withコロナ時代の医学教育
~コロナ禍での経験を未来につなげる~
Interview 田中 雄二郎先生 東京医科歯科大学 学長(前編)
新型コロナウイルス感染症の流行は、医学教育にも大きな影響を与えています。医学生の皆さんのなかにも、医師になるための十分な教育が受けられるのかと不安に思っている人は多いのではないでしょうか。
今回は、東京医科歯科大学の田中雄二郎学長にお話を伺いました。コロナ患者を積極的に受け入れている病院として、臨床研修にどのような影響があり、どのように研修医を支援していくべきか、また長く学内外の医学教育に関わってきた経験を踏まえたこれからの医学教育の見通しなどについてお話しいただきました。
田中 雄二郎先生
東京医科歯科大学 学長
コロナの影響と教育的意義
――東京医科歯科大学は2020年4月以降、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)の患者を積極的に受け入れてきました。臨床研修を行ううえで、何か影響はありましたか?
田中(以下、田):本学では、感染予防の講習やPPEの着脱トレーニング等を徹底したうえで、臨床研修医も積極的にコロナ患者の診療にあたっています。年度の初め頃は特に積極的にコロナ患者を受け入れていたため、コロナ以外の救急患者と一般病棟の患者数が減り、研修を予定通り進めることが困難でした。しかし現在*1は一般病棟の患者数も例年の8割ほどまで回復してきたため、救急患者と一般病棟診療の経験を十分に補うようなローテーションに変更し、症例が不足する事態を防いでいます。むしろ今の研修医は、通常の研修内容に加え、新興感染症患者を診る経験も積めたことで、例年より濃密な研修を受けることができているとも言えるのではないでしょうか。
――コロナ患者を積極的に受け入れることで、教育活動が滞るという懸念はありましたか?
田:受け入れないことの方が教育的に悪影響だと感じていました。なぜなら本学は、「知と癒しの匠を創造し、人々の幸福に貢献する」という理念を掲げているからです。
特に2020年4月頃はコロナが国の最大の関心事で、社会に恐怖が蔓延していました。感染者が増加する東京の地で、人工呼吸器やECMOなど高度な設備を整えている本学がコロナ患者を積極的に受け入れることは、公的機関として果たすべき当然の使命です。これに背を向けることは、「人々の幸福に貢献する」という理念に反するでしょう。一般診療の経験が他の世代と比べて遅れを取ったとしても、それはあとから取り戻せる。しかし、大学として、医療機関として、理念に背いた姿を医学生や研修医に一度でも見せてしまうと取り返しがつかない。そう考えたうえでの判断でした。
研修医の不安を取り除く
――研修医にコロナ疑い患者の診療を任せない病院もあると聞きます。一般診療の患者数も減少するなか、「十分な研修が受けられていない」と不安に思う研修医も多いと思います。この世代に、今後どのような支援が必要とお考えですか?
田:長い時間をかけて補っていくしかないと思います。シミュレーション教育など様々な方法で工夫はできても、どうしても従来通りにはいかない部分は出てきます。我々ができる最も重要なサポートは、「他の世代と比べてこの世代に足りない部分はどこか」を、はっきりさせることです。それが把握できれば、臨床実習で学べなかったことは臨床研修で、臨床研修で学べなかったことは専門研修でと、後からしっかり補っていくことが可能となるからです。
その手段として、EPOC*2などが活用できると考えています。2020年4月から本格運用を開始した新EPOC(EPOC2)では、スマートフォンから簡単に研修の評価や経験症例・疾患の登録ができるようになり、現在全国の研修医の9割が利用しています。研修到達度の全国平均を3か月ごとに集計・公開する機能もあり、指導医は研修医の研修の進捗状況を客観的に確認することができます。こうしたシステムも利用しながら、研修の足りていない部分をあとから取り戻せる仕組みを作りたいと考えています。
――研修医たちが、現在のような環境の変化を肯定的に捉えられるようになるために、メッセージをお願いいたします。
田:確かに、研修や実習の機会が減ったことは否定できません。しかし、この世代でコロナ関連の診療に少しでも関わることがあるとしたら、その経験は上の世代にはないものです。特に外科系など、コロナに関わる機会が少ない科の医師たちと比べたら、大きなアドバンテージになるのではないでしょうか。
