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令和7年(2025年)9月20日(土) / 南から北から / 日医ニュース

初登山

 台風一過の日曜、朝食時に中学2年の息子が「今から鰐塚(わにつか)山に登る」と突然言い出した。鰐塚山は宮崎市の家から30キロメートル程南西にある。登山口まで公共交通機関は無い。とても今日1日で登って下りることは無理である。しかも台風が通り過ぎたばかりだ。父は「バイクで一緒に行こう」と応じた。
 田野町からでこぼこ道を父子の乗ったバイクは進んでいく。周りは倒れた稲穂、雑草である。登山口の「うつら谷」に着いた。バイクを置いて、息子が先に登山道を登っていく。晴れていた空は次第に曇っていく。
 雑木林に入ると薄暗くなった。水たまりの山道を登り始めて2時間で山頂に着いた。霧雨を含んだ分厚い雲が立ち込めて桜島はもちろん見えない。既に昼は過ぎている。母が作った大きなおにぎりを食べ、水筒のお茶を飲んだ。すぐにもと来た道を下りていく。しばらく進むと何か違う。道が狭くなっていき、ついに道は無くなった。間違えた。息子は下っていけば登山道に出るだろうと、雑草をかき分けて進む。すると突然滝の上に出た。迂回(うかい)して滝壺(つぼ)に下りた。それから先は砂利の沢になっていた。沢を転びながら進むとその先は藪(やぶ)になった。四方を高い山が囲んでいる。更に下りていくと見上げる程の大きな数個の岩の下に水は流れ込んでいた。
 どうしたらいいのだろう? 顔を見合わせた。息子は「頂上に戻ろう」と、もと来た沢を登っていく。木に絡みついた紫色のアケビが見えた。土産に持ち帰る余裕は無い。道なき道を尾根つたいに登っていった。
 1時間程で登山道に出た。そこから東北の方角に下りていった。1時間程で登山口の「うつら谷」に戻った。黒いバイクがちょこんとあった。どす黒い空から雨がぽつぽつ降り始めた。父はバイクに跨(またが)り、息子は後ろから両手を回し父に抱きついた。
 父は最近話をしなくなった息子と今日話したかった。しかし息子は自分で判断して行動した。口を挟む暇は無かった。判断に誤りはあっても自分で修正した。将来何があっても息子は自分で判断して目的を達成するだろう。それがとてもうれしかった。しかし父の助けが要らなくなった息子を思うと寂しかった。相反する感情に父の顔は涙と打ち付ける雨でびしょ濡れになり前が見えにくかった。

福岡県 福岡市医報 NO.697より

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