い出しました。肝臓の悪い方でしたね」。
 訪問時に、その患者さんを元気づけようと歌を歌ったことがあった。曲は「春の唄」という、春の喜びがあふれた明るい歌だった。今ではほとんど歌われることはないが、消えて欲しくない名曲である。
 在宅医療が始まって程なく、状態が悪化して入院し、やがて他界された。線香をあげにおじゃました時、その女性(患者さんの次女)に「父は入院後にたまたま、あの歌がNHKのテレビで歌われ『先生が歌った歌だ』ととても喜んでいました」と言われた。私のささやかな試みが予想以上の結果をもたらし、うれしく思ったものだった。
 在宅医療を本格的に始めて約25年経った。開業してからでも14年経った。以前診た人の記憶は新しい患者さんの記憶に上書きされて消えていく。家族から感謝の言葉を頂いても、思い出せないと気恥ずかしくなる。歌が思い出しの伝手(つて)になるとは意外であった。
 その次女には更に「先生には腹話術の人形を見せてあげると言われたのですが、かないませんでした」と言われた。40代に腹話術の勉強をして、診療に役立てようとしたことがあった。腹話術とはとても言えないレベルのものだったが、人形を操作するだけでも、みんなに喜ばれた。
 患者さんの所で歌を歌うことは、患者さんとコミュニケーションが取れないことから苦し紛れに始めたことだった。開業してからは、歌ったのは1~2回だろう。コミュニケーション能力が向上したためかも知れないが、やはり診療の場で、無伴奏で歌うのは勇気がいる。だからこそ、患者さん側と思わぬ絆が生まれるのかも知れないと思いながら帰路に就いた。

宮城県 石巻市医師会報 NO.321より

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