コロナのような新興感染症は今後も一定のサイクルで発生するだろうと言われています。臨床研修という、医療のフロントラインで広く学べる立場にある時に、コロナ診療に関わる、あるいはパンデミックの過程を目撃するということだけでも、非常に貴重な経験になるはずです。将来どの専門分野に進もうと、未来の医療を担う立場の皆さんにとって、この経験はきっと大いに活きることでしょう。
*1 この取材は2020年11月上旬に行いました。
*2 EPOC…オンライン臨床教育評価システム( E-POrtfolio of Clinical training)
withコロナ時代の医学教育
~コロナ禍での経験を未来につなげる~
Interview 田中 雄二郎先生 東京医科歯科大学 学長(後編)
教育は未来への贈り物
――田中先生は、学内外で医学教育に深く関わられた後に学長に就任されました。医学教育への思いや、学長としての目標をお聞かせください。
田:私はこれまで「教育は未来への贈り物だ」と思って医学教育に携わってきました。また、本学に30年以上在籍していることから、「東京医科歯科大学を通じて社会に貢献しよう」という思いも抱いてきました。
こうした思いで医学教育に関わってきた経験を、学長として学内全体に広げることは意味があると思っています。大学自体が未来の社会に貢献する組織ですし、大学病院には今だけではなく、未来に続くような研究や診療をする役目があるからです。
――先生は教育のシステム作りを重視しているそうですね。
田:はい。本学は2002年頃からハーバード大との医学教育提携を行っていますが、そこで学んだのが「教育はシステムで行う」ということです。ハーバードでは、「人が一人代われば教育もガラッと変わってしまうような体制は間違いで、システムを通じて教員や学生の意識を改革すべきだ」と考えるのです。
私もこれまで学内の教育委員長やセンター長を経験するなかで、「どういう学び合いのシステムを作るか」を常に念頭に置いてきました。ただ、どれほど工夫して作り込んでも、実際に運用・検証してみないとそのメリット・デメリットはわかりません。それには現場の声が不可欠ですが、上の立場になると現場の声を直接聴く機会が減ってしまうため、どうやって現場の声を汲み上げるかには腐心してきました。幸い、かつての教え子たちが今は若手を教育する立場になっており、彼らから貴重な情報を得ることができています。
多様な出会いの機会を作る
――先生が目指す理想の教育システムとは何でしょうか。
田:自由で閉塞感のないシステムですね。教育に限らず、縛りすぎて閉塞感の漂うようなシステムは結局うまくいきません。重要なのは、システムを作る側が、最も大切なメッセージを明確に打ち出し、守り抜いてみせることです。それ以外はなるべく現場の裁量に任せられるようなシステムを目指してきましたし、これからも目指しています。
――コロナ禍を受け、今後医学生の学びはどう変化していくのでしょうか?
田:将来どのように社会が変化していくかは不透明ですから、自分の中にいかに多様な引き出しを持つかが鍵になります。引き出しを増やすため、若い人たちの視野を広げる機会を確保することが重要だと思います。
その点、本学のような単科大学は総合大学と比べ不利な面もあるかもしれません。しかし、オンライン授業が一般的となった今は状況が変わってきています。四大学連合*3が提供する相互教育研究プログラムも受講しやすくなりました。また、時差の少ないアジアの大学間で、オンラインでのPBLチュートリアルやグループディスカッションをする機会も確保できています。
私は毎年新入生たちに、「君たちは多様性の幹細胞だ」と話をします。幹細胞は色々な可能性を秘めていて、今後どう分化していくかは誰にもわかりません。彼らが、自分自身も気付かなかったような可能性を見出し多彩に分化していくための手助けこそが、私たち教職員の使命だと思っています。
*3 四大学連合…都内の国立単科大学(東京医科歯科大学・東京外国語大学・東京工業大学・一橋大学)による連合。「連合を構成する各大学が、それぞれ独立を保ちつつ、研究教育の内容に応じて連携を図ることで、これまでの高等教育で達成できなかった新しい人材の育成と、学際領域、複合領域の研究教育の更なる推進を図ること」を目的に結成された。
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