今年の大阪・関西万国博覧会は膨大な財政負担や参加国の相次ぐキャンセルで、その開催さえ一時危ぶまれたようだ。そんな報道を耳にし、1970年やはり大阪で開催された日本万国博覧会(以下万博と略)のことを思い出した。
TDLやUSJなどの巨大テーマパークなるものがまだ日本に無かった時代で、日本中が万博熱に沸き返り、特に子ども達は漫画雑誌などに掲載されたその特集記事を夢中で読んでいた。この時の万博のテーマは「人類の進歩と調和」。その前年に人類は月に立ち、その頃日本はGNPで世界第2位を達成していた。それが何を意味するかは分からなかったが、宇宙旅行が一般化し鉄腕アトムのような人型ロボットが共存する21世紀がいずれ訪れ、万博に行くとその夢のような未来の生活が体験できると思っていた。中学生だった私もその一人だ。しかし、いつまで待っても万博に行こうとする気配はわが家にはなかった。
ほとんど諦めかけていたある日、母から、兄と二人で万博に行くように突然言われた。複雑な気持ちだった。学生運動は下火になっていたが、こんなお祭り騒ぎに浮かれている時ではないという気風が一部の学生には残っていて、当時医学生だった兄もその一人。母から私を連れて行くように無理矢理頼みこまれたようだ。
9歳違いの兄は、私が幼い時はよく遊んでくれた優しい兄だったが、その頃は帰省しても何やら難しそうな本ばかり読んでいる"近寄りがたい存在"だった。それでも、結局兄と二人で大阪行きの夜行列車に乗りこんだ。列車内でもほとんど会話は無かった。
「太陽の塔」がその姿を現した時は、さすがに期待で胸が高鳴り、ゲートを抜けると、そこには今まで見たこともない巨大でユニークな形をしたパビリオンが建ち並ぶ別世界が広がっていた。しかし、私の目指す人間洗濯機などを展示する人気のパビリオンはどこも長い行列。兄はそんなことはお構いなしに、私にはなじみのない国名の閑散としたパビリオンばかりを選んで入っていく。意を決して、「『月の石』を見たい!」と直訴したが、「石コロ見たってしょうがないじゃろが!」とバッサリ。
夕方になって早々に会場を出ると、兄は何を思ったのか、宿泊先のユースホステルの近くにあった馬場に私を連れ出した。疲労困憊(こんぱい)の私だったが、静寂な中に蹄(ひづめ)の音だけが心地好く響く夕焼けの景色に、気持ちが随分和んでいったのを憶えている。多くの外国人を含む慣れない人混み、ギラギラした人工的で抽象的な映像、大音量の音楽が鳴り響く会場から解放されたからだろう。この時の赤焼けの景色が、今でも脳裏に焼き付いている。宿に戻ると卓球や将棋をして、久しぶりに兄と楽しい時間を過ごすことができた。
万博が閉幕した数カ月後に三島由紀夫が自決し、学生運動も終焉(しゅうえん)に向かい、この頃を境に日本の若者像はすっかり変わったように思う。あれから半世紀以上が過ぎ、科学技術の急速な進歩で、スマホを始めとするIT機器が普及し生活はますます便利で快適になっている。反面、仮想現実の世界に溺れた依存症の若者が増えていると聞く。SNSでは顔が出ないことをいいことに、「月の石」のような真偽不明の情報が溢れ、誹謗(ひぼう)中傷がまかり通っている。生成AIなるものは、人間に代わって好きな題材で小説や絵画などを創作し、実在する人物の発言や行動を捏造(ねつぞう)することも可能とのこと。映画「ターミネーター」の世界が現実味を帯びてきた。
昨年の夏の記録的な猛暑や未曽有の豪雨など異常気象がもたらした自然災害は、地球規模の温暖化による影響だろう。人類は、人間性や自然環境を損なうことなく、調和のある進歩を遂げているのだろうか。爺さんになったアナログ人間の私は、資格確認などデジタル庁が推し進める情報システム改革のふるいからこぼれ落とされまいと必死にしがみついている。孫と手をつないで、秋の日のつるべ落としなどまったり眺めたいと思ったが、孫はスマホやiPadで子ども向けYouTubeに夢中だ。目医者の孫のくせに。
21世紀を見ることのなかった兄だが、ひょっとするとこんな未来をあの頃既に予感していたのではないだろうか。しかし、そんな兄だけでなく当時のいったい誰が、日本の若者がメジャーリーグで二刀流の大活躍をし、チームのワールドチャンピオンにも貢献し、三度目のMVPも受賞するような未来を想像できただろうか。そんなとりとめもない事を考えてしまった。
というわけで、私の万博の思い出は、兄との最初で最後の二人旅の思い出だ。
(一部省略)
広島県 広島市医師会だより NO.705より